25-4 壱岐勝本城【文禄の役-奇策】
天正二十年(1592年)水無月(6月)下旬――壱岐・勝本城。
小早を捕らえた夜から三日が経っていた。
壱岐の港は相変わらず騒がしい。
名護屋からの船、対馬へ向かう船、朝鮮へ渡る船。
昼夜を問わず、海は軍船で埋め尽くされていた。
しかし――
城内の空気は、わずかに変わっていた。
見張り櫓は倍。
浜の巡回も増えた。
そして永重の隊には、港の北側を任されていた。
その日の朝。
永重は浜の地図を板の上に広げていた。
周囲には重兼、伊織、半佐、月心がいる。
「ここが湾口」
永重は指で示す。
「そして城がここ」
重兼が頷く。
「敵はここを通るしかありませんな」
伊織が言った。
「ただし夜なら話は別です」
永重は頷いた。
「小早は速い。夜なら櫓の死角もある」
半佐が首を傾げた。
「では、どう守るので」
永重は静かに言った。
「通れない海を作る」
皆が顔を上げる。
重兼が笑った。
「ほう」
永重は地図の湾口に指を置いた。
「ここは浅い。そこに船を沈める」
一瞬、沈黙。
伊織が目を細めた。
「沈船……ですか」
「そうだ」
永重は頷く。
「古い船を沈めて狭める」
半佐が驚く。
「そんなことができますか」
重兼が言った。
「船はいくらでもありますぞ」
浜には壊れかけの輸送船がいくつも放置されている。
永重は続けた。
「完全に塞ぐ必要はない。狭くすればよい」
伊織が笑った。
「関船なら通れますが、小早は通りにくい、と……」
永重は頷く。
「そして――」
月心を見る。
「杭を打つ」
月心が静かに答えた。
「海中に」
「そうだ」
永重は言った。
「潮が引いたときに打てばよい」
重兼が腕を組む。
「なるほど」
「敵は夜に来る」
「だが我らは昼に準備できる」
その時、後ろから声がした。
「面白い」
振り向くと、そこに立っていたのは――
太田一吉だった。
永重は一礼する。
「一吉殿」
一吉は地図を覗いた。
「沈船に杭か」
「小早対策でございます」
一吉はしばらく考え――そして頷いた。
「やれ」
重兼が笑う。
「許可が出ましたな」
一吉は永重を見た。
「だが覚えておけ」
「は」
「海は思ったようには動かぬ」
永重は答えた。
「だからこそ、人が動かします」
一吉は小さく笑った。
「黒田殿が気に入るわけだ」
その日の午後。
壱岐の港はさらに騒がしくなっていた。
古い輸送船が引き出される。
船底に穴を開ける兵。
大槌で杭を打つ足軽。
潮が引いた浜で、兵たちが泥だらけになって働いていた。
重兼が笑う。
「戦らしい戦ではありませんな」
伊織が答える。
「だが大事な戦です」
半佐は無言で杭を打っていた。
月心は帳面を持って走り回っている。
「杭、三十本完了!」
永重は海を見た。
湾口は少しずつ狭くなっている。
関船が通る道だけが残されていた。
「よし」
永重は言った。
「明日もう十本打つ」
重兼が頷いた。
「小早は通れませんな」
永重は首を振った。
「通ろうとする」
「は?」
「敵は試す」
永重は静かに言った。
「必ず」
その夜。
壱岐の海は静かだった。
月が出ている。
港には篝火。
櫓には弓兵。
永重は城の上に立っていた。
重兼が隣にいる。
「来ますかな」
永重は答えた。
「来るなら今夜だ」
その時――見張りが叫んだ。
「船影!」
城内が一気に動く。
「北西より接近!」
永重は目を細めた。
暗い海。
月明かりの中に影が動いている。
「数は?」
「五!」
重兼が低く言った。
「増えましたな」
伊織が走ってくる。
「小早です!」
永重は頷いた。
「弓隊、用意」
兵が並ぶ。
海では小早が湾口へ近づいていた。
しかし――突然だった。
一艘が止まった。
次の瞬間。
「ぶつかった!」
船が大きく揺れる。
海中の杭である。
重兼が笑った。
「かかった」
二艘目も速度を落とす。
湾口はもう狭い。
永重が手を上げた。
「今だ!放て!!」
矢が夜空へ飛ぶ。
火矢も混じる。
一艘の帆に火がついた。
海上で炎が広がる。
小早が混乱する。
その隙に――湾内から関船が出た。
櫂が一斉に海を打つ。
「囲め!」
逃げようとする小早。
だが湾口は狭い。
杭。
沈船。
火。
矢。
やがて――二艘が捕まった。
残り三艘は必死に沖へ逃げた。
浜に引き上げられた小早を兵が取り囲んだ。
永重は船を見た。
船底には杭の跡が深く残っている。
重兼が笑った。
「見事ですな」
伊織も頷く。
「敵も驚いたでしょう」
その時。
後ろから声がした。
「驚くのはこれからだ」
振り向く。
そこにいたのは――
細川越中守忠興だった。
永重は軽く頭を下げる。
「越中守殿」
忠興は海を見ていた。
燃える小早。
捕らえられた船。
「壱岐を城にしたな」
永重は答えた。
「港を守るにはそれしかございませぬ」
忠興は笑った。
「なるほど」
永重を見る。
「噂以上だ」
重兼が小さく笑う。
忠興はさらに続けた。
「だが――」
海を指した。
「本当の敵はまだ来ていない」
永重も海を見た。
遠い闇。
その向こう。
朝鮮の海。
そこには――やがて現れる男がいる。
水軍を率い、海戦を変える将。
李舜臣。
忠興が静かに言った。
「その時、どう戦う」
永重は少し考え――そして答えた。
「海では戦いませぬ」
忠興が眉を上げた。
「ほう」
永重は言った。
「海では勝てない相手もいます」
そして城を指す。
「ならば陸へ引きずり出す」
忠興はしばらく黙り――やがて笑った。
「やはり面白い」
海風が吹く。
壱岐の港ではまだ火が揺れている。
兵站の島。
小さな城。
だがここは――巨大な戦の喉元だった。
そしてその夜。
朝鮮の海では李舜臣の艦隊が静かに動き始めていた。
壱岐の戦はまだ序章に過ぎなかったのである。




