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1/夢現

視界は灰色。

 朝の日照りからは想像もつかない湿気と熱気を纏った空を私は一人で見上げる。

 私こと、現見綾は趣味の散歩の最中で、夏日の忌々しい陽光の翳りは好都合。

 しかし、こう鬱屈としていると気分まで落ち込むものだ。


「────────」


 こんな調子ではため息もつきたくなる。

 世界は灰色で、視界の中はモノクロ映画。

 慣れたものだが色の無い灰色の世界というのはこうも心身に染み込んでやる気を削いでくるものなのかと思う。

 西暦2005年の小上町はここ最近になって少しばかりの発展を迎えた場所だ。

 灰色の建築物は雑多に並び、その無秩序さは個性とも言える。

 右目に掛かる影のせいで左の視界だけが世界を捉える。

 周囲を歩く人々の足音は雨音のようにリズミカルだ。

 世界を見るのに視界はこれ以上必要ないと私は思う。

 しかし、“片目だけではいずれ怪我をする”とうるさい小言を宣う友人の言葉を思い出す。


「何でこんな時まで」


 あのお人好しの極みの小言は耳にタコができる程には聞いてきた。

 頭を振った私は再度顔を上げて歩を進める。

 気分転換とばかりに私は今朝方寝起きに流し読んだ新聞の天気予報を思い出す。

 その新聞曰く、今日は雨だとのことだ。

 人の都合を天は考えないらしい。

 もっと夏にしては珍しい涼しいこの時間に浸っていたいが、頭の上に不穏な気配を覚えたまま歩くのは余計気分を落ち込ませるだけだ。

 高さの違う建物はしばらくすれば途絶え、綺麗に街の区切りができていた。

 ふと横に顔を向ける。

 そこは街の中心であり、ビル群のある駅前と住宅地を結ぶ場所に建つ病院。

 名を小上病院という。

 病院、終わりと始まりを孕んだ円環。

 しかし、今日に限っては空の色もあって暗い色ばかりが強調される。

 例えるならば墓所。

 冷たくて無色透明、だというのに恨みがましく、後ろ髪を引くような気配を漂わせる。

 そんな腑の見えない建物から見慣れた影が一つ、自動ドアから現れた。


「よ、何してるんだ?」


 私は興味半分でお人好しの友人こと境真也に声を掛ける。


「何だ綾じゃないか」


 私の声に少し困った顔で下を向いていた真也がふいと顔を上げて少し驚いたように口を開けた。


「何難しい顔してるんだ?」

「ああ、実は例の件でね。大河さんに行ってこいって言われたんだよ」

「また使い走りか?」

「バイトだから仕方ないさ」


 肩をすくめる真也に私は相変わらずだと皮肉った笑みを見せる。

 しかし、奇妙なものでこの困ったような顔を見ると安心感を覚えてしまう。


「それはそうと綾、どうしたんだ?」

「何がだよ」

「だって、君今日は一応講義だろう?」

「─────────────」


 しまった。

 真也からの言葉に私は言葉を詰まらせてついと視線を病院の方へと逸らす。

 私の様子にまたかと頭を抱える真也。


「綾、この前も言ったけど君はてきとう過ぎる」

「知るか馴染まないだけだ」


 私のつまらない言い訳に“そっか”と一言だけ感想を述べた真也はそのまま私に背を向ける。


「君がそう言うなら良いさ」

「は?」


 癇に障った。

 その一言は無駄でしかないだろうと思える真也の言葉に、私は離れていく真也の背中を追い、隣に並ぶ。


「お前、そんなんだから友人がいないんだ」

「俺何かした?」


 私の言葉に真也は困惑している。

 先ほどの台詞は無自覚であったことがよく分かった。

 正直というのは時に諍いを生むのだと再確認させられる。

 とはいえ、この淡白さが私にとって居心地がいいのだから自分の都合の良さにさえ苛立ちを覚える。

 静かで、無色。

 そのくせ見飽きない。


「………はぁ」


 つい、自分への呆れで溜息が出る。


「頼まれ事ってのはその封筒か?」

「ん?ああ、そうだよ。依頼料金を受け取ってこいってさ」


 仕事とはいえこの雑な扱いは文句の一つも出るものだが、この男はそういうモノとは無縁らしい。


「銀行にでも振り込ませればいいってのに」

「仕方ないさ、手渡しじゃないと心配だって大河さん言ってたし」

「面倒だな。まぁ、あの狸のことだ、何か魂胆があるんだろう」

「言い過ぎだよ。あんまり俺の恩人を悪く言わないでくれ」

「分かった分かった」


 私は何だか面白くないと子供のような心地で話を切った。


「それで、どうだったんだ?」

「ああ、依頼のこと?」

「そうだよ。どうせあらかた想定はできてんだろ?」

「まぁ、自信はないけどね。でも教えないよ。一応、綾は無関係の他人なんだから」

「何だ、つまらないな」

「そうは言ってもね。一応仕事だから」


 困った顔で笑みを浮かべる真也。

 私は流石にバツが悪くなって脚を早める。


「あれ、病院に用事?」

「少し野暮用」


 敗残兵のような心地で去る私を呼び止める真也をうざったいとてきとうに返事をしてさっさと離れた。

 足を運んだ先は病院。

 エントランスホールはナースや病人、見舞客がひっきりなしに往来している。

──────────────湿っている。

 いや、これはいつもか。

 白は淡白で乾いているようで、その実この空間は湿っぽい。

 別に雨が降りそうだからとかそういう理由では無い。

 何となく。

 そう、何となく湿っぽいのだ。

 肺に充満するこれは、重く、鈍い。

 言うなれば鉛を流し込まれているよう。

 肌を逆撫でするような違和感。

 天窓から降り注ぐ陽光が余計に鬱陶しい。


「似合わない装飾ばかりだな」


 院長が変わって以来、この病院は改装続きだと真也がぼやいていたのを思い出す。

 元はもっと閉じ込めるための箱のような場所であったはずだ。


「これじゃ神殿だな」


 とはいえこの見た目は東洋のものではない。

 西洋、それもローマあたりのものだ。

 開放的な神秘。


「土地にそぐわないものを建てるにしても…………これは、ないな」


 キッパリと断言した。

 あまりにセンスが無さすぎる。

 いくら他の場所より発展した小上町とはいえあまりに場違いだ。


「あれか」


 足を止める。

 視界の端には一人の男。

 酷く憔悴し、目にはクマ、充血した目は怪物のようだ。

 まさしく死にそうな顔だ。


「よう。随分な顔だな」

「……………誰だ?」

「真也の知り合いだ」

「金は払ったぞ」

「知っているさ」


 その男の対面に座り、横のガラス張りから庭を見る。

 花々を丁寧に敷き詰めた庭は美しい。

 多いのは薔薇。

 真っ赤な薔薇。

 まるで血に染まったような深紅が庭を埋めている。


「物騒だな」

「────何がだよ」

「こっちの話だ。それで、アンタは何に怯えている?」


 男は私の言葉にうっと息を何とか絞り出したような声を上げて黙る。


「………………いいや、知らない。俺は、何も」


 表れる動揺。

 落ち着ける為に握り込んだ両手は震えている。

 明らかに何かを抱え込んでいて、今にも漏れ出てしまいそうだ。

 しかし、それを言ってしまえば手遅れだと確信を持っているように座っている。


「そうか」


 これ以上聞いても無駄だろうと話を切って席を立つ。

 私は男を置いて病院を出る。

 向かうは真也の向かった彼のバイト先。

 三剛探偵事務所へと。


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