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王都をぐるりと囲み、長年この国を魔獣の侵攻から守り抜いてきた七色の光の結界が、まるでガラス細工のようにパリンと砕け散った、その瞬間。
それまで私の魔力によって抑え込まれていた大気が、急激な圧力の変化に悲鳴を上げた。途端に、王都の空を覆っていた抜けるような青空は、どす黒い雲に飲み込まれていく。
「な、何だ!? 空が……!」
背後の王都から、人々の悲鳴が次々と聞こえてきた。結界という名の温室を失った王都へ、冷酷な現実がなだれ込んでいく。
長年、私の魔力が地下深くへ封じ込めていた魔獣たちが、匂いを嗅ぎつけたかのように一斉に動き出したのだ。北の森林からは巨大な牙を持つ狼の群れが、西の谷からは硬い殻を持つ巨岩の魔獣が、地響きを立てながら王都を目指して走り出す。
「殿下! 大変です! 北の防壁が……魔獣の群れに突破されました!」
王城の方角から、近衛騎士たちの焦燥しきった怒号が響く。そこに、ルイーザの悲鳴が混じっているのも分かった。彼女は今ごろ、私の後任として任命された“聖女”として、どうにか結界を張り直そうと必死になっているのだろう。だが、それは無駄な努力だ。
今の結界の展開と維持の魔力は、私という存在があってのもの。私が魔力を引き上げたら、どれだけルイーザが祈ろうと、どれだけ高位の術士が呪文を唱えようと無駄なこと。
全く新しい別の結界を展開し直しても、それを維持する魔力は膨大なものになる。かつて、私の前に行っていたやり方の、弱い力の結界ですら。
そして、今の彼らでは以前の弱い結界を張ることも、維持することも出来ないだろう。
「あーあ、聞こえてきますねぇ」
私は足を止めることなく、森の小道を優雅に歩き続ける。
私の通った道では、枯れていたはずの木々が青々とした若葉を芽吹かせ、精霊たちが祝福の歌を奏でている。彼らもまた、私の魔力を長年この国に吸い上げられていた被害者だ。今は、私と共に自由になったことを心から喜んでいるのだろう。
遠く、王都の方角で激しい爆発音が響いた。
どうやら、防壁が突破され、魔獣が市街地へ侵入したらしい。豪華な社交界のドレスを着た貴族たちが、逃げ惑っている姿が、ありありと目に浮かぶ。
「殿下、これが私の力ですよ。……化け物だと仰った、その私の加護の重さを、思い知りましたか?」
私は背後を振り返ることなく、静かに毒づいた。
悲壮感はない。あるのは、長年積み上げてきた「公爵令嬢としての完璧な役割」という鎧を脱ぎ捨てた、最高に清々しい解放感だけだ。
王城の執務室で、アルベルトが今ごろどんな顔をしているのか、想像するだけで口元が緩んでしまう。
結界はない。魔獣は押し寄せる。しかも、私が去ったことで、公爵家の財務管理システムも、食料供給の流通網も、すべてが止まった。今日からこの王国は、過去数百年で最も過酷な冬を迎えることになるだろう。
私の管理下で完璧に動いていた国が、わずか数時間で破綻していく。その眺めは、どんなオペラよりも劇的で、どんな祝杯よりも甘美だった。
「さて」
私は森の奥に広がる、見たこともないほど澄んだ湖のほとりで立ち止まる。
私は杖を地面に軽く突いた。
すると、地中から溢れ出した魔力が、瞬く間に私の周囲を囲むようにして、美しい白亜の城の基盤を築き始めた。誰も助けなくていい、私の威厳も傷つけない。ただ、私自身が心から楽しめる、私だけの王国の始まり。
王都の方角からは、アルベルトの絶望的な叫び声が風に乗って聞こえてくる。だが、それはもう私には届かない。
魔獣の咆哮も、王家の没落も、私には関係のないことだ。
私は深く息を吸い込み、湖を渡る風を感じた。
「さようなら、無能な殿下。……この国の未来が、せめて泥遊びよりはマシなものでありますように」
私は小さく笑い、新しい魔法書のページをめくる。
何をしようか。
期待に胸を膨らませながら、私は誰に遠慮することもなく、全開の魔力で未来を切り開く術式を唱え始めた。




