第19話【閑話】:野呂コウタの母親の話
《野呂コウタの母親の話》
子どもたちの夏休み、二日目の朝。
長男のコウタと長女の葵は、先ほどサッカーの朝練に出て行った。
毎朝6時から朝練をして、8時に帰ってくる。平日や日曜祝日も関係なく、朝練は毎日続いていた。
サッカーの上達のための日課とはいえ、本当によく続くものである。
母親として、つくづく感心する。
さて、あの子たちが帰ってくる8時までに、朝ごはんの準備をしておかないと。それから洗濯掃除も
サッカーを始めてから子どもたちは、ご飯を沢山食べるようなった。
これが俗にいう“育ち盛り”なのであろう。本当によく食べる。
今日もサッカーのために栄養満点の料理を、丹精込めて作ってあげないと。
「そういえば、あなた……昨日のコウちゃん、少し変でしたよね?」
「ん、そうか? いつも通りに元気だったぞ。はっはっは……」
主人はあまり小さなことを気にしないタイプ。
昨日の息子の変化に、気が付いていなかったのであろう。少し大ざっぱだが、そこが夫の長所で好きなのだが。
でも昨日の息子は、本当に変だった。
何しろ日課の自主練の時間が、いつもより少なかったのである。あんなに自主練をしなかったのは、初めてのことである
また急に練習試合の動画を、家族全員で見たいと言い出した。
その後は外出したと思えば、帰ってきて、いきなり泣き出した。
更に一緒にお風呂に入ったり、家族四人で寝たいと言い出したのだ。
「ママ。コウタも、まだ小学生4年生だ。甘えたい時も、あるんだろう?」
「そうかもしれませんね……」
夫のそう言われたが、私の心は何かに引っかかっていた。
何故なら、ここだけの話。
長男のコウタは幼い頃から少し変わっていた。
何と説明すればいいか、分からないけど……“大人びいて”いたのだ。
産まれた時は普通の赤ちゃん。
でも幼稚園の年少の3歳の頃に、サッカーボールを買ってもらった時。
今でも覚えている。あの日から、少し変だった。
3歳のコウタはサッカーボールで、常に遊び始める。
朝から寝る前まで、ずっとだ。
それこそ大げさな話、寝ている時と、幼稚園に行っている時間。それ以外は、いつもサッカーボールを触っていたのだ。
『子どもだから、サッカーボールが好きなんだろう? 元気だな! はっはっは……』
当時、相談した主人は、そう笑っていた。
むしろ息子がサッカーをやることを、嬉しそうにしていた。
でもコウタはまだ3歳。異常なまでの集中力で、いつも自主練していたのだ。
気になって私は、幼稚園の先生に相談してみた。
でも、返ってきた答えは
『コウタは幼稚園で、とても優秀な生徒。活発的で、皆を率先して率いるリーダー格』
だった。
むしろ先生はコウタのことを絶賛していたのだ。
もしかしたら、私の思い違いなのか?
運動する男の子は、みんなこんな感じなのかな?
そう思うようにした。
◇
コウタが小学生に入った時、地元のサッカーチームに入会した。
特別に強豪ではなく、普通の新設のチームだ。
それから息子のサッカー漬けの毎日は、更に加速していった。
まず家にいなくなった。
家にいるのは寝ている時と、風呂、食事の時だけ。
それ以外はチームグラウンドに行って、一人で自主練をしていた。
これは毎日のことだった。
夏休みやGW、正月休みも関係なく、それこそ365日。一日も欠かさずに、サッカーの自主練を続けていた。
また私は不安なった。
そこで同じチームのママさんたちに相談してみた。
ママさん情報によると、他の子どもたちもサッカーに夢中だという。
でも家ではTVをゴロゴロ見たり、ゲームをやってダラダラしているという。
なるほど、ゲームか……そう思った私は、試しに携帯ゲームを買ってみた。
子どもたちに大人気のソフトと一緒に。
これは“県外のおばあちゃんからのクリスマスプレゼント”ということにした。
でも、コウタはゲームに見向きもせずに、サッカーの自主練に出かけていった。
ゲームの箱を見ただけで、ため息。そのまま何も言わずに、去っていったのだ。
むしろパパの買ってあげた、新デザインのサツカースパイクに大喜びしていた。
うーん。
息子の頭の中は、サッカーしか無いのか?
更に不安になって、小学校のクラスの担任の先生に相談してみた。
もしかしたら“コウタは学校で浮いていないか?”
そう不安になったのだ。
『えっ、心配? コウタ君はスポーツ万能で、成績も学年でトップ。クラスでも人気者ですよ』
なんと幼稚園に続いて、小学校でも息子は人気者。しかも勉強の成績が学年で一番だという。
そういえば、あの子が家で勉強をしているのを、私は見たことがない。
宿題もいつの間にか全部終わらせていた。
その空いた時間を、全てサッカーの自主練に費やしていた。
やはり私の心配しすぎなのかな?
そんな中。息子が3年の時に、チームが全国大会に出場した。
他の5、6年の先輩を押しのけて、レギュラーで大活躍をしたのだ。
これは私も素直に嬉しかった。パパに至っては歓喜していた。
『よし、家族全員で鹿児島まで応援に行こう!』
パパの発案で全国大会の応援に、家族全員で行くことにした。
会場の鹿児島県までは、飛行機を乗り継いだ長時間の旅。旅行費用はかかるけど財布係りの私は、そこは心配していなかった。
何しろコウタと葵の二人は、異様なほどにお金がかからない。
オモチャやゲーム、洋服など一切欲しがらない。その浮いた分のお金を、全てサッカーに使えるのだ。
『ママ、今月も給料がアップしていたぞ! はっはっは……』
それにパパも仕事を頑張っていた。
息子がサッカーを頑張っているのが、本当に嬉しかったのであろう。息子がサッカーを始めてから、自分の営業の成績をドンドン上げいったのだ。
いつの間にかパパの給料は、以前よりかなり増えていた。
『次の土日はコウタの地方大会か……よし、パパも頑張っちゃうぞ!』
コウタの試合を観に行くために、パパは平日ひたすら仕事を頑張る。その攻めの姿勢が、営業成績の好調に結びついたらしい。
こう考えてみると、私たちの家族はサッカーが中心になっていた。
いつの間にか娘の葵まで、サッカー漬けの日々。葵はお兄のことが大好きなので、近づくために一生懸命に練習をしていた。
夕飯の後の家族の団らんの時間。
我が家では毎日のようにサッカー番組を、4人で観るのが日課になっていた。
お蔭で私も、いっぱしのサッカー情報通になっていた。
あと家族旅行といえばJリーグの試合観戦が定番。全国各地にJの試合を、家族全員で見に行くのだ。
現地では美味しい食べ物を買って、大人たちはお酒を飲みながら試合観戦。
有名選手たちのスーパープレイに、家族全員で大興奮していた。
サッカー旅行はいつも本当に楽しかった。
そう考えると……息子たちがサッカーっ子なのは、実は幸せなのかもしれない。
他の家庭では、ここまで家族で盛り上がれないと聞く。
◇
「お母さん、ただいまー!」
「ママ、お腹空いた!」
いつの間にか8時になっていた。
子どもたちが朝練から帰ってきたのだ。
「今日の朝ごはんは、炭水化物とタンパク質が中心かな? 食後1時間以内の栄養は、サッカー選手の成長に大事なんよ、お母さん!」
コウタはサッカーうんちくを語りながら、ご飯を食べていく。
口から食べ物をこぼしながら、本当に美味しそうに食べている。
「葵もたくさん食べて、早く大きくなる!」
兄に負けないように葵も、元気に沢山食べていた。
本当に二人とも美味しそうに、ご飯を食べてくれる。
そんな嬉しい光景を見ていたら、さっきまでの悩みがどっか飛んでいく。
やっぱりコウタは変な子なんかじゃない。絶対に断定できる。
だって、うちの子どもたちは、こんなにも真っすぐで元気。
世界中の誰にも負けない、自慢の息子と娘なんだから……
「お母さん、ご飯、お替り!」
「葵も!」
「はい、どうぞ。ちゃんと、よく噛んで食べるのよ」
母親である私が、子どもたちに出来ることは限られている。
美味しくて栄養のある料理の準備。
毎日、汚してくるユニフォームの洗濯の山。
風邪を引かないように、暖かい家の中の準備。
それからボロボロのサッカーシューズも、そろそろ新しいのを買わないと……。
さぁて……私も二人に負けないように、ママさんサポーターとして頑張らないと。
でも、いつかは子供たちが、本物のプロのサッカー選手になったら……その時は私が一番目のサポーターになるんだから。




