第46話 秋:軍役へと出立
秋の色が一段と深まり、朝の空気に冬の気配が混じりはじめた頃、領館の中庭には静かな緊張が満ちていた。
乾いた風が落ち葉を転がし、遠くで鳴く鳥の声さえ、どこか遠ざかっていくように感じられる。
今日――アバルトとパナール、そして従者たちは、北西の彼方、ウッドカッター山脈を越えた先にあるアマロック辺境伯領へと向かうのだ。
ここからおよそ一週間、険しい山道を越えて辿り着くその地は、帝国の北門とも呼ばれる要衝であり、常に外敵と魔物の脅威に晒されている。
ベルリネッタ領のような貧しい領にとって、穀物や金による税ではなく軍役で義務を果たすという選択は、避けようのない現実であった。
領館の玄関先では、ステラが慌ただしく、それでいてどこか名残惜しげにアバルトの身支度を整えていた。
外套の襟を直し、荷の紐を確かめ、何度も同じ場所に手をやる。
その指先に宿るのは、妻としての気遣いと、言葉にできない不安だった。
「これで、よろしいですか……?」
静かに問う妻の声に、アバルトは小さく頷き、そして視線をアルフィへと向ける。
「アルフィ、その石を……少しの間、貸してくれないか」
唐突な願いだったが、アルフィはすぐにその意味を理解した。
あの石――ストン。それはただの石ではなかった。家族の時間を、確かに見守ってきた存在だ。
アルフィは一瞬だけ考え、やがてにっと笑うと、懐から大切そうに取り出して差し出した。
「いいですよ。でも、約束してくださいね。無事に帰ってきて、それをちゃんと返してくださいよ?」
腰に手を当て、胸を張る。
「返してくれなかったら、わたし、本気で怒りますからね!」
その声音は明るいが、奥に滲むのは子どもなりの祈りだった。
アバルトはその石を受け取り、重みを確かめるように掌で包むと、ふっと笑った。
「借りたものは、必ず返す。それが約束だからな」
そのやり取りを見ていたステラも、わずかに微笑む。しかし、その目の奥に揺れる影は消えない。
やがてアバルトは表情を引き締め、短く告げた。
「――行ってくる。留守を頼む」
その一言に、夫として、父として、そして領主としての重みが宿る。
領館を出ると、村の門前にはすでに多くの領民が集まっていた。
冷たい朝の空気の中、吐く息が白く漂い、その一つひとつが見送りの言葉に重なる。
「アバルト様!どうかご無事で!」
「アバルト様と従士の皆さん、お気をつけて……!」
声が重なり、祈りのように響く。
パナールや従者たちのもとには、それぞれ家族や恋人が寄り添い、最後の言葉を交わしていた。
涙を堪える者、笑って送り出そうとする者――そのどれもが、別れの重さを物語っている。
やがてアバルトが一歩前に出た。
「皆、聞いてくれ」
その声に、ざわめきが静まる。
「我らはこれより務めを果たしに行く。だが――必ず、全員で帰ってくるとここに誓う」
一瞬、間を置き、周囲を見渡す。
「だからこそ、皆も無事でいろ。この地を守り、笑って我らを迎えてくれ」
その言葉に、力強い頷きと声が返る。
アバルトとパナールは馬に跨り、従者たちは槍と荷を担いで続く。
馬の側には、しっかりと括りつけられた椎茸の袋――この地のささやかな希望が揺れていた。
やがて一行は歩み出す。蹄の音が土を叩き、次第に遠ざかっていく。
誰もがその背を見つめ、見えなくなるまで手を振り続けた。
完全に姿が消えたあと、しばしの静寂が訪れる。
その中で、ステラが一歩前に出た。
「……みんな、冬支度は済んでいるかしら」
振り返るその目は、もう迷いを含んでいなかった。
「これからは、残された者の戦いよ。この冬を――誰一人欠けることなく、乗り切りましょう」
その言葉は静かでありながら、確かな芯を持っていた。
領民たちは力強く頷き、それぞれの家へ、仕事へと散っていく。風が吹き、落ち葉が舞う。
その光景の中で、アルフィはただ一人、遠く消えていった父の背を思い浮かべていた。
胸の奥に残る温もりと、渡した石の重みを、確かめるように。




