境界の脱皮
1. 覚悟と観測
村を出て三日。街道を外れた「境界の森」の奥深くで、アラトが足を止めた。
「リナ。次の魔物を倒せば、お前の経験値は満たされる。……レベルアップだ」
アラトの横顔は、いつになく真剣だった。
「俺の時のように、肉体の再構築が始まる可能性が高い。それには、心臓を直接掴み出されるような激痛を伴う。……覚悟はできているか?」
アラトが見せた、あの血を吐くような絶叫。リナの指先が微かに震える。けれど、彼女は真っ直ぐにアラトを見上げた。
「うん……。それでアラトの役に立てるなら、私、耐えられるよ」
「……そうか。なら、俺を信じろ。一瞬で終わらせる」
アラトの手が、リナの銀髪にポンと置かれる。その温かさが、逃げ出したいほどの恐怖を「戦う理由」へと書き換えた。
2. 執行の瞬間
茂みが激しく揺れ、銀灰色の毛並みを持つ巨体――大牙狼が姿を現した。
「リナ、見ろ!!」
「……っ、はい!!」
リナは恐怖をねじ伏せ、瞳に魔力を凝らす。アラトが石礫を投げ、狼の注意を惹きつけた瞬間、彼女の『魔力視』が狼の体内を流れる魔力の奔流を捉えた。
(見えた……そこ!!)
「アラト、右の喉元! 魔力が渦巻いて、色が薄くなってる!!」
「了解だ。……捉えたぞ」
叫びに応じ、アラトが爆発的な踏み込みを見せた。
アラトのナイフが、リナの指し示した「綻び」へ、寸分の狂いなく吸い込まれた。
ドサリ、と重い肉塊が地面に転がる。
二人の力が完璧に噛み合った瞬間、リナの頭の奥で、無機質な音が鳴り響いた。
3. 美しき脱皮と「無限収納」のストック
【経験値:1000 / 1000】
【レベルアップ:1 → 2】
心臓が爆発し、全身の骨格が作り変えられるような激痛がリナを襲った。
「……っ、が、あああああああッ!!」
リナは泥の中に跪き、激しく吐血した。肺が焼け、筋肉が千切れ、より強靭な組織へと再構築されていく地獄の苦しみ。
「耐えろ、リナ。これがお前を縛っていた世界の殻を破る痛みだ」
数分後。痛みが引き、リナが顔を上げた瞬間、アラトは思わず息を呑んだ。
慢性的な栄養失調でガリガリだった体は、劇的に変化していた。鎖骨のラインは健康的になり、ぼろぼろの布切れのような服の上からでも、女性らしい柔らかな曲線を描いているのが分かる。発光するかのような銀髪と、知力「95」がもたらす凛とした知的な光。
しかし、レベルアップの負荷で服のあちこちが裂け、白い肌が露出していた。
「……あ!!」
自分の状況に気づいたリナが顔を真っ赤にする。アラトは慌てて視線を逸らし、自らの『無限収納』に手を突っ込んだ。
「……流石に狩りたての狼は生臭いからな。ドブさらってた頃に、廃棄場で見つけて洗浄しておいた『銀猫の加工毛皮』がある。……待ってろ」
アラトが取り出したのは、防魔処理が施されたしなやかな銀色の毛皮だった。手際よく蔓で繋ぎ、リナの肩を覆うマントに仕立てる。
「……はい、これ。とりあえずこれで体を隠せ」
「……ありがとう、アラト」
狼の皮を被った時よりもずっと、彼女の美しさは際立っていた。




