12話 ルシアン
お菓子の町を抜けると、広い平原が広がっていた。草木はまるで、海の色をそのまま絵の具にしたように透き通る青色だ。湖の方から吹いてくる風で、首を傾げるようにゆらゆら揺れる。「ねぇ、クリス。どうして僕らと一緒に行こうと思ったの?」
僕の質問に、クリスは面倒くさそうにジャンパーのポケットに手を入れたまま振り向く。以前は僕とかなり離れて歩いていたクリスだけど、今は少し近くなっているような気がした。すすけた泥の付いたブーツに、よく見ると乱雑に修繕した跡がある紺色のズボン。前よりクリスの姿がよく見える。クリスは平原に咲くヒスイ色の花をじっと見ながら、ゆっくりと口を開く。
「あの星クズしかこの世界のことを知らないからだ。それに、アンタには一つ借りがあるからな」
「えっ、借り?」
きょとんとする僕を見て、クリスはやれやれとため息をつく。クリスからそんなことを言われるなんて。僕は夢でも見ているのかな。でも、目の前で花を覗き込むクリスが嫌に目に付く。
「分からないならいい。アンタに覚えていて欲しい借りでもねぇからな」
花を見つめてぼんやりとしながらクリスは呟く。何だよ、モヤモヤするなあ。それじゃあ分からずじまいじゃないか。でも、クリスはそれ以上口を開こうとしない。これ以上根掘り葉掘り聞けば、どうなるか分かったものじゃないよ。今でこそ穏やかだけど、逆鱗に触れれば子供を奪われた象みたいに暴れ出すかも知れない。僕は黙って湖の方へ向かう。でも、コーラもなんだか様子が変だった。先へ行こうともせず、自分の目の色と同じ色の花をずっと見つづけている。寝起きの母さんみたいにボーッとして気の緩んだ顔になっていた。
「コーラ、どうしたの?」
「…………えっ? あっ、きっ、きれいな花だからちょっと見ていただけよ」
コーラは柄にもなくうろたえた。コーラが慌てるなんて珍しいなあ。汗の代わりに光を噴き出して、しきりに乱反射するコーラ。それを見て僕は吹き出しそうになる。
「へえ、星クズにも好きなものなんてあったんだな」
クリスが意地悪くコーラを茶化す。その手には花が握りしめられていた。コーラは顔の近くまでクリスに花を近づけられて、嫌そうな顔をする。
「わっ、私にだって好きなものはあるわよ」
「そうだよな、レディは誰だって花束なんかプレゼントしたら思わずときめいちまうからな」
突然、クリスとは別の花束が、コーラの前に差し出される。クリスは驚いてウサギのように飛びのいた。コーラは自分にプロポーズをしてきた花婿の姿を見て、茫然としている。それもそのはずだ。花束を贈ってきたのは白いタキシードを着た花婿じゃなくて、黒いボロボロのジャケットを着た吸血鬼だったからね。
「あなたは……」
「よう、また会ったな。星明かりちゃん」
吸血鬼、ルシアンはおどけた口調でコーラに歩み寄る。コーラは怪訝な顔をしてゆっくりと後ずさりした。あんなボロボロの吸血鬼が花なんて差し出したら花嫁どころか一族全員逃げ出しちゃうよ。
「お前、誰だ?」
「おっと、お前さんは森にいたじゃじゃ馬ガールフレンドじゃないか。無事で何よりだぜ」
警戒するクリスにも、ルシアンは無遠慮に歩み寄る。クリスは得体の知れない吸血鬼に殴りかかろうとしたけど、ルシアンはその手をあしらった。そしてあっという間にクリスを羽交い絞めにする。いまにも足が折れそうなヒョロヒョロの吸血鬼とは思えないよ。しかもあのクリスを力で止めちゃうなんて。クリスは網にかかった猛獣みたいにもがくけど、ルシアンはびくともしない。
「やれやれ、本当にじゃじゃ馬なレディだぜ。そんなに噛みついていたら、ドラゴンの尻尾を噛み千切るかもしれんぞ」
「ふざけんな! 離せ!」
思いつく限りの罵詈雑言を浴びせるクリス。ルシアンはそれを気にせず、あしらうように笑って見ていた。とてもじゃないけど僕の口からは言えない言葉だよ。クリスがあんな下品な言葉を知っているなんて。コーラは言葉の訳が分からないのか、唖然としている。意外と宇宙人は純粋なんだね。それなら知らないほうがいいよ。
「お前さんら、大方この先に行くつもりだろう? お節介かもしれんが、今のお前さんらじゃあのドラゴンを倒せやしないよ」
ルシアンはそう言うと、鮮やかな手つきでクリスを解放する。まるでダンスパーティで相手を回しているみたいだ。クリスは翻弄されっぱなしできょとんとする。この吸血鬼は吸血鬼なのに誰の首筋にも牙を突き立てようとしない。ひ弱な子供の血も、猛獣の血も、宇宙人の血も欲しくないのかな。
「じゃあどうすりゃあいいんだよ!?」
「おいおい、じゃじゃ馬娘。オレはお前さんの攻略本でもガイドブックでもないんだぜ」
やけになって地団駄を踏むクリス。知らなそうで何か知っているような口調で、ルシアンはほのめかす。コーラは冗談めいた口調に顔をしかめた。
「まあ、オレがお前さんらの人生の先人として言えることは、あのドラゴンを倒すには、“魔法”が必要だって事だけだ」
「魔法?」
首を傾げる僕を見て、ルシアンは悪戯っ子のようにククッと笑う。そして持っていた花束を勢いよく振る。すると花束は水色の炎を上げて、紙吹雪に変わった。紙吹雪は空中に舞い上がり、風に乗って何処かへ向かっていく。さらにルシアンは、マジシャンのように指をパチンと鳴らした。すると今度は紙吹雪が、蝶に変わって平原を舞う。一体どんな手品なんだろう。マジシャンがやる事みたいなのに種も仕掛けも見当たらない。
「今のが、魔法?」
「ああ、今やったのはちゃちな手品みたいなもんだけどな。この世界では強い思いが魔法になって具現化する。まれにそれを自在に扱える奴がいるんだ」
花だったはずの蝶を指先に乗せて、ルシアンは語る。蝶は花と同じヒスイ色の透き通るような羽根をしていた。
「そんなものを扱えるなんて、あなたは一体何者なの?」
コーラはなおも警戒している。ルシアンはそれを見ると口元を少しほころばせた。自分の目を疑ったよ。一瞬、ほんの一瞬だけどルシアンの顔が少し曇ったような気がしたんだ。
「……忘れちまったとは悲しいねぇ。オレはルシアン、ただの遊び人だって言っただろ」
「ただの遊び人が、魔法を扱えるはずがないわ」
なおも疑り深いコーラ。最近コーラは冷たい口調じゃなくなってきたと思うけど、ルシアンに対しては氷河みたいな冷たさで食ってかかる。でも、僕もルシアンはただの遊び人じゃないと思う。胡散臭いけど、あの琥珀色の目で顔を覗かれると、思わず縮み上がっちゃうよ。
「じゃあまた会ったときに修正しておくぜ。“ちょっと芸達者な遊び人”ってな」
ルシアンは表情一つ崩さず、いつも通りの冗談めいた口調で返答する。そして指をパチンと鳴らすと、また煙のように消えた。現れては消える。本当に煙みたいだよ。彼を捕まえるのは、雲を掴むくらい大変な事だろうね。クリスは終始驚きのあまり、細い目を丸くしていた。
「……何なんだ、アイツは」
「分からない。でも、ただ者じゃないと思うわ」
コーラはまだ、その場で呆然としている。一体ルシアンは何者なんだろう。敵なのか味方なのかそれすらも分からない。でも僕は、味方だと思いたいな。今はこの先に行かないと。
「行こう、二人とも」
僕の言葉に、コーラは頷く。クリスはそっぽを向きながらも歩を進めた。平原を歩いている僕らは絵本に出てくる冒険団みたいだ。僕は木の枝を持っていて、クリスは花を一本握りしめている。気分は冒険団だけど実際はそんな生やさしいものじゃない。この先にはドラゴンがいるんだ。気ままに空を舞う蝶を見送り、僕は平原を進む。




