33-1 丹波【誕生】
文禄四年(1595年)睦月(1月)下旬――丹波
「寒っ!」
外へ出た半佐の叫ぶ声が聞こえる。
昨晩から降り続けた雪は辺り一面に積もり、早朝の朝陽に照らされて眩しく光を拡散させている。
軒先には氷柱が垂れ下がり、それもまた陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
「思ったよりも積もったな」
部屋から出て縁側に立ち、遠くの山々と辺りを見渡しながら永重が言う。
「お風邪を召されますよ」
部屋の中から雪乃が声を掛けてきた。
「外には出るなよ。其方こそ風邪をひかれたら大事だ」
そう言ったのち、素早く戸を開け閉めして永重は部屋の中に戻った。
部屋の中には火鉢があり、その上に置かれた鉄瓶からは湯気が出ている。
「若殿、御方様。朝餉の支度が整いました」
縁側の反対側、襖の向こう側からそう声を掛けてきたのは夕霧だった。
「わかった。ありがとう」
永重はそう答えると、寝床から上半身だけ起き上がっていた雪乃の手を取り、立ち上がるのを手伝った。
「殿、大丈夫ですよ。病人ではありませんし」
雪乃は笑いながらそう言いつつ、悪い気はしていなかった。
雪乃は、その御腹の中に永重の子を身籠っていた。
早ければ今月、遅くとも来月には生まれる予定だが、初産であるため何が起こるかは分からない。
永重は楽しみではありながらも、それと同じぐらい不安でもあった。
朝餉の間には、すでに膳が並べられていた。
湯気の立つ粥に焼き魚、香の物。
質素ながらも温かみのある献立である。
「さあ、こちらへ」
夕霧が座布団を整えながら二人を促す。
永重は雪乃を気遣いながらゆっくりと座らせた。
その様子を見て、夕霧はわずかに口元を緩める。
「半佐はどうした?」
永重が膳に手を伸ばしながら問う。
「雪かきに出ております。今朝は門前までしっかり積もっておりますゆえ」
夕霧はそう答えながらも、粥をよそう手を止めなかった。
「そうか……」
外では、雪を踏みしめる音がかすかに聞こえてくる。
ぎゅ、ぎゅ、と規則正しいその音が、静かな朝に溶け込んでいた。
雪乃はその音に耳を澄ませながら、そっと自分の腹に手を当てる。
「……この子も、寒いでしょうか」
ふと漏れたその言葉に永重は箸を止めた。
「きっと暖かろう。羨ましいぐらいだ」
微笑みながら言う。
「だからこそ、身体を冷やしてはならん。
外へは出ぬようにな」
そして続ける。
「夕霧、暖を絶やさぬように頼むぞ」
「はい。お任せください」
夕霧も笑みを浮かべて答える。
「道は開けましたぞ!」
しばらくして、外から半佐の張りのある声が響いた。
雪を踏み固める音が止み、戸口の向こうで息を整えている気配がする。
「ご苦労だな」
永重が声を返すとすぐに戸が開き、冷たい外気とともに白い息を吐く半佐が姿を現した。
肩には雪が積もり額にはうっすらと汗が滲んでいる。
「いやあ、思ったより骨が折れました。門の前は膝ほどもありました」
そう言って笑う半佐の声は、どこか誇らしげだった。
「まだ降るやもしれんな」
永重が静かに言うと、半佐は「はい」と頷きながら囲炉裏のそばへと歩み寄った。
「若殿、御方様に障りますゆえ、少し離れて」
夕霧がやんわりとたしなめると、半佐は慌てて足を止める。
「おっと、これは失礼しました!つい……」
そのやり取りを見て、雪乃は小さく笑った。
「半佐、ありがとう。
おかげで安心して過ごせます」
そう言って頭を下げようとするのを、永重がそっと制する。
「そのようなことをするでない」
「いえいえ、御方様にそう言って頂けたら寒さも吹き飛びます」
半佐は照れくさそうに頭をかきながら言った。
そのとき――
ふいに、雪乃の表情がわずかに曇った。
「……どうした?」
永重がすぐに気づき、声を落として問う。
雪乃は少しの間、答えずに腹に手を当てていたがやがて小さく息を吐いた。
「いえ……少し、張るような……」
その言葉に、部屋の空気が一瞬で引き締まる。
夕霧の手が止まり、半佐も姿勢を正した。
永重は雪乃の傍へと身を寄せる。
「痛みか?」
「まだ……強くはありません。ただ、時折……」
雪乃は不安を押し隠すように微笑んだが、その指先はわずかに震えていた。
永重はその手を包み込む。
「無理はするな。すぐに休め」
「はい……」
夕霧はすでに立ち上がっていた。
「産婆を呼ぶ準備をいたします。念のために」
「頼む」
短く、しかし力強く永重が答える。
外では、風が雪を巻き上げ始めていた。
朝の穏やかな光はいつの間にか陰り、空は鈍い鉛色へと変わりつつある。
半佐は戸口へと振り返り拳を握った。
「すぐに迎えに行ってきます。道は開けてますからさほど時間はかかりません」
「気をつけて行け」
「はい!」
戸が開かれ、再び冷たい風と雪が舞い込む。
半佐の背が白の中へ消えていった。
静まり返る室内。
火鉢の炭が、ぱちっ、と小さく音を立てた。
永重は雪乃の傍に寄り添い、その肩をそっと抱く。
「大事ない。必ず無事に生まれる」
言い聞かせるようなその声に、雪乃はゆっくりと頷いた。
「……はい」
その瞳には、かすかな不安と、それでも揺るがぬ決意が宿っていた。
雪の降りしきる丹波の朝――
新たな命が、静かにその時を待っていた。




