第55話 干し柿
暖炉の火がぱちりと弾け、その音だけが一瞬、場の張り詰めた空気を緩めたように思えたが、すぐにまた視線が三人へと集まる。
円卓の周りには大人たちが揃い、まるで何かの評議でも始まるかのような重苦しさが漂っていた。
ステラは椅子の背に手を置き、身を乗り出すようにしてアルフィたちを見つめ、ジョアッキーノは指先で卓を軽く叩きながら、興奮を抑えきれぬ様子で口を開こうとしている。
シルエイティは眉を寄せつつも冷静に観察し、アバルトは腕を組んだまま低く唸るように考え込み、ナパールはその背後で静かに様子を見守っていた。
その中心に座らされたアルフィ、リーナ、タツィオの三人は、先ほどまでの喜びが嘘のように小さくなり、互いに顔を見合わせることしかできなかった。
たったそれだけ――柿を干して、皆に食べてもらっただけのことが、なぜこうなるのか分からない。
ただ、大人たちの目が真剣であるほどに、逃げ場のない居心地の悪さがじわじわと広がっていく。
「これはどうやって作るの?」
「干す期間は何日くらいだ?」
「なぜ腐らないの? 風? 日に当てたから?」
「あの渋みはどこへ消えたの?」
「保存はどれほど利く?」
矢継ぎ早に飛ぶ問いは、まるで責め立てるようで、その一つ一つに答えようとしても、言葉が追いつかない。
アルフィは口を開きかけて閉じ、タツィオは困ったように眉を寄せ、リーナは視線を彷徨わせる。
やがて――
「……ぐすっ…」
小さく、押し殺すような音が漏れた。
それがきっかけだった。リーナの瞳が潤み、堪えきれずに涙がこぼれる。唇が震え、肩が小さく揺れる。
「みんなに……喜んでもらえると思ったのに……」
声は細く、途切れ途切れだったが、確かにその場に響いた。
「なんで……そんな怖い顔で、リーナ達を責めるの……っ!」
その言葉に、タツィオもぐっと唇を噛み、目元を赤くする。
アルフィもまた、胸の奥が締め付けられるように苦しくなり、気づけば視界が滲んでいた。
三人の中で共有していたのは、ただの素朴な思いだった。甘いものを作れた――だから、きっと皆が喜んでくれる。それだけだったのだ。
その小さな願いが、今は押し潰されかけている。
空気が変わる。
ステラがはっと息を呑み、すぐに表情を崩した。先ほどまでの鋭さは消え、慌てて三人に歩み寄る。
「ごめんなさい……!」
その声は、先ほどまでとはまるで違っていた。柔らかく、そしてどこか必死で。
「違うのよ、責めてるんじゃないの。驚いたの……本当に、驚いたのよ」
膝を折り、視線を合わせる。
「この国ではね、甘いものって、ほとんど手に入らないの。蜂蜜はあるけど、あれは偶然に近いものだし、砂糖なんて遠い国から運ばれてくる、とても高いものなのよ」
ゆっくりと、一つ一つ言葉を選ぶ。
「それが……あの渋くて誰も食べない柿が、こんなに甘くなるなんて……そんなこと、誰も知らなかったの」
シルエイティも頷き、穏やかに続ける。
「だから、つい……聞きすぎてしまったのね。怖がらせるつもりはなかったのよ」
アバルトも腕をほどき、少しだけ苦笑を浮かべる。
「喜んでいるさ。とても美味しかったよ。私たちは、驚きすぎただけだ。……すまなかったな」
その言葉に、ようやくアルフィが顔を上げる。涙で滲んだまま、それでも確かめるように口を開いた。
「……みんな、喜んでくれたの?」
一瞬の間。
そして、アバルトが大きく頷く。
「もちろんだ。あれほど甘くて旨いものは、そうそうない。皆、心から喜んでいる」
その言葉に、張り詰めていた何かが、ふっと解けた。
リーナの涙はまだ頬に残っているが、その口元に小さな笑みが戻る。タツィオも鼻をすすりながら顔を上げ、アルフィもようやく息を吐いた。
その空気を見て、ジョアッキーノが一歩前に出る。先ほどまでの勢いは少し抑えられているが、それでも目の奥の熱は隠せない。
「……これは、商いになりますな」
低く、しかしはっきりとした声だった。
「今年はもう遅い。しかし来年、あの柿を集めて、村総出で干せば……他領へ売ることができるでしょう。この甘さは、間違いなく価値になります」
ステラもその言葉に応じるように、ゆっくりと頷く。
「ええ……それに、保存も利くかもしれない。冬の備えにもなるわ」
シルエイティが思案するように口を開く。
「そもそも、あの柿の木って……他領ではあまり見ないですわよね?」
アバルトが顎に手を当て、記憶を辿る。
「確かにな。この周辺ではよく見かけるが、他領ではほとんど見たことはないな」
ナパールも静かに頷く。
カルロが一歩前に出て、穏やかに補足する。
「亡くなった祖母が申しておりました。あの木は実をつけるまでに、長い年月がかかると。十年近くとも」
その言葉に、ステラとジョアッキーノが視線を交わす。
そして――
二人は、同時に、わずかに笑った。
「……これは、他領には真似できないかもしれない。確実に売れるわね」
「ええ、間違いなく」
静かな確信だった。
部屋の空気は、先ほどまでの緊張とはまるで違うものへと変わっていた。重さはある。だがそれは圧ではなく、可能性の重みだった。
アルフィはその変化を、うまく言葉にできないまま感じていた。ただ一つ分かるのは――
みんなが、喜んでいる。
それだけで、胸の奥がじんわりと温かくなった。
その夜、就寝の支度が整い、灯りが落とされていく中で。
廊下の薄明かりの中、アバルトがアルフィのもとへ歩み寄った。
手には、小さな石。
ストンだった。
「これを、返す」
静かに差し出す。
アルフィはそれを両手で受け取る。ひやりとした感触が掌に伝わる。
「ありがとうな」
そう言って、アバルトはそのままアルフィの頭に手を置いた。大きく、重みのある手が、ゆっくりと撫でる。
その温もりを感じながら、アルフィは石を握りしめる。
――守ってくれて、ありがとう。
声には出さず、ただ心の中でそう告げる。
ストンは何も答えない。ただ静かにそこにある。
それでも、不思議と、伝わっているような気がした。
そのまま床に入り、目を閉じる。
外では風が鳴り、遠くで何かが軋む音がする。冬が、すぐそこまで来ていた。




