33-4 丹波【伊織と夕霧】
「御無事に終わり良かった」
伴伊織はそう言って焚き火に薪をくべる。
「私も初めて立ち合いましたが、御生まれになった瞬間は力が抜けました」
笑いながら夕霧が答えた。
松丸が誕生した翌日、伊織と夕霧は下人を伴って薪狩りに来ていた。
一通り終わり、皆で暖を取るために焚き火で湯を沸かしているところだった。
ふっと笑みを浮かべて
「あれからもう五年か……」
「ええ……年月が経つのは早いものです」
夕霧が答える。
忍城の戦いから五年。
小田原開城から五年。
そして、伴柊が亡くなって五年が経っていた。
あれから丹波へ戻り、大豆の栽培を始めてしばらくして永重の婚姻。
すぐに始まった文禄の役。
そして昨日の嫡男・松丸の誕生。
「久しぶりだな。其方と落ち着いて話すのも」
伊織はまた薪を入れる。
「そうですね……お互いに忙しい日々でした」
夕霧はそう言って伊織を見つめた。
「私は、其方に命を救われた」
焚き火の炎に目を落として伊織が言う。
夕霧は黙って聞く。
「月心殿と若殿もちろんだが、いろんな意味で私の命を救ってくれたのは其方だ」
しばらく間を置いて
「……ひとりじゃない」
夕霧がはっ、とする。
「この言葉を胸に、日々生きてきた」
すると伊織が夕霧の目をまっすぐと見て、笑みを浮かべて言った。
「ありがとう。夕霧」
夕霧は赤くなった。
「な、なにを今更言われるのですか」
すると伊織はまたふっと微笑み
「いや、面と向かって御礼を言ったことがなかったと思ってな」
そして笑う。
「もう、やめてください」
夕霧は冷や汗を扇ぐような仕草で答える。
そして
「ただ……」
真顔になり
「私は一日として柊を忘れた日はございません」
伊織としかと見つめて言う。
「そうだな……」
伊織は微笑んだまま焚き火へ目を落とす。
「あれは」
夕霧も焚き火をみつめて、続ける。
「私が一生背負っていく咎にございます」
「咎?」
伊織が夕霧に目線を移して聞く。
「咎です」
夕霧も伊織を見つめて答える。
「私のせいで柊は……柊を守れなかった」
「それは違う」
伊織が遮る。
「柊をやったのは忍びだ。真田のな」
伊織の言葉は、焚き火のぱちりという音とともに静かに落ちた。
だが夕霧はすぐには頷かなかった。
「……それでも」
小さく、しかしはっきりと口を開く。
「私はあの場におりました」
炎を見つめたままの横顔。
揺れる火が、その瞳の奥にある迷いを映し出していた。
「守れる位置にいた。
手を伸ばせば届いたかもしれぬところに……私はいたのです」
伊織は何も言わず、その言葉を受け止める。
夕霧は続ける。
「結果として守れなかった。
それが事実にございます」
風が木々を揺らし、雪の残る枝からぱさりと白が落ちる。
「だから私は、あの日から決めたのです」
ようやく視線を上げて伊織を見る。
「二度と――同じことは繰り返さぬと」
その声に迷いはなかった。
伊織はゆっくりと息を吐いた。
そして、少しだけ肩の力を抜く。
「……なるほどな」
否定はしなかった。
「それが其方の答えか」
「はい」
短いが、揺るがぬ返答。
しばしの沈黙。
焚き火の炎だけが二人の間で揺れている。
やがて伊織は、薪を一本くべながら口を開いた。
「ならば――その咎、背負い続ければよい」
夕霧の目がわずかに揺れる。
だが伊織は続けた。
「ただし、履き違えるな」
炎がぱっと強くなる。
「それは縛りではない」
「……」
「誓いだ」
その言葉は、静かだが深く響いた。
夕霧は息を呑む。
「縛りは人を止める。
だが誓いは、人を進ませる」
伊織は夕霧をまっすぐ見た。
「其方はどちらでいたい」
問われるまでもなかった。
夕霧はゆっくりと背筋を伸ばす。
「……進む者でありとうございます」
その答えに伊織は小さく頷いた。
「ならば、それでよい」
ふっと笑う。
「柊も、そう望むだろうよ」
その名を聞いた瞬間――
夕霧の胸に、あの日の光景がよぎる。
血。
そして――微笑み。
思わず目を伏せる。
だが、今度は涙はこぼれなかった。
代わりに、静かな熱が胸の奥に灯る。
「……はい」
しっかりとそう答えた。
遠くで下人たちの声が聞こえる。
薪をまとめ終えたのだろう。
日も少し傾き始めていた。
「戻るか」
伊織が立ち上がる。
「若殿も、御子の顔を見ておられよう」
その言葉に、夕霧の表情がふっと和らぐ。
「ええ……松丸様、どのようなお顔をされているか」
「泣いておられるに決まっている」
伊織が笑う。
「それは楽しみでございますね」
二人は焚き火に水をかけて丁寧に火を消す。
白い煙が細く立ち上り、やがて風に溶けていった。
帰り道。
雪はほとんど解けてぬかるみが足を取る。
だがその先――屋敷の方角には、かすかに陽が差していた。
新しい命が生まれた家。
守るべきものが増えた場所。
夕霧はその光を見つめて静かに呟く。
「今度こそ……」
その声は風に紛れて消えた。
だがその歩みは、もう迷わなかった。




