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8/想起 4

時刻は午前零時を過ぎて、短針がもう少しで一にかかる頃。

俺は手に持った本のページが擦れる音を聞きながら暇を潰していた。


「………綾、遅いな。朝まで帰ってこない感じかな、これ」


拝借した小説を彼女が読み終えた所まで読んで栞を元の位置に挟み、ソファの前のテーブルに置く。

独り言を言ってみても返答はない。

やることがなく、ソファに体を預けていると読書のせいか、瞼が重くなってきた。

泥のような眠気が脳の働きを阻害して、脊髄ごと記憶の海に溺れてゆくようだ。


「……………ダメだ、眠、い」


─────────────────気付けば俺は、またあの日へと遡っていた。


小上高校での尋問を終えた俺は一つの約束を抱えて帰路についていた。

校長室で耳にした話は、世の中にあっては酷くありふれた事であった。

ただ、無常で無慈悲な何とも容認し難い日常の断片。

宮水愛梨という高校一年生の少女が受けた悲惨な行い。

複数の男性に襲われ、発見時は憔悴し意識も朦朧としていたという。

その上、薬物の投与による中毒症状。

あと一歩、発見が遅れていれば命が危うかったと、あの校長は言っていた。


「物騒な話だ、全く」


校門を抜け、呆然とただ歩く。

未だ見つからない犯人を探偵の助手だからと探し出す約束を勝手に取り付けた。


「無報酬だし、大河さんは手伝ってくれないよなぁ。……………仕方ない、こっちで片付けよう」


そう言って、俺はポケットから携帯を取り出し、軽く振って閉じた画面を開く。

十字キーを押して電話帳の中の知り合いの一人の名前に照準を合わせて決定ボタンを押し込む。

ツー、ツーという待機音の後に震え始めた携帯を耳に当てる。


「……………ああ、もしもし?聡太?」

『何だ?真也じゃん!お久!』


電話の先の男、米倉聡太は元気良く応答した。


『それはそうと今、絶賛合コン中なんですが』

「ごめん。でも欲しい情報があってさ」

『それって、俺に彼女ができることより重大な案件?』

「当たり前だ」

『ああそう。で?何よ。アタイを動かしたいならそれ相応の対価を貰うからね』


なぜかオネエ口調の聡太に苦笑いを浮かべる。


「宮水愛梨と、小上駅の繁華街で起きた暴行事件について何だが」

『……………んー、あーあれね。大学だと女子達に話題になってたあの事件かぁ。酷いよねぇ、女の子相手にさ』

「知ってたか」

『当たり前さ。ネットニュースにもなってたし。むしろ真也は知らなかったのか?』

「遅ればせながらさっき知ったところ」

『疎いねぇ、情報化社会に取り残されてるよ、チミ』


妙に勘に触る話し方をする友人に若干の面倒臭さを覚えつつ、話を続ける。


「それで、その事件の犯人を探すつもりなんだ」

『へぇ?それまたどうして』

「宮水愛梨さんの財布を拾ってね。高校に遺失物として届けた時に話を聞いて約束してしまった」

『…………変わらないな、お前は。警察がその財布を証拠として持っていかなかったことに質問したいが、まぁいいか。よし、いいだろう、この米倉聡太がその仕事手伝おう』

「助かる」

『何の、ダチの頼みだからな』


そう言って、聡太は電話を切った。


「あれ、もうこんな時間か」


携帯の時計の短針はいつの間にか六へと移り変わっていた。

俺は視界の端に小さな公園を見つけてふらりと足を運んでみる。

今日は歩き通しだったせいか無性にベンチで休みを取りたくなった。

住宅街の中の公園には人影一つない。

腰掛けたベンチにかけられた木はささくれて、尻がチクチクとする。


「────────────はぁ」


息を吐いて空を仰ぐと夕日に赤く染まった空があって、雲が揺蕩っている。

地平線に沈む太陽が眩しくて不意に後ろに向けた視界が閉ざされる。

────────────逢魔時。

隣にいる人の顔さえ曖昧になる時間。

だから、きっと、空に似た色が地面に広がっていても、それは見間違いである、はずだ。


「あ、は、ぁ?」


思考が、停止する。

全身が金縛りにあったように動けない。

搾り出した精一杯の悲鳴は情けなく、疑問符を伴って溢れる。

固まること五秒。

その間をもってして、ようやっと体が脈拍と呼吸を思い出す。


「何だ、これ」


文字通りの砂色で埋め尽くされている広場は、空の朱色に染められている。

その中心にぽっかりと空いた黒色の池。

それを満たす液体が身近で、しかし見慣れない物であるということに気づくのに時間を要した。


────────────────血。

真っ赤な血。

一歩、一歩と自分の正気を疑いながら近づく。

今にも心臓が口から飛び出そうなほどに早鐘を鳴らしている。

ようやく、そこにあるものを視認して、俺は、嘔吐した。

そこには紛れもない、死があった。

残酷で、非日常的な死が。

ヘドロのような血溜まりに浮かぶのは骨と肉。

テラテラと夕日を照り返すのは脂肪だろうか。

骨の一部の形状から、池が元は人であることを理解する。

辛うじて原型を留めたモノを見てそれが止めかのように、俺は膝をつく。

頭蓋骨に張り付いた半分の削ぎ残しは見覚えがある。

高塚蓮からの人探しの依頼。

その一人が、バラバラに解体されてあった。


「な、んで」


そんな、ありきたりな疑問を浮かべても何も分からない。

ただ、事実だけが脳裏に焼き付いた。

鼻腔を抜ける鉄の匂いがまた、空になった胃の内容物を吐き出させる。

もはや、吐き出さなければ耐えられない。

日常から乖離した死に俺の脳は拒否を示す。

嘔吐する俺の姿を見る者の影さえ分からぬ程に、俺は、現実から目を背けた。


──────────最悪だ」


目を開ける。

寝てしまっていたようだ。

時計を見ると、午前二時だった。


「何で、あの人は死んでいたんだ」


寝覚めの悪い頭を抱えて、思考する。

きっと、答えは出ないだろう。

手元に揃った情報では何もかもが不明瞭。

しかし、この思考は止められない。

だから俺はまた、意味のない思考に自分を埋めて綾を待つ。

                                  


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