25-5 壱岐勝本城【文禄の役-邂逅】
天正二十年(1592年)水無月(6月)下旬――壱岐・勝本城。
夜明け前。
海はまだ暗く、東の空だけがわずかに白み始めていた。
港には昨夜の戦の名残が残っている。
焼け落ちた小早の残骸が波に揺れていた。
永重は城の上に立ってそれを見下ろしていた。
「……静かすぎるな」
重兼が隣で言う。
「は。あれだけ騒いだ後とは思えませぬな」
伊織が低く呟く。
「嵐の前、というやつでしょうか」
永重は答えなかった。
ただ海を見ていた。
そのとき――
見張り櫓から声が飛んだ。
「船影!」
三人の視線が一斉に沖へ向く。
「北西――距離、まだ遠し!」
「数は!」
「……十……いや、さらに後方に続いております!」
ざわめきが広がる。
重兼が顔をしかめた。
「昨夜の倍どころではありませぬな」
伊織の声が低くなる。
「偵察ではない……」
永重は目を細めた。
船影はゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
整然としている。
ばらばらではない。
「隊列を組んでいるな」
重兼が頷く。
「倭寇の動きではありませぬ」
永重は静かに言った。
「来たな」
その一言で、空気が変わった。
やがて朝日が昇ると海を照らした。
その光の中で――船団の姿がはっきりと現れた。
細長い船体。
だが小早よりも幅があり、低く構えた形。
櫂がずらりと並んでいる。
そして――船首。
そこには、見慣れぬ装飾があった。
伊織が息を呑む。
「……あれは」
月心が呟いた。
「亀の……甲羅のような」
永重の視線が鋭くなる。
「違う」
少し間を置いて言った。
「覆っているのではない。
あれは……守っている」
重兼が低く唸る。
「装甲……ですか」
永重は頷いた。
「弓を防ぐための板だ」
そしてさらに目を凝らす。
船の上に並ぶ影。
「……鉄炮もあるな」
伊織が小さく舌打ちした。
「厄介ですな」
そのとき――
城門から足音が響いた。
振り返ると、永勝が現れた。
すでに鎧を着けている。
「見たか」
「は」
永勝は海を見て言った。
「朝鮮水軍だ」
その名が空気を重くする。
重兼が言う。
「数は……およそ二十」
伊織が続ける。
「だが後ろにもおります」
永重は静かに言った。
「本隊ではない」
皆が見る。
「先遣だ」
永勝が頷く。
「様子を見に来た、という顔ではないな」
「はい」
永重は一歩前へ出た。
「――試しに来たのかと」
「我らがどこまでやれるかを、か……」
そのとき。
沖の船団が動いた。
横一列に広がる。
そして――湾口へ向かってくる。
「来るぞ!」
城内が一気に動き出す。
「弓隊、配置!」
「鉄砲隊、前へ!」
「関船、出せ!」
怒号が飛び交う。
永重は手を上げた。
「待て」
一瞬、動きが止まる。
重兼が振り向く。
「若殿?」
永重は海を見たまま言った。
「まだだ」
一拍置き
「引きつける」
伊織が理解して頷く。
「湾口まで……」
朝鮮水軍は一定の速さで進む。
乱れず。
恐れず。
やがて――沈船と杭のある水域に入った。
その瞬間だった。
先頭の船が、わずかに速度を落とす。
そして――進路を変えた。
重兼が目を見開く。
「……避けた?」
伊織が驚く。
「杭の位置を……読んでいる?」
永重の目が細くなる。
「いや」
ゆっくりと首を振った。
「見ている」
その言葉の意味を理解したのは、月心だった。
「水面の流れ……」
永重は頷いた。
「潮の乱れで杭の位置を測っている」
重兼が低く言う。
「そんな芸当が……」
そのとき。
二隻目の船が、あえて杭へ突っ込んだ。
「なに!?」
船体が大きく揺れる。
だが沈まない。
そして――そのまま止まった。
永重の目が鋭くなる。
「……囮か」
次の瞬間。
後続の船がその横をすり抜けていく。
安全な道を作ったのだ。
伊織が舌打ちする。
「やられましたな」
永勝が低く言う。
「ただの水軍ではないな」
永重は静かに言った。
「指揮官がいます」
そのとき――
一隻の船の上に、ひときわ目立つ影が立った。
甲冑姿。
動かない。
ただ、こちらを見ている。
距離は遠い。
顔は見えない。
だが――
「……あれか」
永重の声は小さかった。
海風が吹く。
その男は動かない。
ただ、壱岐の城を見ている。
まるで――測るように。
永重は呟いた。
「来たな」
その名を口には出さなかった。が――
その場にいた誰もが同じものを感じていた。
のちに"海の鬼神"と呼ばれる男。
――李舜臣。
壱岐の戦は次の段へ進もうとしていた。
「弓隊――」
永重はゆっくりと手を上げた。
「構え」
海と陸。
兵站と戦場。
様々な二つがいま、交わろうとしていた。




