第57話 冬籠
寒さがいよいよ骨に染みる頃合い、空気の乾きが肌を刺すようになったある日の朝――それは、毎年避けては通れぬ「石雪」の日だった。
空は薄く曇り、陽の光は弱く拡散している。
やがて、ぱらり、と最初の粒が落ちた。
白とも灰ともつかぬ微細な粉が、静かに、しかし確かな重みをもって地に降りてくる。
雪とは違う。音もなく積もり、触れればざらりとした感触を残すそれは、ただの自然現象とは呼びがたい異質さを帯びていた。
数時間のことだ。だが、その数時間で、地面は薄く覆われる。
今年は幸いにも量が少ない。
せいぜい一センチほどだろうか。だが、それでも放置は許されない。
これが肌に触れ、あるいは吸い込めば、ゆっくりと体を蝕む。それを、この地の者は皆知っている。
翌朝――領館の前庭には、すでに人の気配が満ちていた。
厚手の外套をまとい、帽子を深く被り、口元には布を巻きつける。
首元には隙間なく布を詰め、手には手袋。
わずかな露出も許さぬよう、全身を覆い隠す装いだ。鍬を肩に担ぎ、麻で編まれた袋と籠を背負った者たちが、無言のうちに作業へと散っていく。
まずは、自分の家から。
屋根に積もった石雪を落とし、庭へ払い、そしてそれを一箇所に集める。
乾いた音を立てながら、石の粉が寄せられていく。
集めたそれは、村の中央を流れる川へと運ばれる。
だが一度に流せば詰まる。
だから少しずつ、流れを見ながら、慎重に捨てていく。
かなりの重労働だった。
たった一日の降り積もりであっても、家の周辺の処理には丸一日、あるいはそれ以上を要する。
そして、その後も数日は村全体で残りを片付け続けなければならないのだ。
領館の庭でも、ステラが指示を出し、アバルトとカルロとラルディが手際よく動いていた。言葉は少ないが、動きには無駄がない。慣れたものだ。
その様子を、アルフィは窓越しに見ていた。
室内は暖かく、外とはまるで別の世界のようだ。
机には開きかけの帳面と、簡単な計算の練習跡。だが、視線はどうしても外へと引かれる。
皆が働いている。
その事実が、胸のどこかを静かに刺激する。
――私も、何かしたいな。
そう思う。
だが、子どもが外へ出ることは許されていない。
危険だからだ。だからできることは限られている。
アルフィは小さく息を吐き、再び机に視線を落としかけ――ふと、思考が別の方向へ滑った。
あの石雪。
あれは、石の粉末だろう。
そう考えた瞬間、どこか遠い記憶のようなものが、ふっと浮かび上がる。
曖昧で、輪郭はぼやけている。だが確かに「知っている」という感覚だけが残る。
石の粉。水。灰――あるいは石灰。
混ぜる。固まる。形になる。
――壁。
アルフィは、ぱちりと目を瞬かせた。
どうしてそんなことを思ったのか、自分でも分からない。
ただ、頭の奥で、そうすれば何かができる、と静かに確信している。
ストンの記憶の残滓だろうか。
その言葉が、ぼんやりと浮かぶ。
「……コンクリートか……今度、やってみようかな」
小さく呟く。だが、それは今ではない。今は材料も、道具も、足りないから。
ならば――今できることは。
視線が机の上へ戻る。
足し算と引き算の練習。繰り返し書かれた数字の列。
そこで、ふと別の考えが生まれる。
――これ、もっと早くできないかな。
数字を見る。並べる。動かす。
頭の中では簡単でも、それを他の人がやるには時間がかかる。
母のステラも、ジョアッキーノも、いつも苦労していた。
なら――道具があればいい。
一瞬、「電卓」という言葉がよぎる。だが同時に、それがこの世界では到底作れないものだと、なぜか分かる。
代わりに、別の形が浮かぶ。
棒。珠。はじいて動かす。
――そろばんか。
アルフィは顔を上げた。
そうだ、それならできるかもしれない。
珠になるもの。
そこで思い出すのは、あの川辺だ。遊びに行ったとき、水際に落ちていた丸くて固い種。
数珠玉。竹を削って棒にして、それを通せば――。
「……できるかも」
小さく、しかしはっきりとした声だった。
竹は倉庫にあったはずだ。数珠玉は、明日取りに行けばいい。
石雪の片付けが落ち着いたあとなら、きっと許してもらえるだろう。
もし、これがうまくいけば。
父や母の役に立つ。
領の仕事が楽になるかもしれない。
そして――もしかしたら、売れるかもしれない。
その考えに至った瞬間、アルフィの口元がわずかに緩んだ。
窓の外では、まだ石雪を集める音が続いている。
乾いた音と、人の気配。冬の入口に立つ、この地の営み。
その中で、アルフィは一つ、小さな可能性を手にしようとしていた。
どうせ暇なのだ。
ならば、作ってみよう。
そう思いながら、アルフィは机の上の紙に、見よう見まねで簡単な形を描き始めた。




