25-3 壱岐勝本城【文禄の役-初戦】
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天正二十年(1592年)水無月(6月)中旬――壱岐・勝本城沖。
夕焼けの海を裂くように三艘の小早が進んでいた。
帆は低く船体は細長い。
軍船というより速さを重んじた船である。
「距離、およそ三町!」
見張りの声が響いた。
浜では荷揚げをしていた兵たちが慌ただしく動き始める。
槍を取り、弓を取り、櫓へ駆け上がる者もいる。
永重は城の上から海を見ていた。
「帆の印は見えるか」
「いえ、若殿。何も掲げておりませぬ」
伊織が答える。
重兼が腕を組んだ。
「商船ではありますまい」
「うむ」
永重は静かに言った。
「商船なら旗を掲げる。旗を隠すのは――」
「戦う気がある者だけですね」
伊織が続けた。
そのとき。
浜の方から声が上がる。
「止まれ!ここは太閤殿下の軍港である!」
城番の兵が舟を出し、海上で呼び止めた。
三艘の小早は一瞬だけ速度を落とした。
そして――突然、帆を大きく張った。
「逃げるぞ!」
見張りが叫ぶ。
小早は一斉に向きを変えて沖へ走り始めた。
重兼が笑った。
「図星ですな」
永重は頷いた。
「追うぞ」
「船を出しますか」
「いや」
永重は首を振った。
「間に合わぬ」
小早の速さは関船では追えない。
海の上では向こうが有利だ。
永重は静かに言った。
「弓隊、用意」
城壁に弓兵が並ぶ。
「距離二町!」
まだ遠い。
だが小早は湾口を横切る形で走っている。
「若殿、届きますか」
半佐が聞いた。
永重は風を見た。
海風が背中から吹いている。
「届く」
弓兵に向けて言う。
「高く放て。船ではなく帆を狙え」
重兼が小さく笑った。
「なるほど」
弓隊が弦を引き絞る。
永重が手を上げた。
「放て」
一斉に矢が放たれた。
黒い弧が夕空に広がる。
矢は風に乗り、湾の出口へ落ちていく。
数十本の矢が海面に突き刺さる。
だが――
数本が帆を貫いた。
「当たった!」
見張りが叫ぶ。
一艘の小早の帆が裂ける。
風を失った船は急に速度を落とした。
重兼が言った。
「今です」
永重は振り向いた。
「関船を出せ」
浜で待機していた小型の関船が三艘、すぐに櫂を入れた。
兵が乗り込んですぐに湾口へ走る。
帆を裂かれた小早は必死に櫂を漕いでいる。
だが遅い。
関船が距離を詰める。
「囲め!」
城からも見える距離だった。
やがて――一艘の小早が捕まった。
残り二艘はそのまま沖へ逃げていく。
しばらくして。
捕えた船が浜へ引き戻された。
兵たちが集まる。
船から引き出された男は三人。
髭を生やし粗末な衣だった。腰には短刀。
倭寇であった。
重兼が腕を組む。
「やはり」
月心が船を調べていた。
「若殿」
「どうした」
月心は船底から何かを拾い上げた。
小さな木札。
そこには――
漢字が彫られていた。
「……朝鮮の文字ですな」
永重はそれを受け取った。
「なるほど」
半佐が驚いた。
「倭寇ではないのですか」
永重は静かに言った。
「倭寇でもある」
木札を見ながら続ける。
「だが――雇われた倭寇だ」
重兼が眉を上げた。
「つまり」
永重は海を見た。
「朝鮮側が様子を見に来た」
逃げた二艘の船影はもう見えない。
「壱岐がどれほど守られているか」
伊織が言う。
「そして兵站の規模を探った」
永重は頷いた。
「最初の偵察だろう」
半佐が少し青ざめた。
「つまり……」
「敵も分かっている」
永重は静かに言った。
「ここが喉元だということを」
そのとき。
背後から声がした。
「見事な判断だ」
振り向くと、一人の武士が立っていた。
細身の男。
太田一吉であった。
一吉は捕らえた船を見た。
「逃げられると思ったが……」
永重は頭を下げた。
「帆を落とせば足が止まります」
一吉は小さく笑った。
「よく見ている」
そして低く言った。
「これは始まりだ」
重兼が聞く。
「また来ると」
「必ず」
一吉は答えた。
「次は三艘ではない」
永重は海を見た。
夕日は沈み、海は暗くなり始めている。
その夜。
勝本城の見張りは倍に増やされた。
浜には篝火が焚かれ、
櫓には弓兵が立つ。
壱岐は静かだ。
だが海の向こうには敵がいる。
城の上で永勝が言った。
「どう見る」
永重は答えた。
「探りです」
「うむ」
永勝は頷いた。
「だが、敵は賢い」
永重も頷く。
「兵站を叩けば戦は終わる」
海風が吹いた。
遠くで波が砕ける音。
永重は小さく呟いた。
「――来るな」
その頃。
壱岐の北西、沖合。
逃げた二艘の小早は暗い海を走っていた。
船上の男が言う。
「城がある」
別の男が答える。
「船も多い」
三人目が低く呟いた。
「……李将軍に知らせろ」
その名を聞いた男たちの顔が引き締まる。
海の向こう。
朝鮮水軍。
そして――
後に東アジアの海戦史に名を残す男。
李舜臣。
壱岐の小さな偵察は、
やがて大きな海の戦へ繋がっていくのであった。




