第45話 秋:紅葉狩り05
そして、ボクサー村の門をくぐり、土の匂いと人の気配に包まれた瞬間、一行はようやく肩の力を抜いた。
山の緊張がほどけ、誰もが小さく息をつく。
だが、その安堵も束の間だった。解散の前に、ステラが一歩前に出る。
手際よく、迷いのない動きで籠の中身を仕分け始めた。
形の良い椎茸を選び取り、各家の人数分だけをすばやく配っていく。
渡された者たちはほっとしたようにそれを受け取るが、それ以上に――その後の動きが早かった。
残りの椎茸は、ほとんど間を置かず回収されていく。
「これは乾燥させます。アバルトが辺境伯様のところへ軍役に出た時に、街で売ってもらいますね」
淡々とした口調でそう言いながらも、その目は鋭く光っていた。
「戻ってきたら、その分はきちんと皆さんにお渡ししますから」
最後にそう付け加えたとき、ステラの瞳には隠しきれない熱が宿っていた。
誰も反論しない。無言で頷くだけだ。
それだけで、この椎茸の価値がどれほどのものか、十分に伝わっていた。
アルフィもまた、その光景を見ながら、胸の内で静かに納得する。――本当に、貴重なのだ。
領館へ戻るや否や、ステラはすぐに声を上げた。
「ラルディ、すぐ来てちょうだい」
呼ばれて現れた侍女ラルディに椎茸を見せると、彼女の表情が一変する。
「まあ……!」
思わず漏れた歓声。次の瞬間には、もう動いていた。
そそくさと奥から大きなザルをいくつも持ち出し、作業の準備を整える。
椎茸は一つひとつ、布巾で丁寧に拭かれていく。
土や汚れを落とし、形を崩さぬように気を配りながら。
やがて、ザルの上に並べられていく。
傘を下に――ヒダを上にして、互いに触れぬよう間隔を空けて。
「こうして、風通しの良いところで干すのです」
ラルディがアルフィに説明する声は、どこか誇らしげだった。
「しっかり乾けば、旨味が凝縮されて、日持ちもいたします。商人も喜んで買い取りますよ」
その言葉に、ステラの口元がゆるやかに緩む。
すでに頭の中では、その先の算段まで組み上がっているのだろう。
その日の夕食。食卓に並んだのは、わずか一人一つの椎茸だった。
アバルト、ステラ、アルフィには大きなものが選ばれ、カルロとラルディには小ぶりなものが渡される。
「大きいのを取ってくれて構わん」
アバルトが言うが、二人は静かに首を振った。
「私どもは何もしておりませんので」
そう言って、小さな椎茸を恭しく受け取る。
炭火の上で、じわりと焼かれていく。
やがて、じゅ、と音を立てて汁が浮かび上がり、香ばしい匂いが広がった。
軽く塩を振る。それだけで、十分だった。
一口。歯を入れた瞬間、じゅわりと旨味が溢れる。
香りとともに広がる濃厚な味。
それが、ただの一つの椎茸だとは思えなかった。
「やっぱり、美味いな」
アバルトが満足そうに言い、ステラとアルフィを見る。
「アルフィは初めてだろう?」
アルフィは小さく頷いた。
確かに、美味しい。だが同時に、別の感覚が胸をかすめる。
――前は、こんなふうには思わなかった気がする。
椎茸を特別だと思った記憶は、どこかにあっただろうか。
「……前?」
自分の中に浮かんだその言葉に、わずかな違和感を覚える。
だが、その先は思い出せない。
ただ、何かが引っかかる感触だけが残った。
翌朝。雲一つない秋空の下、庭には柔らかな光が降り注いでいた。
ステラとラルディは、朝早くから動いている。
昨日の椎茸が、いくつものザルに並べられ、日差しの中に整然と置かれていた。
ラルディは腕を組み、真剣な顔でその前に立っている。
「私はここで見張っております」
その声には、妙な気迫があった。
「風で重なったりすると、黒ずんでしまいますし……何より、鳥が狙ってきますから」
ちょうどそのとき、リーナがやって来た。挨拶もそこそこに、顔を輝かせて話し出す。
「昨日の椎茸、とても美味しかったです!」
普段は控えめな彼女が、珍しく言葉を重ねる。
それだけで、その味の印象がどれほど強かったかが分かる。
アルフィとリーナが庭へ出ると、ラルディが鋭い視線で周囲を見渡していた。
まるで番兵のように。その足元には、いくつものザル。並べられた椎茸が、ゆっくりと乾いていく。
アルフィはその数を目で追った。
ざっと見て、八十はある。
一つ、銅貨二十枚とすれば――頭の中で、自然と計算が弾かれる。
銀貨にして十六枚。それは、この地にとって決して小さくない額だった。
父と母の話を思い出す。この領の年の税収は、銀貨百枚にも満たない。
――ならば。
採取したみんなにそれなりの報酬を渡したとしても、この椎茸だけで、その一割以上を賄えそうだ。
それがどれほどの意味を持つか、子供であるアルフィにも理解できた。
だからこそ、ステラのあの目だったのだろう。ラルディが、あれほど真剣なのも。
アルフィは、乾き始めた椎茸を見つめながら、静かに思う。
この小さな恵み一つで、人はこれほどまでに表情を変えるのだと。
そして――
この領で生きるということの重さを、ほんの少しだけ理解した気がした。




