14話 湖上の激闘
岸に上がろうと、僕は手で水を掻き分ける。プールだったらすぐに上がれるけど、僕は今、水着じゃなくてシャツを着ていた。濡れて重くなったシャツとズボンが、僕にのしかかっているみたいだ。その時、対岸の水面から誰かが飛び出してきた。クリスだ。クリスは手をばたつかせて、必死に泳ごうとする。だけど、クリスの体は浮き沈みするばかりだ。クリスはしきりに水を口から吐き出していた。もしかして、クリスは泳げないのかな。いつも余裕を浮かべていたクリスの仏頂面は、恐怖に歪んでいる。その後ろの水面には、巨大な影が浮かび上がっていた。
「クリス! 捕まって、早く!」
僕はクリスの元まで泳いで、手を差し伸べる。だけど、クリスはいつも通り僕に悪態をつくこともなく、もがき続けていた。水面には不気味な黄色い光が爛々と輝いている。波が激しくなって、僕はクリスがいる方向とは反対方向に流された。まずい、このままじゃ僕もジンジャーブレッドマン像の仲間入りだ。湖に巻き起こった渦が、僕らを飲み込むように口を開ける。渦に紛れて、リチャードが水上に飛び出してきた。顎から涎のように雫を垂らして、真っ赤な口を開いている。その視線の先には、コーラがいた。コーラも濡れて光を反射させながら、リチャードを睨み付けている。コーラは横目で無事な僕の姿を確認すると、一瞬安堵の表情を浮かべた。僕よりクリスの方が心配だ。僕はある程度は泳げるけど、クリスはカナヅチみたいだからね。
「町の人達を襲ったのもあなたね」
「ウヒョッ、その様子だと俺様のコレクションを見てくれたみたいだね。魔王様に、あの町の奴らを支配しろって言われたんだ。でも、支配するだけじゃあ物足りないだろ? だから綺麗な人形達は永遠に僕のコレクションにすることにしたんだ」
僕らの背筋を指先でなぞるような笑みを浮かべるリチャード。やっぱり魔王の手下だったんだ。それにしては欲張りすぎるけど。宇宙人もコレクションにされるのは嫌なのか、コーラも眉をひそめる。リチャードは狐の耳をぴくっと動かして、泳げないくせに水に入った人間の方にゆっくりと顔を向けた。そして、殺人鬼が殺すべき相手を見つけたような笑みを浮かべる。クリスはその視線に気づいたのか、さらにじたばたした。でも、そんな気持ちに応えず、波はクリスの足を掬う。
「君も招待してあげるよ。永久に美しいままでいられる石の世界にね!」
リチャードの口が金色に光る。水面だと、その様子は小さな太陽みたいだったよ。でも、そんな生易しいものじゃない。光に触れた水しぶきが、水晶になって湖に降り注いでいるんだ。大きく息を吸い込んで、リチャードは金色の光線を発射した。光線はためらうことなく一直線に、クリスの方に向かっていく。僕はクリスの方に向かおうとするけど、波が僕を阻む。ああ、どうしよう。僕は妹一人もドラゴンの手から助けられないのか。ジョージ兄さんだっていじめっ子から妹を守っていたじゃないか。僕はしきりに手足をじたばたさせる。だけど、無慈悲な光線はクリスの目と鼻の先まで近づいた。
「危ない!」
その時、流れ星のように何かが光線を受け止めた。コーラだ。コーラはクリスを庇うように、目の前で光線を止めている。クリスは呆然として、目を見開いていた。コーラの体から虹色の光が失せて、だんだん灰色に変わっていく。それと同時に光の帯も流れ星が通った跡みたいに消えていった。コーラは苦しげな表情を浮かべる。リチャードは邪魔が入っても、なおも光線を止めようとしない。コーラの苦しげな表情は、次第にそのまま石みたいに硬くなった。いや、顔だけじゃない。光線が集束する頃には、コーラはもう星形の石になっていたんだ。光線が当たる瞬間の表情を永久に記憶したまま。石になったコーラは、そのまま光線の勢いで吹き飛ばされて、湖の側の草むらに落ちた。思いがけず石になったターゲットを見て、リチャードは雷が落ちたような笑い声を上げる。
「ウヒョヒョ、やっぱり美しいキラキラだねぇ。まさか仲間のために身代わりになるなんて」
「嘘だろ……。星クズ……」
クリスは虚ろな目付きで呟く。そして、そのまま意識を失って水中に体を預けた。このままじゃあクリスも危ない。石になる以前に湖の藻屑になっちゃうよ。僕は水草が絡みつくのもお構いなしに、クリスの所まで泳ぐ。リチャードも止まない水しぶきに気づいて、僕とクリスの方へ迫った。
「逃がさないよ。君たちもあのキラキラと同じ場所に行くんだからね!」
リチャードはまた、大きく息を吸い込んだ。今度こそはクリスに当てる気だ。僕はクリスがいる場所にたどり着いたけど、リチャードの口からは光線が溢れそうだった。怖い。また、僕は誰も守れないのかな。いや、ここで逃げたらお兄ちゃんどころか、僕は人でなしだ。僕はクリスを守るんだ。森でテディベアに襲われた時、どうして僕は身代わりになろうとしたのかやっと分かったよ。僕は必ずクリスと生きて帰るんだ。僕は精一杯の威嚇として、腰に下げていた木の枝をリチャードに向ける。そして、ヒーローが悪党を倒す時みたいに、お腹から思いっきり大声を出した。
「来い! ドラゴン! 僕が相手だ!」
震えていたけど、我ながら僕らしくない声だ。威勢とは裏腹に、僕の体からは冷や汗がどっと吹き出していた。湖に体が浸かっていたから見えないのが幸いだったけど。その時、僕の声に応えるように木の枝が熱くなった。森の時と同じだ。木の枝は白い光を放ってその姿を変えていく。それと同時に、リチャードの口から光線が放たれた。木の枝は僕の目の前で白い盾に変わって、光線を受け止める。すごい衝撃だ。水中じゃなかったら僕の体は地面からもぎ取られているよ。盾は光線を受け止めるどころか、逆に弾き返した。光線の予想外の動きに、リチャードはひらりと躱す。そして僕の持っている盾を、物珍しそうに見ていた。
「ウヒョヒョ、珍しい盾だねぇ。是非とも俺様のコレクションにしたいなぁ」
僕はリチャードが来る前に、クリスを抱えて岸へと泳ぐ。盾も重かったけど、クリスはそれ以上に重い気がする。本人が気絶していて聞こえないのが幸いだったよ。リチャードは水をお腹で弾きながら滑るように僕に向かってくる。僕は岸に上がって、クリスを降ろす。ふう、女の子がこんなに重いなんて。リチャードは岸にいる僕を、長い体で校庭の外周みたいに囲んだ。リチャードは僕を締め付けようと体をどんどん僕に近づけてくる。
「君とその盾は絶対に手に入れてみせるよ。水の底に飾ってあげるんだ」
リチャードは両目を光らせ、口に光線を溜める。僕がもし石像になったら、クリスなんてあっという間に石にされちゃう。ここで止めないと。あのドラゴンをやっつけないと。すると、また盾が光り始めた。今度は一体何に変わるんだろう。盾は細長い棒状の光に変わって、僕は慌てて光を持ち替えた。この感触、前にも感じたものだ。森で感じたものと一緒だ。光は剣に変わった。ひょっとして、これがルシアンの言っていた魔法なのかな。僕がクリスを守ろうとしたら木の枝は盾に変わって、ドラゴンをやっつけようとしたら、剣に変わった。リチャードは鼻息を荒くして、両目をぱちぱち瞬きさせる。
「ああっ、素晴らしい! 今すぐにでも俺様のコレクションに加えたいくらいだよ」
リチャードは即座に僕を締め上げようとする。あんな大きな体に巻き付かれたら、僕の骨なんてフライドチキンの軟骨より簡単に折れちゃうよ。僕はまだ慣れない剣を持ちながら、リチャードの体に飛び乗る。それに気づいたリチャードは、僕目掛けて光線を乱射した。僕はリチャードの背中を走って、光線を躱す。ウナギみたいにヌルヌルした体かと思っていたけど、白い毛に覆われていて草むらみたいだった。僕は光線を躱されて驚いているリチャードの額目掛けてジャンプして、剣を振り下ろす。剣は重くて、どっちかというと僕が剣に振り回されているみたいだった。剣はリチャードの額に付いている大きな宝石にぶつかる。すると、宝石は窓ガラスみたいに砕け散った。
「ムワアアァー! そんな……俺様はただ……コレクションが……仲間が欲しかっただけなのに……」
頭の宝石を壊されて、リチャードは芝居がかったような大げさな口調でのたうち回る。そして勢いよく、草むらに崩れ落ちた。僕も剣を持ったまま、そのまま地面に叩き付けられる。草むらだったから助かったけど、それでも痛かった。全身が軋むように酷く痛んだ。剣も元の木の枝に戻る。リチャードはぐったりしていてぴくりとも動かない。気絶したのかな。僕はホッとすると同時に視界が霞んできた。あれ? 立てない。クリスとコーラを助けないと。だけど、動けない。その時、岸辺から誰かが起き上がって、こっちに向かってきた。……誰だろう。背が高くて、季節に合わない長袖。その人は僕を乱暴に揺すった。ああ、もう顔も見ることもできない。意識が……遠くなっていく。
「……おい、アンタ!! ……しっかりしろ!」
途切れ途切れに聞こえる言葉。……誰の声だろう。意識がもう暗闇の中にいた僕には、その声が誰の声なのかすら分からなかった。




