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【御礼20,000PV到達】戸侯記  作者: 和音
■第四章■

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92/114

25-6 壱岐勝本城【文禄の役-会敵】

この回より、一話あたりの文字数を少し増やしていこうと思います。

(シーンによっては従来レベルの場合もあります)


天正二十年(1592年)水無月(みなづき)(6月)下旬――壱岐・勝本城沖。



朝日が完全に昇った。海は光を反射し眩しいほどに白く輝いている。

だが――その光の中に黒い影が並んでいた。

朝鮮水軍である。


「距離、二町!」

見張りの声が響く。


永重(ながしげ)は城の上からそれを見ていた。整然とした横陣。

速度を合わせ、なおかつ乱れがない。

(統制が違う……)

重兼(しげかね)が低く言った。

「若殿、もう射程です」


永重は一瞬だけ考え――

「まだだ」

と答えた。


敵はさらに近づく。

湾口。

沈船と杭のある海域。


その手前でぴたりと止まった。


伊織(いおり)が目を細める。

「入って来ませぬな」

「入る必要がないからだ」

永重が言った。


次の瞬間。

朝鮮船団の前列がわずかに開く。

そして――後列。

そこに並んでいた数隻がゆっくりと前へ出た。


「……来るぞ」

重兼が呟く。

船の側面から突き出されるもの。長い筒が見える。


「鉄炮?……いや」

伊織の声が変わる。

大砲(おおづつ)か!」


次の瞬間。


轟音。

空気が震えた。


ドーーーーーン!!


白煙が上がる。砲弾が海面を叩き、水柱が立つ。

城内がどよめいた。

「砲撃だ!」


続けざまに第二射。

今度は――湾内。水柱がさらに近づく。


重兼が歯を食いしばる。

「届く……!」

永重は静かに言った。

「見せに来たな」


三射、四射。狙いは正確ではない。

だが――距離を測っている。


測距(そっきょ)……」

月心(げっしん)(つぶや)いた。

永重は頷く。

「そして威圧だ」


朝鮮水軍は動かない。

湾口の外に留まりただただ砲を放つ。

その様は――


「……壁のようですな」

伊織の言葉に誰も反論しなかった。


永勝(ながかつ)が口を開く。

「どうする」

永重は即答しなかった。

海を見る。敵は入ってこない。

こちらを引きずり出そうとしている。

関船を出せば――外で戦うことになる。

そしてそれは相手の土俵だ。


永重は言った。

「出すべきではありませぬ」

重兼が頷く。

「賢明ですな」

だがその時、一隻の朝鮮船がゆっくりと前へ出た。


他よりも大きい。

そして――異様だった。

甲板が板で覆われている。

まるで屋根のように。


伊織が息を呑む。

「……あれは」

矢を防ぐための構造。突撃用の船。

亀甲船(きっこうせん)……」

月心が呟いた。


その船は沈船と杭の手前まで進んだ。

そして止まった。


しばしの静寂。やがて――

船上の一人の武将が前に出た。


距離は遠い。

しかしその姿だけははっきりと見えた。

微動だにしない。旗も振らない。

ただ――こちらを見ている。


永重もまた動かなかった。

いや、動けなかった。


二人の間には海がある。

その海を挟んで――測り合っている。


やがて、その武将がわずかに手を上げた。

すると――

朝鮮船団が一斉に動いた。

船が次々と回頭する。

そしてそのまま沖へと離脱を始めた。


「……退()く?」

重兼が言う。

伊織が首を振る。

「違いますな」

永重は静かに言った。

「終わったのだ。見るべきものを見終えた」


船団は整然と離れていく。

追撃は不可能。追えばこちらが不利になる。

永勝が言った。

「行かせるか」

永重は頷いた。

「はい。そのほうがよろしいかと」


海は再び静かになった。

ただ、砲煙の名残(なごり)が漂っている。


しばしの沈黙。

やがて重兼が言った。

「……退(しりぞ)けた、とは言えませぬな」

伊織が苦笑する。

「負けてもおりませぬが」

永重は海を見たまま言った。

「いや」

少し間を置いて

「負けている」


二人が見る。

永重は続けた。

「相手は何も失っていない。

しかしこちらは手の内を見せた」


沈船。

杭。

弓の射程。

関船の配置。

すべてを見られた。


重兼が低く唸る。

「……確かに」

永勝が腕を組む。

「ではどうする」

永重はゆっくりと答えた。

「変えましょう。すべて」


海風が強くなる。

遠く、朝鮮船団の影は小さくなっていく。

だが――その存在感だけは消えなかった。


重兼がぽつりと呟いた。

「若殿」

「なんだ」

「本当に海では戦わぬおつもりで?」

永重は少しだけ笑った。

「戦わぬとは言っていない」

そして海を見たまま言った。

「勝てる場所で戦うだけだ」


壱岐の港では再び荷の積み替えが始まっていた。

兵站は止まらない。

戦もまた、止まらない。


そしてその先――

海の覇を握る男との戦いは、まだ始まったばかりであった。




--------------------------




日が変わって。

天正二十年(1592年)文月(ふみづき)(7月)初旬――壱岐・勝本城。


朝から空は重かった。

雲が低く垂れ込めて海もどこか鈍い色をしている。


港ではいつも通り荷の積み替えが行われていたが――

人の動きにわずかな焦りが混じっていた。


そのとき、城門の方から激しい蹄の音が響いた。

「伝令!」

兵たちが道を開ける。

泥にまみれた騎馬武者がそのまま城内へ駆け込んできた。


馬を降りるなり叫ぶ。

対馬(つしま)より急報!!」

空気が一変した。


永勝が前へ出る。

「申せ」

伝令は息を切らしながら言った。

「海上にて、我が輸送船団――襲撃を受けまして(そうろう)!」


ざわめきが走る。

重兼が低く言う。

「……来ましたな」


伝令は続けた。

「護衛の関船、これを迎え撃つも――」

一瞬言葉に詰まる。

「……敵船速く、また火器多く――」

歯を食いしばり、絞り出すように言った。

「撃退ならず!」


沈黙。

波の音だけが聞こえた。


永勝が静かに問う。

「被害は」

伝令は答えた。

「輸送船、十数(そう)焼失」

半佐が息を呑む。

伝令は続けた。

「兵糧の損耗……大」


重兼が舌打ちする。

「まずいな」

永勝は顔色を変えなかった。

「敵は」

「朝鮮水軍――」

伝令ははっきりと言った。

「将、()舜臣(スンシン)


その名が重く落ちた。

永重は目を閉じ、そして開いた。

(やはり来たか)

伝令はさらに続ける。

「敵、深追いはせず。

船団を焼いたのちすぐに退いた由」


伊織が低く言う。

「……徹底しておりますな」

重兼も頷く。

「戦う気があるのは船だけか」


永重は静かに言った。

「違う」

二人が見る。

「戦っている。

ただし――目的が違う」


永勝が腕を組む。

「どういうことだ」

永重は答えた。

「船を沈めるためではございません」

少し間を置いて

「流れを断つためです」


港の方を見る。

荷が運ばれている。


だが――その先。

対馬。

そしてさらに先の朝鮮。

「一度でも(とどこお)れば、前線は飢えます」


半佐(はんざ)が青ざめる。

「……」


伝令がさらに声を震わせる。

「加えて――」

嫌な間。


「対馬海峡にて、敵船の出没頻繁。

小規模の襲撃、相次ぎ――夜間航行、困難とのこと」


重兼が吐き捨てるように言う。

「封じに来ておりますな」

伊織が頷く。

「完全に」


永勝がゆっくりと永重を見る。

「どう見る」

永重は即答した。

「主導権は敵にあります」

その言葉に誰も異を唱えなかった。

永重は続ける。

「敵は戦場を選んでいます。

そして、我らは運ばねばなりません」

少し間を置いて

「向こうは、待てばいいのです」


沈黙。

それは覆しがたい差だった。


重兼が低く言う。

「……厄介どころではありませぬな」

永重は頷いた。

「そうだ。これは戦ではない」

一呼吸置いて永勝を見て

「狩りです」


その言葉に、空気が冷えた。

伊織が呟く。

「我らが獲物……」


永勝が口を開く。

「ならばどうする」

永重は港を見た。


船。

荷。

人。

止めるわけにはいかない流れ。

そして海。


「変えましょう」

また同じ言葉だった。

だが今度は、以前と重みが違った。


「船の出し方。時間。護衛。すべてを」


永勝が聞く。

「具体的には?」

永重は言った。

「まとめて出すのをやめます」

伊織が眉を上げる。

「分散……ですか」

「そうだ」

永重が今度は伊織を見て言う。

「小さく、速く、読ませない」


重兼が腕を組む。

「しかし、それでは守りが薄くなりますぞ」

永重は首を振る。

「守らない」

「え?」

「守ろうとするから狙われる」

静かに続ける。

「囮を出します」


皆の視線が集まる。

「空船を混ぜる」

伊織が息を呑む。

「……(あざむ)くのですな」


永重は頷いた。

「敵に"当たり"を引かせない」


重兼がゆっくりと笑う。

「なるほど……しかし」

その顔が引き締まる。

「相手は李舜臣ですぞ」


永重は答えた。

「だからだ」

大きく息を吸い

「正攻法では勝てない」


外で雷が鳴った。

遠くの空が暗くなる。


伝令はまだ膝をついたままだった。

永勝が言った。

「ご苦労であった。下がれ」

「はっ!」

伝令が去る。


残されたのは――重い空気。


永勝がゆっくりと口を開く。

「その案、上申(じょうしん)して参る」

誰も否定しなかった。


永重は海を見た。

その向こうに、見えぬ敵。

見えぬ刃。


「……面白い」

小さく呟く。

だがその目にはもはや余裕はなかった。

これは知恵と忍耐の戦いだ。

海の向こう――李舜臣が次の一手をすでに考えている。


兵站の喉を締める戦は、まだ始まったばかりだった。




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