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私、 転生して路傍の石になっちゃいました。 ~石から始まる、底辺騎士爵の娘の受動的英雄譚。なぜか放っておいてもらえません~  作者: 大童好嬉


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第39話 夏:魚釣り03

草むらのざわめきは、最初はただの風かと思われた。

だが、その揺れ方には規則がなく、何かが潜んでいる気配があった。

村人が作業でもしているのか――そう思って、アルフィは一歩だけ踏み出し、葉をかき分けて覗き込む。


その瞬間、空気が変わった。

そこにいたのは、人ではなかった。緑がかった皮膚。

裂けた布のような衣をまとい、錆びて欠けた剣を手にしている。

小さく歪んだ顔に、濁った眼がぎょろりと動いた。


ゴブリン。


この辺りには出ないと聞かされていた存在が、当たり前のようにそこにいた。

アルフィの背筋を、冷たいものが走る。


――魚がいない。何かがいるかもしれない。

朝、マグナイトの言葉が、遅れて胸に刺さった。


ゴブリンもまた、こちらに気づいたらしい。

ほんの一瞬、驚いたように目を見開き――次の瞬間には、にたりと口を歪めた。

よだれを垂らしながら、一歩、こちらへ踏み出す。


アルフィは反射的に後ずさる。逃げるべきだと頭では理解していた。

だが――ちらりと後ろを見る。

リーナが腰を抜かしている。顔は青ざめ、ぶるぶると震えていた。

武器はない。逃げるにも、このままでは間に合わないかもしれない。


そのとき、ポケットの中の感触に意識が触れる。あの石――ストン。

アルフィは躊躇なく釣竿と籠を投げ捨て、石を握り込んだ。

掌の中で、かすかに冷たく重い感触が返ってくる。


ゴブリンが喉を鳴らし、奇妙な声を発した。距離が詰まる。アルフィは視線を外さず、低く言う。

「リーナ、タツィオ……逃げる準備をして」

声は思いのほか落ち着いていた。

「まだ一匹だけどが……ゴブリンが一匹でいることはないと聞いいたわ。たぶん、他にもいる!」

その言葉に、タツィオがはっとし、リーナの手を掴んで引き起こす。


――その直後だった。

ガサガサ、と別の草むらが揺れる。

二つ。

さらに二匹のゴブリンが姿を現した。

合計、三匹。

包囲ではないが、逃げ道は狭まる。アルフィは一度だけ息を吸い、決めた。

「わたしが合図するから――その瞬間に逃げて!」

振り返らずに言う。

「絶対に振り返らずに走って。誰かを呼んできて!」


二人の気配が、小さく頷いた。

最初のゴブリンが錆びた剣を振り上げる。にたぁ、と笑うその顔に向かって、アルフィは石を振りかぶった。

そして――投げる。

風を切る音。

石は真っ直ぐに飛び――

ゴブリンの顔面に、めり込んだ。


鈍い音とともに、絶叫が弾ける。

「今だよ! 行って!」

その瞬間、タツィオとリーナが走り出した。残りの二匹が一瞬そちらを見る。

だが、すぐにアルフィへと視線を戻した。標的が定まる。逃げ場は、もうない。


アルフィは両手を握りしめる。胸の奥に、あの感覚があった。

――固くなれる。

理由は分からない。だが確信だけがある。

「石のように――」

小さく呟き、強く念じる。両手の拳が、重くなる。

内側から締め付けられるような圧が走り、骨の奥に硬質な感触が満ちていく。拳を握る。石のように、硬い。


そのとき、父の言葉がよぎった。

――領主は、領民を守るために在る。

――そのために、力も、地位も与えられている。

――それが貴族の矜持だ。

アルフィは一歩踏み出した。ゴブリンが、わずかに戸惑う。

武器も持たぬ子供が、逃げずに向かってくるとは思っていなかったのだろう。


アルフィは、思わず頭に浮かんだ意味の分からない言葉を声に出した。

「先手必勝……!」

拳を顎の前に構え、脇を締める。そして――踏み込む。

距離が一気に詰まる。最初の一撃。拳が、ゴブリンの顎を捉えた。鈍い衝撃が腕を伝う。

頭部が跳ね上がり、その身体がぐらりと揺れる。


間を置かず、次。大きく振りかぶった右拳を、別の個体の右頬へ叩き込む。

骨が軋む感触。ゴブリンが転がる。

倒れた個体の近くに、最初のゴブリンの錆びた剣が落ちていた。

アルフィは瞬時に右手の固形化を解き、迷わずその剣を掴む。


重い。だが握れる。

そのまま、顎を殴られてうずくまるゴブリンへ、無我夢中で何度も何度も胸の辺りを剣で突き込む。

刃が肉を裂く感触が、手に伝わる。声は出なかった。

ただ、止めなければならないという思いだけが、腕を動かしていた。

やがてその動きが完全に止まり、ただの肉塊へと変わる。

息をつく間もなく、アルフィは次のゴブリンへと視線を移す。

右頬を打ち抜かれた衝撃からか、首をぎこちなく揺らしながら、その個体はようやく体勢を立て直そうとしていた。


不自然な動きで頭を振り、焦点の合わぬ目でアルフィを捉える。

やがて、理解が追いついたのか、ぐらりと立ち上がり――棍棒を握り締めた。

その口が大きく開き、喉の奥から絞り出すような奇声が空気を震わせる。

恐怖を煽るその声にも、アルフィの足は止まらない。ただ、距離だけを見ていた。

振り上げられる棍棒。それが落ちる瞬間を、見極める。


――今。

アルフィは半歩踏み込み、振り下ろされる軌道からわずかに身体を外した。

風を裂く音が耳元をかすめる。そのまま、握った錆びた剣を振り抜いた。

狙いは――首。

力任せに、しかし迷いなく。刃が肉を裂く感触が腕に伝わる。

次の瞬間、手応えがわずかに軽くなる。ゴブリンの首が、奇妙な角度に傾いた。


完全には断ち切れていない。皮一枚を残して、だらりと垂れ下がる。

時間が、一瞬だけ止まったように感じられた。

遅れて――血が、噴き出した。弧を描いて飛び散り、空気を赤く染める。

温かい飛沫が、頬に、手に、服に叩きつけられる。アルフィの視界が、赤に塗りつぶされていく。

それでも、手は止まらなかった。ただ、目の前の存在を、確実に終わらせるために。

最後の一匹。石を顔面で受け、鼻が陥没し、なおも呻いている。


アルフィは馬乗りになり、錆びた剣を握り直す。

そして――振り下ろした。

一度。

二度。

三度。

何度も。

何度も。


刃が滑り、アルフィの手のひらが裂けても、それでも止まらない。


「――死ね」


気づけば泣きながら声が漏れていた。


「死ね、死ね、死ね……!」


すでに動かなくなったそれに、なおも刃を突き立て続ける。



音も、匂いも、何もかもが混ざり、ただ腕だけが動いていた。

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