第8章:死を前提とした狂乱の消化試合
玄関先での凄惨な制裁を経て、弟と妻が再び会うことはなくなった。俺は自らの手で築き上げた城を手放すことができず、地獄のような夫婦関係を継続する道を選んだ。
だが、膿は底なしだった。
妻は当時、保険の営業マンとして働いていたのだが、あろうことか俺の給料からこっそりと「弟の保険料」や「二人の密会用のラブホテル代」を捻出していた事実が発覚したのだ。俺は明細を徹底的に調べ上げ、使われた金銭を弟から一円残らず全額回収した。そして俺への慰謝料の代わりとして、あの不義の子が二十歳になるまで「毎月三万円」を支払い続けるよう、強烈な念書を突きつけた。
これで終わったはずだった。しかし、女の底知れぬ異常性は留まることを知らなかった。
ある真冬の夜、俺が急いで風呂に入ろうと浴室のドアを開けた時のことだ。湯船に浸かっていた妻の下半身を見て、我が目を疑った。アンダーヘアが、不自然に一本残らず剃り落とされていたのだ。
「は? どしたの?」
「暑いし、邪魔じゃん」
暖房すら追いつかない凍えるような季節に、女は平然とそう言い放った。
同時期、彼女は突如としてスマートフォンの「LIVE配信」にのめり込み始めた。
画面越しの愛想笑いで投げ銭を集めるうち、リスナーの一人であるどこかの「社長」と深い関係を持つようになったのだ。あろうことか、まだ幼い三人の子供たち全員を連れ出し、その男とラグーナテンボスへ遊びに行っていた事実まで発覚する。再び俺の堪忍袋の緒が切れた。何より俺の神経を逆撫でしたのは、その社長という男の顔が、因縁の弟と気味が悪いほどそっくりだったことだ。
家庭内が修羅の様相を呈する中、俺にとって唯一の息抜きとなっていたのが、会社に出入りしていた「弁当配達の女性」との立ち話だった。
ある時、彼女が弁当屋で悪質なストーカー被害に遭っていることを知った。放っておけず、俺はその男から彼女を庇い、ストーカー行為から助け出したのだ。それがキッカケで互いの身の上話や子供の話題を交わすようになり、彼女がバツイチのシングルマザーだと知る。
少しずつ心の距離が縮まり、俺は誰にも言えなかった凄まじい家庭の現状を打ち明けた。
「早く離婚した方が良いですよ」
俺を頼りにしてくれた彼女のその真っ直ぐな言葉が、泥沼に沈んでいた俺の背中を強く押した。
そして、決定的な瞬間が訪れる。
「あなたとは夫婦でいたい。でも、弟とはカップルでいたい」
妻の口から放たれたその常軌を逸した一言が、俺の脳内の配線を完全に焼き切ったのだ。
もはや理性を保つことなど不可能だった。俺は無意識に台所の包丁を握りしめ、自らの命を絶つために外へ飛び出していた。狂乱して死へ向かおうとする体を、必死で羽交い締めにして止めてくれたのは、一番下の弟だった。
その後の家族会議の末、息子は俺の元へ、娘は妻の元へ引き取られることが決まる。
12月21日、ついに離婚が成立した。
だが、あの女の神経は最後まで狂っていた。離婚成立直後のクリスマス、あろうことか元妻は自分の友人たちをマイホームに招き入れ、盛大なパーティーを開いたのだ。
俺は自分が血と汗で建てた家であるはずなのに、和室へと追いやられ、息を潜めるように隔離された。襖一枚隔てた居間から聞こえてくる、見知らぬ人間たちの馬鹿騒ぎの笑い声。それはこの世の地獄そのものだった。
たまらず俺は、一番下の弟に助けを求めた。弟は嫁と二人の子供を連れてすぐに駆けつけてくれ、和室に追いやられた俺をその孤立無援の空間から救い出してくれたのだ。この狂った血族の中で、一番下の弟とその家族だけが、俺に残された唯一の良心だった。
離婚後、俺は残された息子のために新しい「母親」を探さなければと焦っていた。
やがて、あの弁当屋の女性と正式に交際をスタートさせる。だが、ある日彼女の息子から「写真の見方を教えて」と無邪気に頼まれ、画面を一緒に覗き込んだ時のことだ。そこには、裏の顔――風俗嬢としての彼女の姿が、店の名前とともにくっきりと写し出されていた。
自分を慕う子供の目の前で、その母親の醜悪な真実を突きつけられる。あまりにも残酷で滑稽な発覚だった。
それでも俺は、すべてを飲み込んだ。決死の覚悟で彼女の親へ結婚の挨拶に出向いた際、相手の親からは無慈悲な条件が突きつけられた。
「元嫁が住んでいた家に、うちの娘を住まわせるわけにはいかない。新しく家を購入しなさい」
俺からすべてを奪ったあの家に対する、当然の嫌悪感だったのだろう。どんな泥水でもすする覚悟だった俺は、その途方もない要求すらも受け入れ、息子のために新たなマイホームの契約まで交わしたのだ。
だが、運命はどこまでも冷酷だった。数千万の住宅ローンの本審査が通ったその瞬間、彼女はあっさりと俺に別れを告げたのだ。
その理由は、俺の耳を疑うものだった。あろうことか、俺がかつて引き剥がし、彼女を助け出したはずの『あのストーカーの男』と一緒になるというのだ。
俺の息子と彼女の息子は、まるで本当の兄弟のように仲良くなっていた。だからこそ、突然すべてを奪われた息子の絶望は計り知れなかった。
「あの女は詐欺師だぁぁっ!!」
顔をぐしゃぐしゃにして涙を流し、泣き叫びながら暴言を吐きまくる息子の姿を目の当たりにするのは、俺自身の身が切り刻まれるよりも遥かに苦しい地獄だった。
自ら身を挺して守り、親の要求を飲んで人生を懸けた女に、最も理不尽で醜悪な形で後ろ足で砂をかけられた。そして何より、罪のない我が子の心まで無惨に踏みにじられたのだ。
手元に残されたのは、愛する女でも新しい家族でもなく、泣き叫ぶ息子と、「六百万円の違約金」か「新しい家のローン」という極限の二択だけだった。
俺は半ば自暴自棄になりながら、底なしの孤独を埋めるためにマッチングアプリにも手を出した。
だが、そこで出会う女たちも皆、俺という人間ではなく、俺の「金」だけを目当てに群がってくる薄汚いハイエナばかりだった。利用され、搾取され、裏切られる。俺の人生は、結局のところ誰かに寄生されて終わる運命なのだと、心の底から悟った。
度重なる欺瞞と、我が子を守れなかった無念さに、俺の心は完全に凍りつき、そして静かに息絶えた。
「息子が中学を卒業するまでは、俺が意地でも育てる。その後は元嫁のところへ送り届け、俺はこの世を去ろう」
それは、死を前提にした狂乱の消化試合の幕開けだった。
未来への希望をすべて投げ捨てた俺は、「どうせ死ぬなら未練を残さず消えてやる」と、多額の借金を重ねて底なしの散財に走った。巨大なHUMMER H2を買い、バイクを買い、コペンを手に入れた。
明日を生きるためではない。ただ確実に近づく「自死」に向けて、空虚な時間をすり潰すだけの、破滅的な日々だった。




