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夕暮れの光が、白亜の塔をゆっくりと黄金色に染め上げていく。
レイリアが空中に描いた魔法陣は、幾何学的な美しさを保ったまま、淡い光を静かに脈動させていた。
「この術式構成、王国で使っていた護国結界より、ずっと合理的ね」
彼女は指先で空中の光の線を軽く弾く。
かつての彼女は、国を守る結界を維持し、魔物を退け、膨大な政務を処理するためだけに力を使っていた。
けれど、今は違う。
自分が作りたいもののために、自分自身の力を注ぐ。
ただそれだけのことが、こんなにも満たされるものだとは思わなかった。
その時、不意に森の木々がざわめいた。
レイリアが塔のバルコニーから視線を落とすと、そこには角を持つ人型の魔族が立っていた。腕の中には、小さな魔族の子供を抱えている。かつて魔王軍の残党として追われていた者なのだろう。
「……何か用?」
レイリアの声は冷たい水のように澄んでいた。だが、そこに威圧感はない。
魔族は震える手で、小さな花束を差し出した。
「レイリア様。貴女様が、この地に結界を張らずにいてくださったおかげで……娘は生き延びることができました。その、お礼を申し上げたくて……」
レイリアは少しだけ目を細め、静かにバルコニーから降り立った。
そして、魔族が抱える子供の額にそっと触れる。
一瞬、黄金色の光がふわりと広がり、精霊たちの祝福が子供の身体を優しく包み込んだ。
「別に、あなたたちを救いたかったわけじゃないわ。ただ、私の庭で子供が泣いていると、ティータイムが台無しになるでしょう?」
素っ気なく言いながらも、彼女は小さな光のキャンディを子供の手に握らせる。
魔族は目を見開き、深く頭を下げた。
「……貴女様のようなお方が、あの王国の主であったなら――」
「やめて」
レイリアは静かに言葉を遮った。
「あの国は、私が去ったことで、ようやく“自分で考える”機会を得たのよ。あそこは檻だった。誰かが中から鍵を掛け、誰も外へ出ようとしなかった場所。……私が去ったのは、彼らを解放するためでもあったの」
そう言って、彼女は空を見上げる。
王都の廃墟では、今もなお「レイリアが戻ってくれれば」と願っている者がいるかもしれない。
けれど、その願いはあまりにも傲慢だ。
もし彼女が戻れば、人々はまた思考を止める。彼女の力に寄りかかり、その恩恵を当然のものとして貪り、やがて依存に溺れて滅びていくだけだろう。
彼女が去ったことは残酷だった。
だが同時に、それは彼らに与えられた最後の救済でもあった。
「……それに」
レイリアは、夜空に瞬き始めた星々を見つめる。
隣国から届いた招待状も、他大陸の王族からの縁談も、彼女はすべて燃やした。
けれど、不思議と後悔はなかった。
権力も、身分も、婚約者も。
かつては、それらが自分を形作るものだと思っていた。だが今の彼女には、そのどれ一つ必要ない。
「私は、ようやく“ただのレイリア”になれたのね」
塔の周囲では、魔族も精霊も、種族の垣根を越えて焚き火を囲んでいた。
かつて敵同士だった者たちが、同じ星空の下で、彼女の穏やかな魔力に包まれながら静かに笑い合っている。
それは、かつて彼女が「国を守るため」に築こうとしていた窮屈な秩序とはまったく違っていた。
誰かに縛られることなく、それぞれが自分として存在している。
ふと、王都の方角から風が吹いてくる。
けれど、もうアルベルトの哀れな叫び声は聞こえなかった。
ただ、遠いどこかで、新しい芽吹きが始まろうとしている――そんな気配だけが微かに感じられる。
「そろそろ寝る時間ね」
レイリアは塔の中へと歩き出した。
そこには、最高級のシルクのベッドも、王宮のきらびやかな天蓋もない。ただ、森の木々の香りと、窓から差し込む星明かりだけがある、静かな部屋。
明日の朝、目覚めたら、彼女はまた新しい魔法の数式を解くのだろう。
その数式は、王国の命運とは何の関係もない。誰かのためのものでもない。
ただ、自分がやりたいからやる。
それだけだ。
「おやすみなさい、世界」
レイリアは静かに瞳を閉じた。
そして、魔力で、この地にだけ降り注ぐ優しい夢を、穏やかに紡ぎ始めた。




