4/想起 2
帰り道、行き交う人の中で俺は空の朱色を見上げながら進む。
しばらくすれば日は地平線に呑まれて夜の薄紫が空を彩るだろう。
黄昏時は逢魔時と呼ばれる程に曖昧で繊細な時間だ。
ともすれば隣の誰かの顔さえ忘れてしまう程に。
そんな思考に耽りながら歩いて、ふと、俺は視界の端に一つの喫茶店を捉える。
“───────少し、寄ってみるか”
洒落た飾りの施された扉の持ち手を押し込む。
しっかりとした重量が腕の力を少しだけ押し返してくる。
扉が開くと、内に取り付けてあった鈴がカランカランと軽やかな音を鳴らして客の来店を知らせる。
内装はよくある喫茶店。
フローリングの床を控えめで朱色がかった灯りが照らしていた。
カウンターは背の高い腰ほどの高さのある椅子が五つ、横並びにされ、店の四っつの壁に沿ったソファ席は深緑色でその見た目から柔らかさを感じられた。
鼻腔をくすぐるコーヒーの香りとパンケーキの甘い匂い。
“そういえば、昼を食べ過ごしてたな”
時刻は午後の六時半。
夜にしては早いくらいの時刻。
どうやら腹の虫は食事を求めているらしい。
視線をカウンターの方に向けると、気だるげなウェイターの青年が一人立っている。
彼は俺にお好きな席にどうぞ、とだけ言って踵を返す。
窓辺のソファ席を選び、軽い食事を頼んで窓からの景色に視線を移す。
静かな店内に触発されて沈み込む思考はとめどなく、意識はいつの間にか数日前の記憶を手繰っていた。
──────────事の始まりは、いつもの大河さんからのお願いだった。
なんでも行方不明の友人を探して欲しい。という人探しの依頼だった、
そんなに面倒な事なのかと聞いてみると、大河さんは大きく息を吐きながら、『お前向きだから頼む』と言ってそれ以上を語らなかった。
なので、俺は興味も向いたのもあって件の依頼人、高塚蓮の元に訪れることと相なった。
時刻は昼、場所は小上公園にあるベンチ。
平日の真昼というのもあって、遊具で遊ぶ子供の影は見受けられない。
ただ一人、ベンチに腰を据え、足を組みながらタバコを蒸す青年を除いて公園には人の影はないのだ。
青年の見た目は二十代前半。
背丈は百七十に若干届くか程度で半袖から生えた細腕から細身だということがわかる。
目元には薄いクマがあり、明らかに数日を寝ずに過ごしていたことは明らかだ。
「こんにちは、貴方が依頼人の高塚蓮さんですか?」
「ん?ああ、探偵助手の人?」
「ええ、一応大河さんの助手をさせて頂いている、境真也です」
俺の自己紹介に高塚はしばし沈黙し、笑みを見せる。
「………髪型、似合わないっすね」
彼の声にうぐっという情けない声が漏れる。
俺自身、気にしてはいることだった。
高校時代、綾からは面と合わないと散々な物言いをされる始末である。
しかし、慣れたものは変えられない性分のせいかその似合わない髪型を続けているのだ。
「で?何すか?」
「依頼のご友人の捜索の件についてですが、ご友人方の詳しい動向を教えて頂きたく」
「ああ、そういうこと、あの時話したこと以上は無いっすよ。俺はアイツらの行方を知りませんし、メールも見られた様子さえ無いんで」
高塚は口に咥えていたタバコを指で弾く。
弾かれたタバコは煙を纏いながら池に落ちる。
その様子を一通り見た後、彼は言葉を続けた。
「アイツらの自宅に行ってみても、もぬけの殻でしたし」
「なるほど、では最後に会った場所は?」
「─────小上駅近くの飲み屋の集まったとこっす」
「ああ、あそこですか。夜は学生にも人気ですからね」
「まぁ、そっすね」
現小上駅は木造の旧小上駅を改築した新しい街の入り口として大改造を受けた。
都市計画で一新された周辺地域は大手スーパーマーケットを取り込んで昼は多くの客で賑わいを見せ、夜は近くにある飲屋街で仕事に疲れたサラリーマンや暇を持て余した大学生を受け入れている。
近隣住民から一定の苦情はあるものの、興行としては成功した場所だ。
「その後の動向は把握しているものはありますか?」
「いや、解散した後は特に、何も」
彼は息を吐いてベンチの座面から頭を出して空を見上げた。
真夏の快晴はジリジリと肌を焼き、蝉の声が耳の中をざわめかせる。
高塚はこちらが目を合わせようとしても、視線を合わせようとしない。
何か、隠し事でもあるのだろう。
しかし、ここで下手に小突いて蛇を出す訳にはいかないので特に言及する気は起きない。
「そうですか、ならここからはこちらで調べさせて貰います」
「よろしくっす」
俺は彼の返事を背にしてベンチを離れる。
昨夜の雨で泥濘んだ土が買ったばかりのスニーカーの靴底を汚す。
投げ捨てられたタバコはぬるい池の水が滲み、徐々に沈んでいっていた。
「さて、どこから当たろうか」
そんな決意表明じみたことを言って公園を出た。
───────────お待たせしました」
その声が俺を現実に引き戻した。
あの気怠げなウェイターが注文をした商品を持ってきたのだ。
記憶の中の真夏の快晴は一気に夕暮れへと変わる。
テーブルに並ぶのはサンドイッチとコーヒー。
すっかり我慢の限界を迎えていた腹の虫は癇癪でも起こすようにグーと声を上げた。
「食べるか」
ひとまず何か食べなければ持たないとサンドイッチを掴み、口に運ぶ。
芳醇なバターの香りと歯応えのあるレタス、こんがりと焼かれたベーコン。
これは当たりだ、とほくそ笑みながら食べ進め、気が付けば皿の上の二つのサンドイッチは俺の腹の中に消えていた。
軽く紙ナプキンで手を拭いて、コーヒーカップに指をかけて持ち上げる。
インスタントとは雲泥の差の味と香りに浸りなが視線を外に向ける。
そうして、空腹を忘れた思考は再び過去へと遡る。
そう、あの惨劇を目撃したあの過去へと。
高塚と別れた俺は、彼が友人達と最後に顔を合わせた場所に足を向けていた。
耳を穿つ音が蝉の合唱から人のざわめきに変わり、活気溢れる人の声と足音となる。
例の大型スーパーマーケットの前は大盛況で、平日だというのに多くの人が自らの楽しみに耽っていた。
「ここは、相変わらずだな」
そんな、別に何度も来た訳でもないのに感想を呟く。
開発前の街の様子の方が余程馴染みがある。
閑散として人気がない。
中学時代、高校の初めの頃の記憶。
よく友人と駅のベンチで氷菓を食べては下らない話に花を咲かせていた。
「確か、ここを右か」
駅近の喧騒を抜け、右の道へと向かう。
人の声と足音は離れ、また蝉の合唱が帰って来た。
戸を閉め切った店が並び、湿った夏風が吹き流す。
飲屋街は夜の賑やかさとは一転して、人気がない上に消されたネオンが物悲しさを強調している。
酩酊を孕む道はその酔いを晴したかのようで、すんなりと奥へと進む事ができた。
「流石に、何もないか」
流し目に辺りを見回してみてもそれらしいものは見つからない。
あるとすれば、夜のこの通りが残した残穢とも言うべき廃棄物の数々。
しかし、それを取ってみても何がある訳でもないので歩を進める。
「──────ん?」
人影が、蜃気楼の中で揺れていた。
顔は分からない。
ただ、胸がすくような、求めていたモノに出会えたようで俺の足は気付けば駆け出していた。
人影はただ一点を見て固まっている。
その姿に惹かれてしまう。
「あ、待って!」
俺が、僕が手を掴む前に人影は見つめていた路地へと消えてしまった。
「何だ、連れないな」
息を整えて人影の消えた路地に目を向けると、一つの財布がポツンと主人を忘れて地面に横たわっていた。
「…………財布?」
夜にここを訪れた人の忘れ物だろう。
やましい事はしないが、一応辺りを見回してその財布を手に取る。
使い込まれた革製の財布。
皮表面は艶が出ており、触り心地もこれが高級品であることを告げていた。
失礼と弁えているが、落とし主を見つけた時の為にもと中身を確認する。
そこには、本来あり得ない。
いや、あっては奇妙な物が入っていた。
「小上高校の学生証?まぁ、いいか。ここから近いし持って行くか」
警察にでも届けようと考えたが、落とし主が分かるならば話が速い。
「ええっと、宮水愛梨か」
学生証を確認し、財布をポケットにしまうと高校へ向かうことにした。
懐かしの母校。
綾と初めて顔を合わせたのもそこだった。
剣呑な雰囲気を振り撒いて、さながら真剣のような出立ちにクラスメイトは皆、距離を置いていた。
いつも外の景色を憂鬱気味に眺める彼女は当時の俺にとって何より興味を惹かれる対象であった事を覚えている。
そんな彼女と俺は気付けば共に過ごす時間が増えて、今では数少ない友人の一人として付き合いを得る事となった。
ビル群ひしめく駅前を出て、住宅街に入り歩を進める。
少しばかり坂になった道を額に汗を浮かべて歩く。
二年前まで毎日通っていた道だと言うのに懐かしさに駆られる。
いつも、駅を降りて自転車を漕ぎながら通った道の進み方は体が覚えていた。
「もう着いたか」
やや足元に向いていた視線を上げると、玄関口だけがやたらと大きな校舎が目に入る。
そのアンバランスさに聡太が現代美術のようだと揶揄したのを覚えている。
玄関口以外が地味なので竜頭蛇尾だとも言っていたな、と思い起こして笑みが込み上げる。
俺は癖でその巨大な生徒用玄関に向かおうとして、間違えたと身を返して一般用の出入り口に向かう。
生徒用玄関と比べれば地味な見た目のその入り口を抜けて窓口の人に声をかける。
「すみません、落とし物を届けに来ました」
「はい、遺失物の届け物ですね。確かにお受け取りしました」
受付の初老の男性は穏やかな声で差し出された財布を受け取り、確認のために中を開く。
その瞬間、彼の顔が曇る。
しかし、すぐに表情を元の穏やかにしてこちらに向き直る。
「この財布、どこで?」
「ああ、あの駅前の酒場があるところの路地ですよ」
「なるほど、少しお時間よろしいでしょうか?」
「は、はぁ」
否を言わせぬと言わんばかりの気配に俺は返事が辿々しくなってしまった。
しばしお待ちくださいと言って、彼は部屋の奥へと消えて行った。
「一体、何なんだ」
コツ、コツと鳴る壁掛けの時計を暇つぶしに眺めながら、その長針が十個の点を示した頃、見慣れないスーツ姿の老爺が俺を校長室に招いた。
そういえば、小上高校の校長が変わったとか弟が言っていたが、その校長なのだろう。
戦々恐々としながら、校長に促されて客用のソファに腰を下ろす。
「この財布を繁華街の方で見つけられたと言うのは、本当ですか?」
「ええ、繁華街の路地で」
校長は細めた目で俺を観察する。
疑いの目。
他者の腹の中を探ろうとする目は俺の全身を撫でるように滑っていく。
流れる沈黙。
俺が続ける言葉を探っていると、校長が口を開く。
「この財布の持ち主の生徒は、今、生死の境を彷徨っているんですよ」
「─────はい?」




