25-2 壱岐勝本城【文禄の役-滞陣】
天正二十年(1592年)水無月(6月)中旬――壱岐・勝本城。
第一陣が釜山へ上陸したという報は、島中を駆け巡った。
城内では早くも動きが変わり始めていた。
これまで「備え」であった兵站が、実際の「戦の流れ」として動き出したのである。
浜では昼夜を問わず荷揚げが続いていた。
兵糧俵。
矢束。
鉄砲玉。
槍の柄。
それらが次々と城内の蔵へ運ばれ仕分けされ、再び船へと積み替えられる。
壱岐から対馬、対馬から朝鮮へ。
巨大な軍の血流のような流れが生まれていた。
「若殿。こちらの帳面でございます」
半佐が差し出したのは、兵糧の出納を記した帳簿であった。
永重は板の間に座りそれを開く。
「名護屋より到着した俵、二千七百。
そのうち対馬へ回したもの千九百……」
指で数を追いながら言う。
「残り八百は島内の備えか」
「は。城番衆と九番隊の備蓄でございます」
重兼が腕を組んだ。
「思ったより余裕がありませんな」
伊織も頷く。
「前線の消費が早いのでしょう」
永重は帳面を閉じた。
「いや――」
三人が顔を向ける。
「最初から余らせる気はない」
永重は静かに言った。
「殿下はこの戦を一気に押し切るつもりだ」
重兼が眉を上げた。
「つまり……」
「兵站は常に前へ流す」
永重は浜の方を見た。
「ここに溜めるのではない。
流れ続けさせる」
半佐が小さく呟く。
「川のように……」
「そうだ」
永重は立ち上がった。
「だが川は、堰き止められれば氾濫する」
そして振り返る。
「壱岐が詰まれば、この戦は止まる」
重兼が笑った。
「なるほど。若殿、だんだん大将の顔になってきましたな」
「やめろ」
永重は苦笑した。
その日の午後。
永重は浜の見回りに出ていた。
港には大小の軍船がひしめき合っている。
荷を運ぶ足軽たち。
船頭の怒鳴り声。
鍛冶場の火花。
壱岐は完全に戦の港になっていた。
そのとき。
「藤懸殿」
背後から声がした。
振り返ると、一人の武士が立っていた。
三十代後半ほど。
細身で、静かな目をした男である。
永重は軽く頭を下げた。
「どなたでござろうか」
男は名乗った。
「太田一吉と申す」
重兼と伊織が息を呑む。
軍目付――九番隊の監察役である。
永重は丁寧に一礼した。
「お初にお目にかかります。藤懸永重にございます」
一吉は港を見ながら言った。
「忙しそうだな」
「は。島中が動いております」
「それでよい」
一吉は静かに言った。
「戦は前線だけではない」
永重は少し笑った。
「つい先日、同じことを父に申されました」
一吉の口元がわずかに動く。
「良い父を持ったな」
そして永重を見る。
「そなたのことは聞いている」
「……どのように」
「黒田殿」
永重の表情が少しだけ変わった。
一吉は続ける。
「黒田如水殿が、名護屋で言っていた」
重兼と伊織が顔を見合わせる。
一吉は淡々と告げた。
「丹波に面白い若者がいる。
戦を盤のように見る男だ、とな」
永重は苦笑した。
「買いかぶりでございます」
一吉は首を振る。
「買いかぶりかどうかは――」
浜の荷駄を指さした。
「ここをどう動かすかでわかる」
そして少しだけ声を落とした。
「壱岐は小さい。
だが、ここを狙う者は必ず出る」
「……倭寇ですか」
「それもある」
一吉は言った。
「だがそれだけではない」
一瞬、沈黙。
「朝鮮水軍」
重兼が低く唸る。
「島を襲うと」
「可能性はある」
一吉は頷いた。
「前線を叩くより、血管を断つ方が早い」
永重は海を見た。
確かに。
ここは細い喉元のような場所だ。
一吉は言った。
「守れるか」
永重は少し考え――
そして答えた。
「守ります」
一吉は小さく笑った。
「よろしい」
そして踵を返した。
去り際に一言だけ残した。
「竹中殿も、そなたに興味を持っている」
永重は振り向く。
「重利殿が?」
「うむ」
一吉は歩きながら言った。
「軍目付は戦場を見る。
だが――」
肩越しに振り返る。
「面白い武将も探している」
そう言って去っていった。
夕刻。
永重は城の上に立っていた。
海は赤く染まっている。
船団はまだ動いていた。
壱岐から対馬へ。
対馬から朝鮮へ。
戦の流れは止まらない。
重兼が隣に立った。
「若殿」
「なんだ」
「どうやら、この島――」
伊織も加わる。
「思ったより面白い場所になりそうですな」
永重は笑った。
「退屈はしないらしい」
そのとき。
沖の見張り櫓から声が上がった。
「船影あり!」
兵たちがざわめく。
見張りが叫ぶ。
「北西より接近!
船、三艘!」
重兼が目を細めた。
「商船……か?」
伊織が首を振る。
「いや――」
風が帆を揺らす。
遠くの船影が少しずつ形を見せる。
細長い船体。
速い。
永重は静かに言った。
「小早か」
重兼が低く言う。
「倭寇かもしれませぬな」
永重は手を上げた。
「皆を呼べ。
弓を持たせよ。鉄砲はまだ出すな」
半佐が走る。
城内が一気に動き出す。
永重は目を細めた。
船は、まっすぐ壱岐へ向かっていた。
「――面白くなってきた」
夕焼けの海を見ながら、重兼が呟いた。
壱岐の最初の戦が、
静かに近づいていた。




