第58話 ジュズダマ01
翌朝、まだ空気に昨夜の冷えが残る中、領館の食堂にはいつもより早い時間から人の気配が満ちていた。
窓の外には、薄く残った石雪が白灰色に光り、踏みしめられるたびに乾いた音を立てている。
暖炉の火はすでに起こされていたが、それでも外気の冷たさは扉の隙間から忍び込み、室内の温もりとせめぎ合っていた。
アバルトとステラ、そしてカルロは、手早く朝食を済ませていた。
湯気の立つスープに固いパンを浸し、無駄のない動きで口へ運ぶ。
言葉は少ないが、視線の端で互いの準備を確認し合っている。
その緊張は、これから始まる作業が単なる労働ではなく、領全体に関わる責務であることを物語っていた。
食事を終えると、三人はすぐに立ち上がる。外套を羽織り、帽子を被り、布で口元を覆う。
いつもの装いだが、その一つひとつが慎重に、確実に整えられていく。
「では、行くぞ」
アバルトが短く言い、扉へ向かおうとしたそのとき、アルフィが椅子から身を乗り出した。
「ねえ、お父さん、お母さん」
まだ幼さの残る声だが、その中にどこか決意のようなものが混じっている。
「今日は、家で工作をしたいんだ。倉庫の竹をもらってもいい? それと……川のところにある、小さくて固い実も取りに行きたいんだけど」
アバルトは一度足を止め、振り返る。ほんのわずかに考える間があった。
視線はアルフィから、外の様子へと流れ、再び戻る。
「……そうだな」
低く呟くように言い、それから条件を付ける。
「コート、マスク、手袋をきちんとつけること。石雪には絶対に触るなよ。そして――ラルディが付き添うなら許可しよう」
アルフィの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
弾むような声だった。
ステラはその様子を見て、少しだけ眉を寄せる。
「危ないことはしちゃだめよ。約束よ」
やや強めの口調だが、その奥にあるのは明らかな心配だった。
アバルトは外套の紐を締めながらステラへ視線を向ける。
「今日はお前がこの村の指揮を頼む。俺はカルロと、他の村の様子を見て回る」
「分かったわ」
短く頷き、すぐに表情を引き締める。
そのまま三人は外へ出ていった。扉が閉まると同時に、外の乾いた音と人の気配がわずかに強く聞こえてくる。
残されたラルディが、ひとつ小さく息を吐いた。
「……では、アルフィ様。こちらも準備をいたしましょう」
どこか諦めたようで、それでいて手慣れた動きで、自分とアルフィの装備を整え始める。
厚手のコートを着せ、手袋をはめさせ、口元に布を巻く。
自分も同じように装備を整え、最後に籠を手に取った。
二人は並んで外へ出る。
冷気が一気に頬を打つ。息が白く広がり、すぐに風に流される。
領館から川までは、歩いて数分の距離だ。
だがその短い道のりにも、すでに多くの人が動いていた。
石雪を集め、袋に詰め、川へと運ぶ者たち。
鍬が地面を削る音と、袋を担ぐ足音が、規則的に響いている。
アルフィは通りすがる人々に、軽く手を上げて挨拶をする。
そのたびに、忙しい中でも誰かが手を止めて笑みを返してくれた。
やがて川縁に辿り着く。
水の流れはいつもよりやや鈍い。
石雪が少しずつ流されているからだ。
岸辺には、灰色の粉がところどころに積もり、小さな山を作っている。
アルフィはその少し外れ、枯れ草がこんもりと茂る場所へと足を向けた。
視線を落とし、草の間を探る。
そして――見つけた。
自分の背丈ほどもある枯れ草の中に、鈍い光を帯びた丸い実がいくつもついている。
灰色、白、黒。どれも指先ほどの大きさで、硬そうな光沢を持っていた。
「ラルディ、これだよ!」
嬉しそうに振り返る。
「この実、たくさん拾ってね!」
アルフィはしゃがみ込み、せっせと拾い始めた。
手袋越しでは細かい感触が掴みにくく、指先が思うように動かない。
それでも構わず、夢中で籠に放り込んでいく。
ラルディも一つ拾い上げ、まじまじと眺める。先日の干し柿を思い浮かべたのか、アルフィに聞いてくる。
「……アルフィ様、聞いたことはございませんが、これも食べられるものですか?」
興味半分といった声音だった。
アルフィは少し考え、記憶を辿るようにして答える。
「これは食べられないよ。でも、似てる種類の草の実で食べられるのはあった気がする。あ、でもこの実は炒ってお茶にできるんだったかな」
「なるほど……」
納得したように頷きながらも、ラルディはさらに問いを重ねる。
「では、これを集めて何をなさるおつもりで?」
アルフィは顔を上げ、にこっと笑った。
「内緒!」
その即答に、ラルディは肩をすくめる。
「……左様でございますか」
それ以上は聞かず、黙々と拾い始めた。
一時間以上も黙々と取り続けた。
二人の動きが徐々に鈍る。ずっと屈んでいたせいで、腰に重さが溜まっていた。
アルフィが立ち上がり、腰に手を当てて反らす。
「うー……」
同じようにラルディも背を伸ばしていた。
ふと視線が合う。
一瞬の間のあと、どちらともなく笑みがこぼれた。
やがて籠は、丸い実でこんもりと満たされた。表面は光沢を帯びて光り、思いのほか美しい。
それをそのまま川へと運び、籠ごと水に沈める。
ざぶり、と音を立てて揺れ、表面の石雪が流れ落ちていく。
引き上げると、ラルディが両手で籠を持ち、勢いよく振った。水滴が飛び散り、すぐに冷気に消えていく。
「これでいいかな」
二人は頷き合い、そのまま領館へと戻った。
玄関で丁寧に靴と外套の表面を払い、残った石雪を落とす。
中へ入ると、暖炉の熱がじんわりと体を包み込んだ。
拾ってきた実の籠は、暖炉のそばへと置く。水気を飛ばすためだ。




