第26話 剣を持つのは、俺の仕事です。
「な、なんとか、なりましたか?」
エルが息を切らせて笑う。葉の茂った木陰から覗き込むと、誰の姿も見えない。
「どうなるかと思った……」
アレクも肩を上下させて息を整える。思いのほか、身体が重くて疲れている。女装で動きまわったせいだ。
「あの、アレク……」
エルが急に嬉しそうな表情でアレクに向き直ってきた。弾ける笑顔が小動物みたいで可愛らしい。しっぽをブンブン振った犬みたいだ。
彼女は興奮した様子で声を上げる。
「やっぱり、アレクはすごいですね! ナイフを飛ばせるなんて、魔法ってとっても便利です! どこで修業を積んだのですか? お兄様に教えなきゃ!」
「それ、まだ信じてたんですか!?」
エルは未だにアレクを魔法使いだと思っているらしい。
鍛え上げた剣捌きではなく、意味不明な魔法を褒められても少しも嬉しくなくて複雑だ。さっきの頑張りが無に返った気がする。
それでも、エルは星が浮かんだ夜空のような藍色の瞳をキラキラ輝かせている。とても嬉しそうなので、今更、「魔法使いなんて嘘ですゴメンナサイ」とも言えなくなってしまった。
「でも、エル。どうして、こんな真似なんてしたんですか? 危ないじゃないですか」
アレクの問いに、エルは表情を曇らせた。
「……アレクを助けたかったのです。いつも助けられてばかりだったから」
「でも、危ないですよ」
「迷惑でしたか?」
エルが顔を上げて、アレクを見据える。
藍色の瞳の奥に揺れ動くなにかを見て、アレクは思わず口を噤んでしまう。途端に、自分の胸の奥が疼くのを感じて、どうすればいいのかわからなくなった。
「私では、足手まといですか? 迷惑をかけてしまったのでしょうか……」
「そんなことは、ないです」
やっとのことで言葉を振り絞り、アレクはエルから視線を逸らした。
確かに、エル自身が助けに来るなど危険すぎる。しかし、彼女にはそうするしかなかったのだろう。
会議を遅らせるには時間がなさ過ぎる。国王を動かすにも、反発がある。多少強引で大胆でもアレクを攫ってしまうのが、一番近道だったのだ。エルはただなにも考えがなくて動いたわけではない。自分が出来る最善をしようとしただけだ。
それに、エルが来なければ、アレクは逃げ出す機会すら与えられなかったかもしれない。彼女がいなければ、事態は動かなかった。
「でも、私、剣も扱えませんし……なんとかなると思ったのですが、上手くいかなくて。申し訳ありません。結局、アレクに助けられてしまって」
「エルが剣なんて、使わなくて良いんですよ!」
「でも、アレクを助けたかったのに」
「剣を持つのは、俺の仕事です。俺の手でエルを守れたら充分だ。俺がエルを守る」
「え?」
エルが瞳を見開き、アレクを見据える。アレクは、つい勢いで口にしてしまった言葉を後悔するが、遅い。
腹を括って、真っ直ぐな視線をエルに注いだ。
「助けてくれて、嬉しかったです。俺だけでは、とても逃げられませんでした……足手まといなんかじゃないですよ。エルがいたから、絶対に逃げようと思いました。絶対に守ってみせたかったんです」
「た、助けに来たのは、私なのに!」
「そうですね。でも、俺はあなたを守りたいんです」
エルの顔がカァーッと染まり、落ち着かない様子で視線が上下している。元の色がわからないくらい、顔が赤い。
そんなエルを見ていると、こちらまで恥ずかしくなって俯いてしまった。
ここが以前、月の夜にエルが泣いていた場所――月の妖精と呼ばれる花の下であることに気づき、余計に緊張した。
動悸が激しくなり、周囲のものが目に入らなくなる。
昼の間は咲かずにつぼみをつけた花が二人を見下ろして笑っているようだ。見られているみたいで、気持ちよくない。
「あ、あまり助けられても、お礼が大変ですし……ああ、そうでした。せっかく、クッキーを焼いていたのに、何処へ行ってしまったのかわからなくなってしまいました。ご、ごめんなさい」
エルがなにかを紛らわすように、取りとめのない言葉を搾り出す。
「クッキーは嬉しいですが、お礼なんて考えなくて良いんですよ。俺が、勝手にやっているだけですから」
「で、でもでもっ! 約束だったのに!」
「……傍でエルを守れたら、それで充分です」
胸の奥が棘に刺されたように痛み、黒い霧のような感情が広がる。
ずっと一緒にいたい。
しかし、そんなことなど出来ないと最初からわかっている。
アレクはアドリアンヌの身代わりであり、ルリスに帰らなくてはならない。ずっと一緒になど、いられないのだ。
それでも、今は忘れたかった。
そんなことなど忘れていたい。
例え、偽りの言葉を囁くことになっても、今は本当の気持ちを伝えたかった。
「エル……」
アレクはゆっくりと腕を持ち上げ、エルの手を握った。その指が震えるのを感じ、思わず力を込める。重なった指の温かさが熱となって体内に広がり、衝動となって全身を駆け巡った。
「ずっと、傍にいたい。エルが傷つかないように、俺がずっと守りたい」
伏せられたエルの顔を覗き込むと、白い頬に伝う雫が見える。アレクは恐る恐る手を伸ばし、指先で、そっと涙を払ってやった。
「エルの涙全部、俺に止めさせてくれませんか?」
頬を包むように触れると、エルの小さな唇が震えた。そして、更に大粒の涙が頬を流れて濡らす。
アレクはその一つ一つを丁寧に拭い去ってやりながら、少しだけ唇を綻ばせた。
「嘘を、つかないでください……いなくなって、しまうのでしょう?」
「……それでも、俺はエルを守りたい。この気持ちは、嘘じゃないですよ」
「うそっ! 男の人は、みんなそうやって嘘をつくのです……結局、みんないなくなってしまうんです! アレクだって、いつまでも、ここにいられるわけでは……子供じゃないんです。そんなの、わかっているんですから!」
「嘘じゃない。俺の気持ちまで、嘘だと思ってますか? 確かに、俺はルリスに帰るかもしれない。それでも、諦めない。会いに行きます。このまま、何処かへ逃げたって――」
自分でも、言っていることがわからなくなる。
しかし、アレクの気持ちに嘘はない。
エルを守りたいという気持ちに偽りはなかった。そのためなら、なんだってする覚悟が今なら出来る。
「エルの気持ちは、どうなんですか? 俺は迷惑ですか?」
「わた、私は……」
エルがぎこちなく唇を開き、戸惑いながらもアレクを見る。
その表情があまりに愛らしいので、アレクはつい先を促すように首を傾げてみせた。すると、エルはますます顔を赤くしながら、急ぐように言葉を紡いだ。
「わ、私も……アレクと、一緒にいたい、です……ひゃぁっ」
その言葉を聞いた瞬間、アレクは思わずエルの身体を抱き寄せてしまう。エルは短い悲鳴を上げながらアレクの腕におさまり、肩を震わせた。
「あ、あ、ああ、あああのっ!」
「どうしたんですか?」
悪戯っぽく笑いかけると、エルはますます動揺したのか、頭をグラグラと左右に揺らしはじめてしまった。
本当はこちらだって冷静ではない。心臓がはち切れそうなくらい高鳴っているし、動揺を隠すので精いっぱいだ。だが、すぐ傍でエルが慌てていると、逆に頭が冴えてくる。
「だ、だって、だ、だ、抱き、しめ……はしたないですっ!」
「お嫌でしたか?」
予想以上の反応を見せるエルがおかしくて、アレクはついつい意地悪な聞き方をしてしまう。すると、エルは期待を裏切らず、大袈裟に動揺した後、無言のままブンブンと首を横に振った。
「可愛い。絶対放したくない」
「は、放……ッ!」
「放して欲しいですか?」
「…………アレクは、意地悪なのですねッ」
「エルにだけです。あ、あんまりにも可愛いから、つい我慢出来なくて……」
エルは返す言葉が見つけられず、口をパクパクと開閉させていた。アレクの動揺など、エルには感じ取る余裕などないだろう。どうしようもないくらい落ち着かない。
アレクはその顔に自分の顔を近づけながら、優しく笑う。互いの額が触れ、吐息が混ざり合うほど近づくと、エルはぎゅっと眼を閉じてしまった。
「み、未婚の女性に、そんな、不埒なことッ!」
「エルが俺を悪い男にするんです」
こうしているだけで心臓がバクバクと跳ね上がり、息をするのも苦しくなってしまう。鏡を見ると、尋常ではないくらい顔が赤いかもしれない。
それでも、目の前で自分以上に動揺するエルがいるお陰で、幾分、心に余裕が出来る気がした。ここまで動揺されると、逆に冷静になれるというものだ。
「全部、エルのせいです」
アレクはうろたえるエルを鎮めるように、そっと漆黒の髪を撫でた。
夜を宿した黒が頬に落ち、エル自身を月のように美しく際立たせる。閉じられた瞼が小刻みに震え、そのときをじっと待っているように見えた。
「エルのこと、好きです」
アレクはゆっくりと瞼を閉じて、小さな唇に自分の唇をゆっくりと寄せていく。
「――――!?」
だが、突如、温室に響いた足音に二人は顔を上げた。緊張が走り、アレクはエルを隠すように後ろへ下がらせる。
「殿下、いらっしゃるのでしょう?」




