27 対馬海峡【文禄の役-海戦】
状況表現が難しかったです。かなり……。
天正二十年(1592年)文月(7月)中旬――壱岐・勝本城。
夜。
雲は厚く月は見えない。
海は黒く沈み、水平線すら曖昧だった。
港では灯りを極力落としていた。
松明は最小限。そして声も低い。
その中で――船が動く。
「第一群、出せ」
永重の声が静かに響いた。
小型の輸送船が五艘。
その後ろに、間を空けて三艘。
さらに離れて二艘。
合計は十。
だが――
重兼が小さく笑う。
「中身は半分以下ですな」
伊織が頷く。
「空船が三、囮が二」
半佐が続ける。
「本荷は中央の三艘のみです」
永重は海を見ていた。
「灯りは出すな。櫂音も揃えよ。
"急いでいる船"を装うな」
三人が頷く。
船団はゆっくりと壱岐の湾を出ていく。
静かに。
気配を消すように。
やがて闇に溶けた。
--------------------------
数刻後――対馬海峡。
雲がさらに厚くなり完全な闇になっていた。
波の音だけが響く。
その中に――影があった。朝鮮水軍である。
音は少ない。
だが、確実にそこにいる。
そして。
「来た」
誰かが呟いた。
遠くに微かな影。
船だ。
一隻。
二隻。
間を置いてさらに。
「……散らしているな」
低い声。
その中央に立つ男――李舜臣。
彼は動かない。
ただ、海を見ている。
「急いでいない」
ぽつりと言った。
「恐れている」
周囲の将が息を呑む。
李舜臣は続ける。
「だが――運んでいる」
目が細くなる。
「どれだ」
誰に言うでもなく呟いた。
船影は近づく。その数は十艘。
だがばらけている。
「……面白い」
李舜臣は小さく言った。
そして、手を上げる。
「三と五」
短い命令。
即座に船が動く。
左右から回り込む。
狙われたのは――中央付近の第二群。
--------------------------
その頃――日本側船団。
「……何も見えませぬな」
半佐が小声で言う。
伊織が低く答える。
「見えた時には遅い」
重兼は笑った。
「それでよい」
三人は中央の船に居た。本荷の一つである。
永重と月心はいない。
永勝より乗船の許可が出ず、ここは彼らに任せていた。
その時――
「火!」
誰かが叫んだ。
そして海の上に突然灯りが浮かんだ。
一つ。
二つ。
三つ。
囲まれている。
「来たか……!」
重兼の声が低くなる。
次の瞬間。
矢が飛んできた。
火矢だ。
一艘の船の帆に突き刺さる。
炎が上がる。
「囮だ!捨てろ!」
すぐに判断が飛ぶ。
囮の船の一つ。
あらかじめ火を広げやすくしてある。
「飛び移れ!」
乗っていた兵が隣の船へ移る。
炎は一気に広がる。
夜の海に大きな火柱が立つ。
――目立つ。
だが、それでいい。
伊織が叫ぶ。
「分かれろ!」
船団がさらに散る。闇の中へ。
--------------------------
朝鮮側。
燃える船を見て将が言う。
「当たりか」
李舜臣は首を振った。
「違う」
即答だった。
「軽い」
炎の上がり方。
沈み方。
「空に近い」
その目はすでに別を見ている。
闇の中の影。
「……あれだ」
指をさす。
一見、目立たぬ一艘。
だが――
「遅い。沈んでいる。そして守られている」
三つが重なった。
「追え」
短い命令。
--------------------------
その頃。
本荷の一艘。
半佐が息を荒くする。
「……追ってきます!」
伊織が舌打ちする。
「見抜かれたか」
だが、重兼は笑った。
「十分だ。一艘に食いつかせた」
周囲を見る。
他の船はすでに闇に消えている。
「走れ!」
櫂が激しく海を打つ。
後ろから――矢。
そして銃声。
水面が跳ねる。
「距離を詰められております!」
半佐の声。
伊織が叫ぶ。
「左へ振れ!潮に乗れ!」
船が大きく傾く。
そして波を切る。
その時――
遠くから角笛の音。
朝鮮側だ。
――動きが止まる。
「……?」
追撃の気配が弱まる。
やがて――消えた。
静寂。
重兼が息を吐く。
「……助かったか」
伊織が振り返る。
「なぜ追わぬ」
--------------------------
朝鮮側。
将が問う。
「なぜ止めたのですか?」
李舜臣は答えた。
「十分だ」
燃える囮船。
逃げる影。
「見えた」
それだけだった。
「これ以上追えば散る。夜は深い」
そして一言。
「価値に見合わぬ」
将が頷く。
追撃は終わった。
--------------------------
数日後――壱岐・勝本城。
港に船が戻った。
その数は三艘。
本荷のうち二艘は無事だった。
一艘は――損傷していた。
だが沈んではいなかった。
半佐が報告する。
「兵糧、大半は無事にございます」
重兼が笑った。
「上出来だな」
伊織も頷く。
「半分通せば十分」
だが――
永重は笑っていなかった。
「……二度は通じぬ」
静かに言った。
三人が見る。
永重は続ける。
「見られた。選ばれた。
そして――見逃された」
重兼の顔から笑みが消える。
伊織も黙る。
永重は海を見た。
「主導権はまだ向こうにある」
風が吹く。
港では、また次の荷が積まれている。
止まらぬ流れ。
だがその流れは常に誰かに見られている。
永重は小さく呟いた。
「……次は、どうする」
その問いに答えはない。
ただ一つ確かなのは。
相手が――
李舜臣であるということだけだった。




