第27話 俺の立場は!?
静かな声が温室内に響く。
背後でエルが震えるのを感じ、アレクは剣を握る手に力を込めた。
「殿下、出て来て頂けると、とても助かります」
エルがアレクの手を握り締める。アレクは、その手を握り返しながら、敵の姿を見ようと、少しだけ身を乗り出す。
刹那。風を凪ぐ音と同時に、目の前の地面が抉られた。少し遅れて、逃げ遅れた前髪の一部が宙に散る。アレクがとっさに顔を引っ込めていなければ、首を持っていかれていたかもしれない。
大剣の斬激と共に疾風の刃が発生したのだ。
……なんでもありかよ!
アレクは思わず叫びたくなった。
「ギーゼラ……」
か細いエルの声に、ギーゼラが顔を上げる。
ギーゼラは地面に向けて振り下ろしていた大剣を払うと、何事もなかったかのように優しい笑みを浮かべた。
「殿下、探しましたわ。早くお部屋に戻りましょう。もうすぐ、お茶の時間です」
いつもと変わらぬ様子で発せられた明るい言葉に背筋が凍りそうになる。
ギーゼラは片腕で大剣を背中へ振り上げると、エルにこちらへ来るよう促す。しかし、エルはなにも言わないまま唇を結び、アレクの手を握り締めた。
「ギーゼラ、お願いです。もうやめてください。私はルリスとの戦争なんて、望みません!」
エルが震える声で言い放つと、ギーゼラは表情を変えないまま動きを止めた。だが、すぐに剣を前方で構え直す。
表情が失せ、獲物を見る猛禽類のような目つきに変じた。今まで見たことがないメイドの視線に、エルが息を呑むのを感じる。
「殿下」
「お願いです、ギーゼラ!」
泣きそうになるエルの叫びを切り裂くように、ギーゼラが大剣を振るう。
「俺がいるのを忘れるなよ!」
アレクはとっさに剣をかざして、大振りの刃を受け止めた。
風圧でドレスの裾と埃が舞い上がり、腕には尋常ではない痺れが走る。
思わず剣を手から落としてしまいそうになるが、歯を食いしばり、なんとか耐えた。背中の傷が疼き、だんだん開いていくのがわかった。
「あなたでは、お話になりませんわ」
「それはどうかな!」
男顔負けの一太刀だ。シャレットもそうだが、使用人は規格外のデタラメさが常識なのだろうか。理解に苦しむ。というか、城の兵士より強いとは、どういうことだ。
「アレク、血が!」
渾身の力でギーゼラの剣を弾くと、エルが後ろで声を上げた。恐らく、背中の傷から血が滲んでいるのだろう。
だが、構う暇もなく、次の斬撃がアレクを襲う。
「余所見をしている暇はありませんわよ?」
「ハンデだよ、ハンデ。流石に女の子相手じゃ、本気出せないだろ?」
やせ我慢をしながら、距離を置こうと後ろへ下がる。アレクを追うように放たれた横薙ぎの一閃が、舞い上がったドレスの裾を切り裂いた。
「くそっ、邪魔だ」
アレクは破れたドレスの裾を掴み、邪魔にならないよう、剣を使って引き裂く。丈が短くなったことで、若干、動きやすくなった気がした。
婦女子が短い丈のスカートを穿くなど非常識かもしれないが、アレクは男なので許されると思うことにする。
「…………ッ」
我慢していた背中で我慢出来ない激痛が蝕んでいく。
「従者が従者なら、主人も口ばかり大きいですわね」
「余裕があるからな」
本当は余裕などない。それでも、アレクは剣を構えながら、大粒の汗が滴る顔に微笑を描く。
「俺は逆境型なんだよ」
駄目だと思ったときほど、笑顔でいなくてはならない。シャレットの稽古についていけなくなったときに、言われた言葉だ。窮地に絶望していても、なにもはじまらない。
今度はアレクから踏み込んで距離を詰める。相手のリーチは長いが、懐に入れば、こちらの方が有利かもしれない。
「小賢しいのですわ!」
至近距離に入り込んで刺突を繰り出す。が、アレクの剣は呆気なく弾かれてしまう。ギーザラが隠し持っていた短剣で防いだのだ。
「なんでもありかよ!」
「はぁッ!」
ギーゼラが大剣を振るう。
風圧に耐えるだけでも大変だというのに、斬撃をまともに受ける余裕がない。アレクはギーゼラの一撃を横に受け流し、素早く身を翻した。そして、そのまま右足を軸に身体を回転させ、最小限の動きで剣の柄を細い首筋に叩き込む。
ギーゼラは短剣で応戦しようとする。
「うッ……!」
けれども、ギーゼラの短剣はアレクの剣を弾かなかった。
「なん……ですって……?」
彼女の手に走った衝撃。アレクが左手に持った女物の靴で短剣を殴ったのだ。向こうが二刀流なら、こちらも二刀流である。
アレクはそのまま、剣の柄をギーゼラに叩き込んだ。
「勝負あったな」
ギーゼラが座り込む。
目の前に剣先を突きつけ、アレクはギーゼラを見下ろした。しかし、ギーゼラの眼に諦めの色は見えない。
「困ります。これでは、計画が……」
「往生際が悪いぞ」
言い返すと、ギーゼラが身を翻す。
隠し持っている武器を出すつもりか。
この至近距離である。アレクの方が速く動くことが出来る。
このまま向けた刃をギーゼラに刺し込むだけでいい。
けれども、それは躊躇われた。傍にエルがいる。彼女の前で、このメイドを刺し殺すことが憚れてしまう。それを見越しているのか、ギーゼラが勝ち誇った微笑を浮かべた気がした。
「ギーゼラ、やめてください!」
エルが前に飛び出し、声を上げた。
アレクだけでなく、ギーゼラも動きを止めてしまった。
「殿下……?」
ギーゼラは眉を寄せながら、エルを睨む。
「エル、下がってて!」
「嫌です。アレクこそ下がってください!」
威勢よく言うと、エルは構わずアレクを突き飛ばす。
「痛ッ……! なんで、俺の扱いってこんな……!?」
突き飛ばされた反動で我慢していた傷の痛みが頂点に達し、アレクは思わず悶絶した。
エルはまっすぐにギーゼラへ向き直ると、両手を広げる。
「アレクを連れて行くなら、私を倒してからにしてください」
その台詞、めちゃくちゃカッコイイとは思うが、エルの口から出るべきではないと思う。つい先ほど、エルを守ると誓った自分の立場はどうなるのだ。
アレクは苦笑いしながら、エルを見上げた。
「殿下、お退きください。怪我をしますよ」
「別に、私が怪我をしても良いのでしょう?」
立ちあがったギーゼラに刃を向けられて、エルは小さく震える。それでも気丈に振舞おうと、裏返りそうになる声を絞り出していた。
その間に、アレクはギーゼラに気づかれないよう、ゆっくりと、剣を構え直す。
「その方が、都合が良いと思うのですが。私には、あなたが迷っているように見えます」
エルの問いにギーゼラが唇を噛む。彼女はなにも言わないまま、剣を振り上げた。それでも、エルは少しも動こうとはしない。
「私は、あなたたちが起こそうとしている未来を見たくありません。先の戦争で、戦場へ出た兄たちが亡くなりました。ハルもすぐには戻って来られなくて……あのとき、傍で慰めてくれたのは、あなただったでしょう? ずっと、傍にいたのは――」
「わたくしが望んでそうしていたわけではありません!」
「そうだとしても、あなたが支えてくれていたのは事実です。ギーゼラ、お願いだから! あなたまで、私の前からいなくなるのですか!?」
「黙ってくださいッ!」
振り上げられたギーゼラの刃が、エルへと落ちる。
「エルに手を出すな!」
間髪を容れずにアレク立ち上がりながら剣を振る。素早くギーゼラの一撃を受ける。
だが、その攻撃は先ほどと違って力がなく、ただ振り下ろしただけのものであった。受けるのは容易だ。
「エルは俺が守る」
アレクは刃を払い、ギーゼラに剣を落とさせる。ギーゼラは憎々しげにアレクを睨んでいたが、反撃する意思はないようだった。
「最初から……わたくしは、王族の内情を探るために仕えていました。わたくしは殿下に嘘を……ずっと、騙していたのです」
ギーゼラは小さく呟くように、ポツリポツリと言葉を発しながら膝をつく。彼女の姿を見て、エルがゆっくりと歩み寄る。
「嘘をつかれていたのは、残念です……けれども、私はあなたが大好きです」
エルは優しく微笑すると、ギーゼラの前に手を伸ばす。
ギーゼラは戸惑ったようにエルを見上げ、恐る恐る差し出された手に触れる。そして、弱々しく握り締めた。
「わたくしも、殿下が大好きですわ……偽りなどではありません。長年お仕えした、たった一人の主人です」
エルが笑いながら強くギーゼラの手を握り返す。すると、ギーゼラも自然と微笑をこぼした。