第56話 干し柿の顛末
朝食の卓には、湯気を立てる粥と焼いたパン、簡素な副菜が並び、その中に――
昨日のそれとは違う、少しだけ控えめな存在として、あの干し柿が皿に添えられている。
窓から差し込む淡い朝の光が、皺を寄せた飴色の表面に柔らかく反射し、どこか艶を帯びて見えた。
昨夜の驚きがまだ記憶に新しいのか、誰もが自然と手を伸ばし、口に運ぶ。
「やっぱり……甘いな」
ナパールが静かに呟く。その声に、シルエイティも頷きながら小さく笑った。
リーナは隣で嬉しそうにその様子を見つめ、アルフィもまた、皆の反応を見ながらどこか誇らしげに微笑んでいる。
食事は穏やかに進み、やがて終わる。
ナパール一家は、残った干し柿を大事そうに布へ包み、まるで壊れ物でも扱うかのように抱えながら帰路についた。
その背を見送りながら、庭先にはまだ朝の白い息がかすかに漂っている。
応接間へ移り、ようやく一息ついた頃だった。
「アルフィ、ちょっと来てちょうだい」
ステラの声は穏やかではあるが、どこか張り詰めている。
アルフィは一瞬だけ首を傾げたものの、素直に頷き、そのまま手を引かれるようにして執務室へ向かった。
廊下は朝の静けさに包まれている。小さな靴音だけが、石床に控えめに響いた。
扉が開かれると、そこにはすでにアバルトとカルロ、そしてラルディが揃っていた。
机の上は片付けられているが、その代わりに、どこか会議でも始まるような空気が漂っている。
席につくや否や、ステラは間を置かずに口を開いた。
「アルフィ、あの干し柿の作り方を教えてちょうだい」
その声は真剣そのものだった。
柔らかさは残しているものの、逃さないという強い意志が滲んでいる。
アルフィはわずかに肩をすくめる。
視線を上げると、全員が自分を見つめていた。その視線の重さに、思わず小さく喉が鳴る。
その様子に気づいたアバルトが、静かに口を挟んだ。
「ステラ、また、少し怖がらせているぞ」
短い指摘だった。だが、それだけで十分だった。
ステラははっとしたように目を瞬かせ、それからすぐに表情を和らげる。
「……ごめんなさい、アルフィ」
椅子から少し身を乗り出し、娘と視線を合わせた。
「でもね、あの干し柿は本当にすごいのよ。柿そのものが、この辺り以外ではあまり見ない木らしいの。それに、実がなるまでに十年近くかかると聞いたわ」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「つまりね……少なくとも十年は、この領だけのものになる可能性があるの。あの甘さでしょう? しかも、保存もききそうだわ。そうなれば――これは特産品になるかもしれないのよ」
一度息をつき、少しだけ眉を下げる。
「だから、つい……強く聞いてしまったわね。本当にごめんなさい」
素直に頭を下げた。
その様子に、アルフィの肩からわずかに力が抜ける。
こくりと頷き、小さく口を開いた。
「えっとね……柿がなったら、茎をちょっと長めに残して切って、それから皮をむいて……軒下に一ヶ月くらい干しただけだよ」
言いながら、自分でも不思議そうに小首を傾げる。
「あ、でも……小鳥が食べに来るかもしれないから、それは気をつけないといけないかな。作り方は……それくらい」
あまりにも簡潔な説明に、ステラが思わず呟いた。
「そんなに……単純なのね」
ラルディが静かに補足する。
「はい。私も皮剥きを手伝いましたが、特別なことはしておりません。普通に皮をむいて、吊るしただけでした」
カルロも頷きながら続ける。
「私は、鳥除けのために笹を取りに参りました。干している柿を覆うように配置しただけです」
その流れの中で、アルフィがふと思い出したように口を挟む。
「それとね、黒い丸を書くと、鳥は目だと思って近づきにくいって聞いたことがある気がする。それに、大きな黒い鳥の絵も……小鳥は怖がるんじゃないかな」
言いながら、自分でもどこから出てきた知識なのか分からないような表情を浮かべ、小さく首を傾げていた。
アバルトが静かに問いかける。
「アルフィ、それはどこかで学んだのか? 本か何かで見たのか?」
アルフィは小さく首を横に振る。
「ううん……分からない。でも、なんか……こうすればいいって、急に頭に浮かんできたの」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わる。
アバルトが顎に手を当て、思案するように言う。
「……あの時、ストンが一時的にアルフィになったことがあったな。その影響かもしれん」
ステラも静かに頷く。
「ええ……もしかしたら、加護のようなものかもしれないわね」
その言葉を聞いた瞬間、アルフィの表情がわずかに曇る。
「……私、気持ち悪い?」
小さな声だった。だが、その一言は重く、真っ直ぐだった。
間を置かず、アバルトが答える。
「気持ち悪いものか。アルフィはアルフィだ」
迷いのない声だった。
同時に、ステラが椅子から立ち上がり、アルフィをそっと抱き寄せる。
「どんなことがあっても、あなたは私の大切な娘よ」
その腕は温かく、迷いがなかった。
アルフィはその胸の中で小さく息をつき、ようやく肩の力を抜いた。
やがて礼を言われ、アルフィはカルロとラルディと共に執務室を後にする。扉が閉まり、足音が遠ざかると、室内には静けさが戻った。
その静寂の中で、アバルトが大きく息を吐く。
「……とんでもないことだな」
低く呟き、椅子に深く腰掛ける。
「アルフィの中に、あのストンの記憶が残っている可能性がある。確か……あの時、ストンは“ニホン”という異世界から来た、“コウキ”という名の男性だと言っていたな」
視線を落とし、続ける。
「これは、軽々しく外に出す話ではない」
ステラも静かに頷く。
だが次の瞬間、ふっと柔らかく微笑んだ。
「ええ。でも――たとえ誰の記憶があったとしても、アルフィはアルフィよ。私たちの娘に変わりはないわ」
その言葉に、アバルトもわずかに口元を緩める。
「そうだな。ただ……何か思いついたとしても、誰彼構わず話すなとは教えておいた方がいい」
「ええ、その方がいいわね」
短く言葉を交わし、そして――
ステラがくすりと笑う。
「もしかしたら、アルフィは……私たちに幸を運んでくる使徒さまかもしれないわね」
その冗談めいた言葉に、アバルトも笑う。
重かった空気が、少しだけ和らぐ。
冬を目前に控えた朝の静けさの中で、領館の奥では、小さな未来の種が静かに芽吹き始めていた。




