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【御礼20,000PV到達】戸侯記  作者: 和音
■第四章■

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28 壱岐【文禄の役-駆け引き】


天正二十年(1592年)文月(7月)下旬――壱岐・勝本城。



夜。

風は強く海は荒れていた。

波が岩に砕け白く散っている。


城の上に永重(ながしげ)は一人で立っていた。

沖には何も見えない。


だが――いる。

見えぬだけで確実に。


「……海では勝てぬか」

小さく(つぶや)いた。


その背後で足音。

「若殿」

重兼(しげかね)だった。


続いて伊織(いおり)半佐(はんざ)月心(げっしん)も来る。

「皆、呼び立ててすまぬな」

永重は振り向かずに言った。

「策を考えたい。そして上申する」


重兼が笑う。

「待っておりました」

永重はうっすらと笑った。


「――これまでは対処だ」

表情を引き締めて

「ここからは、仕掛ける」


三人の顔が引き締まる。

永重は地面に置かれた板へ歩み寄った。

簡単な海図があり、壱岐(いき)対馬(つしま)・朝鮮の位置が記されている。


「敵は海にいる」

指でなぞる。

「そして、海で戦えば勝てぬ」


誰も否定しない。

「ならば――」

指が止まる。そこは壱岐。

「ここから動かす」


半佐が首を傾げる。

「……動かす?」

永重は頷く。

「敵をな」

一瞬の沈黙。


伊織が目を細める。

「海から……引き離すと?」

「そうだ」

永重は答えた。

「だが、海上で誘うのではない」

重兼が笑う。

「ではどうなさる?」

永重は言った。

「"来ざるを得ぬ理由"を作ればよいのだ」

月心が静かに問う。

「敵が陸へ近づく理由……」

永重は頷いた。

()舜臣(スンシン)は賢い」

李舜臣の名を出す。

「無駄な上陸はせぬ。城も攻めぬ。

ならば――」

指で壱岐の北側を叩く。

「"攻めねばならぬもの"を置く」


重兼が眉を上げる。

(おとり)ですか?」

「違う」

永重は首を振る。

「餌だ」


その言葉に、空気が変わる。

伊織が低く言う。

「……何を置くのです?」

永重は少し間を置き――

「船だ」

「……?」

半佐が戸惑う。


永重は続ける。

「だが、動かぬ船だ」


重兼が笑う。

「沈めるのではなく?」

「違う」

永重は地図に印をつける。

「ここに“仮の港”を作る」

壱岐の外れの小さな入り江。


伊織が理解する。

「荷をそこに集める……と見せる?」

永重は頷く。

「そうだ」

続ける。

「本当の流れは変えぬ。だが、見える流れを変える」


月心が静かに言う。

「偽の血管……」

「そうだ」

永重の目が光る。

「李舜臣は、流れを見る」

少し間を置いて

「ならば、見せればいい」

重兼が腕を組む。

「しかし、近づいてこなければ意味がないのでは……」

永重は答える。

「来る」

断言だった。


「理由を作ればいい」

そして続ける。

「そこに火を置く」

半佐が驚く。

「火?」

「夜だ」

永重は言った。

「灯りを増やす。荷があるように見せる」


伊織が頷く。

「守りも薄く見せる」

「そうだ」

永重はさらに言う。

「そして――一度、わざと襲わせる」


重兼が低く笑う。

「食わせるわけですな」

「うむ」

永重は頷く。

「成功させる」


その言葉に、半佐が息を呑む。

「……よろしいのですか」

永重は静かに言った。

「小さく勝たせる。

そうすれば――」

伊織が続ける。

「次も来る。そして近づく」

永重は頷いた。

「その時だ」


重兼の目が鋭くなる。

「陸へ……」

「そうだ」

永重は言った。

「浅瀬へ誘い込む。

杭ではない。地形だ」


月心が小さく呟く。

「潮……」

永重は頷いた。

「引き潮の時刻」


「岩場。そして砂州」

指でいくつも示す。

「船は動けぬ」

一拍。

「だが人は動ける」


伊織が低く言う。

「……上陸させる」

「そして叩く」

永重は静かに言った。


重兼が笑った。

「ようやく、我らの戦になりますな」

永重は海を見た。

「だが」

その声は低い。

「一度でも見抜かれれば終わりだ」


誰も口を開かない。


風が強くなる。

遠くで波が砕ける。

永重は小さく呟いた。

「……賭けだな」


伊織が答える。

「相手も賭けを打ってきます」


重兼が言う。

「それが戦です」


しばし沈黙。

やがて永重は振り返った。

「やるぞ」


三人が頷く。

半佐も、力強く言った。

「はっ」



その夜から――

壱岐の北に、小さな“偽の港”が作られ始めた。


灯りが増える。

船が集まる。

人が動く。


だがそれはすべて――見せるための流れ。


海の向こう。

見えぬ敵に向けた、挑戦だった。


そしてその動きは、やがて――

李舜臣の目にも映ることになる。




--------------------------




天正二十年(1592年)文月(7月)下旬――壱岐北方・仮設港。


夜。

潮は引き始めていた。


空は晴れ、月が海を照らしている。


偽の港。

灯りが揺れる。

船が並ぶ。

人が動く。


――すべて、作られた光景。


永重は丘の上に立っていた。

「……来るか」

隣には重兼、伊織、月心。

半佐は浜に配置されている。


伊織が低く言う。

「前の餌は食いました」


重兼が笑う。

「ならば今回も来る」


だが――永重は答えない。


ただ海を見る。

その時。


「船影!」

見張りの声。

全員の視線が沖へ向く。


影が動いている。

その数――五。


少ない。


重兼が眉をひそめる。

「……少なすぎますな」


伊織も言う。

「本気ではない」


永重は静かに言った。

「来たな」


船はゆっくりと近づいてくる。

一直線ではない。

探るように。


月心が呟く。

「……見ている」


永重は頷いた。

「試している」


やがて船は湾の入口へ差し掛かる。

潮はさらに引いている。

海面にうっすらと影が見える。


岩。

砂州。


だが夜では判別しにくい。

「そのまま入れ……」

半佐が浜で小さく呟いた。


船はさらに近づく。

一艘がわずかに進路を変えた。


重兼が目を細める。

「……嫌な動きだ」


その瞬間。


ゴリ、と鈍い音。

船体が止まる。


「乗り上げた!」

半佐の声が響く。


一艘が浅瀬に捕まった。


続く二艘が避けきれず減速する。


その瞬間――

永重の手が上がる。

「今だ」


合図。


浜から火が上がる。

そして松明が一斉に灯る。


隠れていた兵が姿を現す。

「弓隊!」

放て!!」


矢が夜空を裂く。


火矢が飛ぶ。


浅瀬に止まった船へ降り注ぐと、船上が一気に混乱する。


「突撃!!」

半佐の声。


足軽が海へ踏み込む。

膝までの水。

だが進める。


槍を構えて船へ向かう。

「かかれえええ!!」

叫びが響く。


――陸の戦。


船上の兵も応戦するが、足場が悪い。

動きが鈍い。


一瞬――

確かに、日本側の優位が生まれた。


丘の上。

重兼が笑う。

「はまった!」


伊織も頷く。

「今です!」


だが――


永重は動かなかった。

「……違う」


低く言ったその時。

沖に残っていた二艘が動いた。


距離を保ったまま。

横に展開する。


伊織が気付く。

「……まさか」


次の瞬間。


轟音。

ド――ン!!


大砲(おおづつ)

浅瀬へ向けて放たれる。


水柱が上がる。

足軽たちの中に悲鳴が挙がる。


「退け!!」

半佐の声が響く。


二射、三射。

正確ではない。


だが――十分だった。

浜の隊が押し戻される。


重兼が歯を食いしばる。

「援護か……!」


伊織が低く言う。

「切り捨てたわけではない」


永重は海を見た。

沖の二艘。


動かない。

近づかない。

だが――支配している。


その間に、浅瀬の船が動いた。


兵が降りる。

軽くする。

櫂で押している。


潮はまだ低かった。

だが、わずかに満ち始めている。


月心が呟く。

「……計っている」

永重の目が鋭くなる。

「時間を」


その通りだった。


砲撃で時間を稼ぎ、潮を待つ。


やがて。

乗り上げた船がゆっくりと動いた。


「離れた……!」

半佐の声。


船が浅瀬から抜ける。

すぐに反転して沖へ。


他の船もそれに続く。


矢が飛ぶ。

だが届かない。

やがて――闇の中へ消えた。


静寂。

波の音だけが残る。


浜には倒れた兵。

そして焼けた船材。

だが――完全な敗北ではない。


重兼が息を吐く。

「……惜しかった」


伊織が苦く笑う。

「一歩届かず、ですな」


半佐が戻ってくる。

「若殿……」


永重は動かなかった。

海を見ている。

やがて言った。

「やはりだ」


三人が見る。


「陸へは来ない」

静かに続ける。

「だが――」

一瞬の間。

「踏み込ませることはできた」


重兼が頷く。

「確かに」


伊織も言う。

「傷は負わせました」


月心が静かに付け加える。

「そして、こちらの意図も見せた」


永重は頷いた。

「そうだ。次はもっと警戒する。

だが――」


海を見る。


「我らも次へ進む」


風が吹く。

波が静かに寄せる。


遠く見えぬ場所で、李舜臣はこの戦をどう見ているのか。


永重は小さく呟いた。

「……届くか」


その問いに答える者はいない。

だが確かなことが一つ。

この戦いは――互いに"理解し始めた"段階に入った。


そしてそれは、最も危険な局面でもあった。




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