第7章:空白の七日間と、血塗られたケジメ
トイレのドア越しに聞こえた「……バレた」という震える声。
その直後、俺は怒りで沸騰する頭のまま、不倫相手である真ん中の弟の携帯を何度も鳴らした。だが、コール音がむなしく響くだけで一向に出ない。ようやく繋がったかと思えば、無言のまま一方的に通話を切られた。逃げたのだ。
次に電話をかけたのは、親父だった。
すべての顛末を叩きつけ、かつて俺を暴力で支配していたその男に向かって、腹の底から凄まじい怒号を浴びせた。
「あいつをぶっ殺してやるから、今すぐ俺の前に連れてこい!!」
もはや、かつての力関係など微塵もない。俺の絶対的な殺意の前では、あの暴君すらも震え上がり、命令に従うしかなかった。
だが、肝心の弟はどこかに雲隠れし、完全に姿を消してしまっていた。妻に逃げられては事実関係の追求も慰謝料の請求もできなくなる。俺は会社を無断欠勤し、血眼になって行方を追うことになった。一番下の弟にだけは事情を打ち明け、会社の仲間たちまでもが山の中や心当たりのある場所を必死に捜索してくれた。当然、警察に捜索願も出す。すべてを投げ打っての、執念の追跡劇だった。
この地獄のような一週間の空白期間。俺は自宅で、人間の皮を被った化け物の「本当の顔」を直視し続けることになった。
妻の精神状態は、完全に破綻していた。泣き喚いて謝罪したかと思えば、突然逆ギレして喚き散らす。そして、不眠不休で探し回る俺のボロボロの姿を見て、あろうことか腹を抱えて爆笑し始めたのだ。
さらに、あの女は悪びれるどころか、俺を底の底まで見下し、嘲笑うようにすべての真実を自慢げに暴露し始めた。
三人目を身ごもった時、なぜあれほど異常に痩せ細り、入院したのか。それは、腹の子(戸籍上の俺の子)を「流産させるため」に、身重の身体へ激しい性行為を何度も強要し続けていたからだった。
「もしかして、あの時もやってたのか?」
震える声で問う俺に対し、女は「当たり前じゃん(笑)」と、まるで喜劇でも見るかのように笑い飛ばした。無事に出産した後も、二人は「今度こそ自分たちの本当の子供を作ろう」と獣のように交尾を繰り返していたという。
その悍ましい嘲笑と、突きつけられた醜悪な事実の数々に、俺の中で張り詰めていた最後の糸がプツリと切れた。
精神が、完全に崩壊したのだ。視界はとめどない涙で歪み、自分がどんな声で叫んでいるのかすらわからない。気が狂った俺は、泣き叫びながら、生後わずか五、六ヶ月しか経っていない赤ん坊を、衝動的に放り投げてしまっていた。もはや、そこは人間としての理性を保てる空間ではなかった。
そして一週間後。
あちこちを逃げ回っていた弟を最後に見つけ出したのは、親父だった。一週間も逃亡を続けた挙句、あいつは自分の家のすぐ近くに身を潜めていたのだ。
しばらくして、親父と弟の嫁が、罪人の両脇を抱えるようにして俺の家へと連行してきた。
重い玄関の扉が開き、弟の顔が見えた瞬間。
言葉よりも先に、拳が動いていた。玄関の土間に引きずり込み、一切の容赦なく殴り、蹴り飛ばす。自分が味わってきた絶望の深さを、そのまま物理的な暴力に変えて叩き込んだ。
制裁を受けた弟の顔面は鮮血に染まり、全身はどす黒いアザだらけになった。髪の毛を掴まれ、引きずり回されてボサボサになった頭で、腹を押さえながら「うぅ……」と苦痛の呻き声を上げている。その口からは、虫の息のような「ごめんなさい……」という言葉だけが、壊れたレコーダーのように繰り返されていた。
周囲で凍りつく親族たちに向かって、完全に狂気に呑み込まれた俺は血走った目で咆哮した。
「警察を呼びたきゃ、勝手に呼べばいい!! だがな、その前にここにいる全員、俺が一人残らず殺してやる!!」
もはや失うものなど何一つない、本気の狂気。
その凄惨な光景と殺意を前に、かつて俺を虐待し、絶対的な権力者として君臨していたあの親父が、ボロボロと涙を流しながら土間のコンクリートに這いつくばった。
「すまん……俺が悪かった。許してやってくれ……」
泣きながら土下座をして、身勝手な息子の命乞いをする惨めな老人の姿。
だが、心に慈悲など一ミリも湧かなかった。土下座など、俺が家族を守るために他人の前で地面に額を擦り付けたあの覚悟に比べれば、ただの安い芝居でしかない。
「ふざけんな!!」
俺は、土下座する父親の体を容赦なく蹴り上げた。
血の呪縛。裏切り。そして暴力。俺からすべてを奪ったこの呪われた一族との、これが本当の決別であり、自らの手で下した激しい「ケジメ」の瞬間だった。




