13話 湖の竜
平原の先には大きな湖があった。グリーンウッドにも小さな池があるけど、その比じゃない。野球場並みの広さの湖だ。湖は深緑色に染まっていて、いかに深いかがよく分かる。水面が穏やかに波打っていたけど、何故かそれが不気味にも見えた。
「気をつけて、リアム、クリス。嫌な気配がするわ」
コーラが眉を細める。クリスは一歩引いて耳をそばだてた。奇妙なことに、波打つ水面の中には所々水晶のようなものが浮かび上がっている。波を撫でるように吹く風も、急に氷のように冷たくなってきた。嫌な予感がする。僕の背筋に悪寒が走った。湖の上空には不気味な黒雲が湖を一呑みしそうな勢いで立ちこめる。僕の額に玉のような汗が浮かび上がった。湖の水面が泡立つ。水しぶきを上げて、一匹の怪物が黒雲の中を縫うように舞い上がる。怪物は細長い体をくねらせて、僕らに水滴を浴びせた。大雨で体中びしょ濡れになった気分だよ。クリスは濡れた前髪を掻き上げて、怪物を睨み付ける。
「ウヒョヒョヒョ、珍しい人間とキラキラだ。捕まえて俺様のコレクションにしてやる」
怪物は大きな口を開いて、ねっとりした声を出す。幼稚な口調とは裏腹に、その大きさは湖を一囲みできそうなくらいだ。怪物は蛇が茂みを這うように、雲の中を縫う。そして僕らの目の前に着地した。水晶玉みたいな赤色と金色の瞳が、不気味な光を放っている。それを見て僕は、金縛りに遭ったように動けなかった。
「あなたがドラゴンね」
「ウヒョ、喋るキラキラだなんて、やっぱりこのリチャード様のコレクションにふさわしい!」
キラキラの言葉に耳も貸さず、怪物は蛇のような舌をチロチロと出す。白い毛に覆われた細長い体は、僕たちを逃がさないように取り囲んでいる。頭に生えている二本の角には、キラキラ光る色とりどりの宝石が付いていた。いや、角だけじゃない。額にも、体中のあらゆる所にも宝石や水晶が付着している。まるで欲張りのドラゴンが、誰にも財宝を奪われないために自分の体に埋め込んだみたいに。でも、狐みたいな顔をしていて、ドラゴンと言うよりは東の国についての本に出てきた龍みたいだ。
「コレクション?」
「そう! 珍しいものとかキラキラしたものはみんな石にして俺様のコレクションにするのさ!」
稲妻のようなけたたましい声を上げて、リチャードは大きな手でクリスを鷲掴みにする。リチャードは大きな体をくねらせて、そのまま上空へと昇っていった。クリスは手の中でもがくけど、狐の細い腕はびくともしない。
「リアム! 捕まって!」
コーラが光の帯を僕に差し出す。一体何をする気だ? 戸惑いながら、僕はコーラの光の帯を掴む。不思議な感覚だ。人間の手を掴んでいるような。コーラは僕を掴んだまま、リチャードのいる上空に浮き上がる。最近の宇宙人はユーフォーに乗らないんだね。コーラがあんなジェット機みたいなスピードがあるなんて信じられなかったよ。黒雲の中に入ると霧のような水滴が、僕の顔を濡らした。すごいスピードだったけど、コーラもだいぶ消耗しているみたいだ。体を包む光がどんどん弱くなっている。僕らの眼下には、湖が手招きするように波を立てていた。ひえぇ、高いなぁ。でも、怖がっている場合じゃない。クリスが危ないんだ。
「離せ! この狐目野郎!」
「まずは君から石にしてあげるよ。ちょっと骨太だけどコレクションにふさわしい美人だ」
クリスは今にもドラゴンに握りつぶされそうだ。リチャードは裂けた口を大きく開いてニタニタ笑う。このままじゃあ、骨太の猛獣の像が一体できあがっちゃうよ。僕はとっさにコーラの光の帯から、ドラゴンの足に飛び移った。リチャードは突然足にしがみついた僕を、振り落とそうとする。
「だめよ、リアム! 振り落とされるわ!」
「ウヒョヒョ、焦らずとも君も後でゆっくり石にしてあげるよ」
リチャードは尻尾で僕を叩き落とす。お腹にドラゴンの尻尾が当たって、たまらず僕は手を放してしまった。ガキ大将にお腹を殴られた気分だ。僕の体は湖に向かって真っ逆さまに落ちていく。水滴で湿ったシャツが風にあおられて、さらに凍えるような寒さに襲われる。落下していく僕の視線の先には、遠くなっていくドラゴンとクリスの姿があった。
「クソッ! 離せぇっ!」
クリスはリチャードの前足に噛みつく。さすがのドラゴンも猛獣に噛まれたら痛いのか、甲高い悲鳴を上げてクリスを離した。クリスもドラゴンの手から離れて、そのまま落ちていく。風に翻弄されて、僕は動けない。そのまま湖の水面との距離が縮まっていく。その時、僕のシャツの襟を、誰かが掴んだ。コーラだ。コーラはすぐに上に舞い上がって、落下するクリスもキャッチする。でも、二人の重さに耐えきれないのか、コーラは段々ふらついてきた。
「大丈夫……? 二人とも」
コーラの呼吸が荒くなっていく。僕らを掴む光の帯も、段々弱くなってきた。クリスは帯を離すまいとしがみつく。リチャードは獲物を逃がすまいと、僕らのほうに急降下した。
「逃げちゃだめだよ、君たちはこれから湖の中で一生暮らすんだからね」
リチャードは細い前足で、クリスの体を掴む。そして湖へと一気に降りて行った。掴んでいたクリスが引っ張られて、コーラも僕も引き寄せられていく。リチャードは水しぶきを上げて、湖の奥へと潜った。僕もコーラも湖に引きずり込まれる。鼻に水が入って、僕は思わずコーラから手を離した。口の中に水がどんどん入ってくる。プールで溺れた気分だよ。咳と一緒に僕は大量の泡を水中に吐き出す。視界がぼやけている。水中は真緑色で、よく見えない。かすかに何かが跳ねる音が聞こえるだけだ。僕は体をじたばたさせて、浮き上がろうとする。その時、水草に交じって何かが底に沈んでいるが見えた。灰色の人影みたいだ。目を凝らすとそれは、人の形をした石像のようにも見える。もしかして、リチャードの言っていたコレクションなのかな。だとしたら凄く嫌な予感がする。僕は近づいて、それをもう少しじっくりと見た。その瞬間、全身にひどい寒気が走る。沈んでいたのは、ジンジャーブレッドマンの石像だったんだ。見たことのある姿に、僕は慌てて水上に浮きあがった。水のせいなのか汗のせいなのか、寒気は止まない。水上に出て視界は開けたけど、まだあのジンジャーブレッドマンの石像の顔が頭の中に浮かぶ。恐怖に歪んだ作り物の顔。あのドラゴンにどんな目に合わされたのかは、容易に想像できたよ。僕らもリチャードに捕まったら、ああなるのかな。そう思うだけで背筋が冷たくなった。




