挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
素人おっさん、第二の人生でサッカーライフを満喫する 作者:ハーーナ殿下@青森県弘前市
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

58/68

第57話:【閑話】リベリーロ弘前コーチの話

《リベリーロ弘前ひろさきのコーチの話》

 私はサッカーコーチの指導者養成講習会が来ていた。
 これはサッカー協会が主催する、指導者のレベルアップのための講習会である。

 何日間の講習会を定期的に受けることによって、D級からA級、S級まのでコーチ公認ライセンスが習得できるのだ。

 講習会を受けるために、はるばる関東まで出向く必要がある。
 チームの方針で私も定期的に、この講習会にきていた。



「では、みなさん。講習会、お疲れ様でした!」
「「「かんぱい!」」」

 講習会も最終日の夜となり、お疲れさま会が行われていた。
 同じ講習会を受けていたコーチ同士、関東の居酒屋で老をねぎらい合う。

 研修中の私は酒を断じていた。
 久しぶりのビールの味に、疲れが一気に吹き飛ぶ。

「それにしても、リベリーロ弘前ひろさきさんの、ここ数年は絶好調でしたね!」
「たしかにですね。ジュニア業界の話題を総ざらいでしたね」

 懇親会の酒が進んでいくと、話題が我がチームにふられてきた。
 他チームのコーチは、私のことをおだてて酒を注いでくる。

「いやー、ありがとうございます。これも子どもたち選手のお蔭です」

 このメンバーの中で私は若手の部類に入る。
 あまり調子に乗らないように、謙遜して答える。

「いやいや、リベリーロのコーチといえば、“東北の智将”と名高いですから……」
「最近では“東北の魔術師”とも言われているみたいですよ! さすがですな!」
「特に澤村ヒョウマ君を育てた功績は大きいですよね!」

 どうやら今宵は酒のツマミ話は、私が中心になりそうである。
 自分のチームが褒められているので、特に悪い気はしない。

 私は質問されたことに、正直に答えていく。
 普段の練習の内容や、選手の育成方法など。
 中には“東北の智将”に講習会を頼みたい! と冗談を言うコーチもいた。

(困ったな、私は凡人のコーチなのにな。今回のリベリーロ弘前の躍進は、特殊なケース。あの子……野呂コータのお蔭が大きいからな)

 私は酒を飲みながら、一人の少年との出会いを思い返す。



“野呂コータ”

 チームに入会して来たのは、彼が小学一年生の時だ。
 まだ1年生なので、最初はスクールコースに入会となった。

 当時、私は4年~6年生の選手コースのコーチ。最初、面識はなかった。

 だがスクールコースのコーチから、彼が入会した夜に連絡があった。
『凄い子が入ったので、ぜひ確認にきてください!』と。

 さっそく彼の二回目の練習日、私は確認に行くことにした。

 スクールコースの見学は久しぶりだった。
 練習場では小学一年生の集団が、サッカーボールで練習していた。

 いや、遊んでいるといった方が的確かもしれない。
 まだ低学年の子どもたちは、団子状態でボールに群がっていたのだ。
 懐かしくもあり、微笑ましい光景である。

 だが集団の中に、一人の選手だけは異様な子供がいた。
 そんな団子状態でも、一人だけ“サッカー”をしていた。
 周囲を確認して、的確にポジショニングをしていたのだ。

 観察をして、更に驚いた。
 その少年はみんなに、指示を出していたのだ。敵味方の関係なく声をかけていく。

 その影響もあり、団子状態は段々と崩れていく。
 少年が指示したことによって、全員がサッカーを理解していたのだ。

(しかも、あのテクニック……それにボールコントロール……本当に一年生か?)

 更に圧巻だったのは、彼の個人技。
 明らかに別格の基礎力を、すでに身につけていたのだ。
 つい先月まで幼稚園児だった者とは思えない、見事な技術であった。

 のちに親御さんに聞いた話では、幼稚園の頃は家で練習していたという。
 あの基礎技術を一人で……とにかく凄すぎる逸材だった。

 その日の内に、コーチ陣による緊急会議が行われた。
 議題は『野呂コータの今後の扱いについて』だ。

 とりあえず彼はまだ小学一年生。
 1年間はスクールコースに在籍きてもらうことにした。



 翌年、野呂コータが小学二年生になった年。
 彼を4年生の選手コースに昇格させた。
 2、3年では、もはや練習相にならなかったのだ。

 小学二年が選手コースに昇格したのは、当チームで初めての試みであった。
 まだ歴史が浅いとはいえ前代未聞といえよう。

 野呂コータは4年生と練習しても、引けを取らなかった。
 それどころか4年のレギュラー選手よりも、はるかに上手かったのだ。

 さすがに体格差があるので、シュート力や走る速さでは敵わない。
 だがそれ以外の基礎力とテクニック、判断力など……他は全てにおいて、4年生を上回っていたのだ。

 まったく凄い少年が入会してきたものである。
 私たちスタッフは、彼の将来が楽しみにしていた。
 もしかしたら、野呂コータはリベリーロ弘前ひろさきの“柱”になるかもしれないと。

 だが、この年の夏休み。
 更に事件が起こる。
 なんと、あの“澤村ナオト”の息子が体験入会してきたのだ。

 澤村ナオトといえば、数年前までJ1の横浜マリナーズのエースストライカーだった、有名なプロ選手である。

 引退した今は、小さな子どもがいるとは聞いていた。
 だが、まさか息子がウチのチームに入会してくるとは思ってもみなかったのだ。

 体験ということで、とりあえず4年生の選手コースに入会してもらうことにした。

『ああ、ヤバイのが、また来たな』

 これが澤村ヒョウマに対する、私の第一印象だった。
 現役時代の澤村ナオトを彷彿ほうふつとさせる、息子も才能の持ち主だったのだ。

 野呂コータとは全く別のタイプだが、同じくらいに飛びぬけた少年だった。

 その後、また驚いたことが起きた。
 なんと澤村ヒョウマが正式に入会してきたのだ。
 親の仕事の都合で、この街に引っ越してきたという。

“野呂コータと澤村ヒョウマ”

 この二人はどんな、とんでもない化学反応を起こすのであろうか?
 その時の私は子どものようにワクワクしていた。



 その後、化学反応は爆発する。

 野呂コータが3年生の時には、地区大会と県大会を初優勝。
 そのまま全国大会でも、ベスト8という好成績を収めたのだ。

 まさかの快挙に、当チームのスタッフは沸き立った。
 地元新聞にも取材されて、新加入の子どもたちが増えていった。

 更に地元企業のスポンサーが増えて、運営費が一気に増えたのだ。



 だが、これは序章に過ぎなかった。
 翌年の野呂コータたちが4年生の時に、信じられないことが起きた。

 なんと全国大会で優勝することが出来たのだ。
 全国に数千チームある小学生ジュニアチーム……その頂点に立ったのである。

 これには当時の私も驚いた。
 何しろチームを優勝に導いたのは、野呂コータと澤村ヒョウマの4年生コンビだったのである。
 この二人は名門Jジュニアチームを圧倒したのだ。

 全国で優勝できたことにより、チームは全国紙やTVの取材も受ける。
 私も大学時代のチームメイトや恩師から、祝いの電話が止まらなかった。

 更にスポンサーと会員数は増大して、当クラブは大きくなっていく。



 野呂コータと澤村ヒョウマが5年の時。更に驚愕のことが起きた。

 なんと二人は中学生年代U-15ナショナルトレセンに、招集されたのだ。

 更にU-15日本代表に選出された。

 そしてU-15日本代表のレギュラー選手として、U-15アジア大会に参加。
 世代別のアジアチャンピョンという偉業を達成して帰国してきたのである。

はっはっは……。

 ここまでくれば、当時の私も意味が分からなってきた。
 まるで夢を見ているようだった。

 だが同時に、一人のサッカー関係者として興奮していた。

 衛星で放送された、その時のアジア大会の試合。
 そこでU-15日の丸のユニフォームを着て奮闘する、野呂コータと澤村ヒョウマの姿を見て感動していた。

 大人のような体格の各国の代表選手に、一歩も引けを取らない二人の姿に涙すらしていた。

(ああ、将来の日本代表候補の子どもたちを、私は預かっていたんだな……)

 この時、私はそう自覚した。
 だからといって、二人を贔屓ひいきするつもりはない。
 今まで通りに平等に接するのが良策なのであろう。

 アジア大会の数日後。
 帰国してきた二人は、大きく成長していた。

 その後の全国大会でも優勝。コータと澤村の二人を中心にして、連覇することができたのだ。

 全国大会2連覇の影響もあって、当クラブには更に入会者が増えていく。
 また日本大手のスポーツメーカーと清涼飲料水メーカーが、リベリーロ弘前のスポンサーになりたいと名乗り出てきた。

 その収入増のお陰もあり、チームの設備は整っていく。
 練習場も増設して、室内用の練習場も確保できた。

 更にコーチ陣の給料も大幅に増える。そのお陰で、私は車を買い替えることができた。



 翌年、野呂コータは6年生になる。
 チームメイトの満場一致で、彼をキャプテンに指名した。

 新キャプテンは最初ぎこちなかったが、すぐに力を発揮していた。
 立派なキャプテンとして、チームをまとめていったのだ。

 今年はU-15の招集もないと連絡を受けていた。
 それなら彼とチームも落ち着いて、チームでプレイを出来るであろう。
 昨年とは違い、今年は落ち着いたチーム運営ができそうだ。

 だが今年もサプライズ・イベントが起きた。
 なんと“U-12ワールドカップ”の国内予選に招待されたのだ。

 そして国内予選で並みいるJクラブU-12チームを破って、日本代表チームになった。
 地方の街クラブにすぎないリベリーロ弘前ひろさきが、ジュニア・サムライブルーに選ばれたのだ。

“U-12ワールドカップ”本戦はフランスのパリで開催される。
 そのため事前準備は、本当に大変だった。

 私たちスタッフは、日本サッカー協会と何回も打ち合わせしていく。
 旅行代理店と選手の親御さんとも、何度も会議をしていく。
 これも子どもたちにベストな行程を考えるためだ。

 そんな頑張りもあり、無事にパリにいくことができた。
 私も初めてのヨーロッパだったので緊張する。
 むしろ本番ヨーロッパの空気に飲まれそうになっていた。

 だが“U-12ワールドカップ”の予選リーグが始まって、私は安堵した。
 小学生年代の日本サッカーは、予選で通用したのだ。
 自分たちリベリーロ弘前ひろさきのサッカーは、世界とも戦えたのだ。

 そんな予選リーグの中でも、私をとんでもなく驚かせた選手がいた。
 スペイン代表のセルビオ・ガルシアという少年だった。

 予選リーグのプレイを見て、私は驚愕した。

“世界トップクラスの天才プレイヤー”

 TVや雑誌で使われる陳腐な言葉ではなく、本当に実在していたのだ。
 将来、ヨーロッパリーグでスーパースターになるのは、ああいった選手なのだろう。この時に初めて実感した。

(今回ばかりは負けるかもしれないな……)

 予選リーグの時。密かに私は覚悟していた。

 うちの野呂コータと澤村ヒョウマも、この大会でも群を抜いていた。
 だがセルビオ・ガルシアは更に別次元の才能の選手だったのだ。

 そんな絶望の中でも、コータは諦めていなかった。
 むしろ生き生きとしていたのだ。

 セルビオ・ガルシアの凄さを素直に認めると同時に、行動を起こしていた。
 対抗策を考えて、澤村が成長するように課題を与える。
 さらにチームメイトにも成長する“かせの作戦”を実行していたのだ。

(子どもたちの方が、私より前向きだったというのか……)

 こうなったら私は手助けするだけだった。
 コータの作戦と子どもたちをサポートしていく。

 そして、奇跡は起きた。

 セルビオ・ガルシアを抑えて、リベリーロ弘前ひろさきは優勝できたのだ。
 ワールドカップの決勝戦も行われたパリのあのスタジアムで、優勝台に乗ることができたのだ。

 私の現役サッカー人生は、大学の部活で終わっていた。
 その後はプロテストに落ちで、地元のコーチに就職した人生である。
 優勝台の上に乗る子どもたちを見た時、私にとって本当に夢のような瞬間であった。

 世界大会を制覇したチームは、大きく成長していた。
 その後の12月の全国大会も優勝して、3連覇と快挙を達成した。

 ここ3年間のリベリーロ弘前ひろさきの大躍進。
 世間的に澤村ヒョウマの功績が評価されている。
 何しろ圧倒的な得点力で、華があるストライカーだからだ。

 だが私は知っている。
 リベリーロ弘前ひろさきの躍進の人物は、野呂コータだったことを。

 影のように地味なプレイが多いが、常にチームの中心だった少年。
 月のようなコータがいたからこそ、澤村ヒョウマも輝くことができたのだ。

 そんなコータは横浜マリナーズのスカウトを断り、新しい人生に挑戦しようとしていた。

 今思い返しても、コータと過ごした5年間は、本当に夢のような日々。
 そして私にとっても、“第二の青春”ともいえるサッカーの人生であった。



「あっ。そういえば、リベリーロ弘前ひろさきさん。例のあのJクラブからのスカウトを断ったという噂は、本当ですか?」

 居酒屋話に戻ってきた。

 周りのコーチから聞かれる。
 実は私も、あるJクラブからコーチとして、スカウトを受けていたのだ。

「はい、丁重にお断りしました。私には早すぎる話でした」

 だが私は断っていた。
 正直なところ給料や将来性では、スカウトマンの提示した条件は魅力的であった。

「ええー、なんと⁉ もったいないですな!」
「そうですよ。なんで、あのチームの誘いを?」

 他のコーチは信じられない顔をしている。
 名門Jクラブからのスカウトは、地方のコーチにとっても夢の階段なのだ。

「チームが結果を出せたのは私の力ではありません。子どもたちのお蔭です」

 先月に引退した6年生の顔を、思い浮かべる。
 野呂コータという、いつも眩しいくらいに輝いていた笑顔を。

「それに私には仕事が残っています。今年の全国大会でも優勝するつもりです、我がリベリーロ弘前ひろさきは」

「なるほど。でも今年は、さすがに難しいのでは?」
「たしかに! おたくの澤村ヒョウマ君は引退しちゃってますからね」

 野呂コータの凄さは、ここにいるコーチ陣も気が付いていない。
 たしかにコータと澤村が抜けたのは、大きな戦力ダウンである。

「大丈夫です。6年生の“リベリーロ魂”が、新チームにも引き継がれていますから」

 だが私に4連覇できる自信があった。
 何故なら野呂コータが残した功績は大きい。

 彼の背中を見て育った後輩たちは、いつも自主的に練習に取り組んでいる。
 年がら年中、みんなサッカーのことばかり考えているのだ。

(それに4連覇できなかったら、コータに何を言われるか分からないからな……)

 三十路で彼女がいなくて、足が臭いコーチである私は、コータの顔を思い浮かべて苦笑いするのであった。

ツギクルバナー
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ