467 だまされている
独り占めをしたいけど、嫌われたくない。
好きだからこそ、そう思ってくれているのだと馬鹿な僕でも分かる。
涙を流すアンの髪に優しく触れた。
体が火傷してしまいそうなほど、火照っている。
(……僕って、クズだよな……ほんと)
こんなに思ってくれてる人がいるのに。
押しに弱いのはヘタレだからなんだろうな。
通路を見渡す。誰もいない。魔素感知にも引っかかりはない。
胸元の顔をゆっくりと支えて、僕はアンの唇に唇を重ねた。
「ご機嫌とりですか……?」
「……まぁ、そんな感じ」
「わたしはそんなに単純じゃないですよ」
なんて言われたから、少し俯いて視線を反らした。
「……謝るってことは、悪いと思ってるってことになるからさ。ちょっとその難しい所なんだけど」
こんな開けた場所で言うことではないんだろう。
でも、僕はアンの頭を軽く撫でながら話を続ける。
「イブに好きって言われたんだ。キスもされちゃってさ。でも、僕の中でパートナーはアンだって思ってるから。その告白を受け止めることはしなかったんだ」
アンの瞳が渦を巻いていた。
驚きやいろいろな感情が映し出されている気がした。
だから、心の距離を近づけるために僕はアンの体を近くに抱き寄せた。
「僕は煮えきらない奴で。それで、イブの告白も有耶無耶にして、結局、友達じゃなくなっちゃった。イブは監査庁に入っちゃって、僕たちの敵にもなった。…………僕もどうしたら良いのか分からなかったんだ」
アンの胸に僕の胸が触れる。だからか、震えているのが分かった。
彼女は僕の背中をギュウッと爪を立てて掴んだ。そして、
「わたしは……お邪魔ですか……?」
消え入るような声でそう呟いた。だから、間髪入れずに。
「そんなことないよ。そんなことない」
その言葉を上書きし、強く抱きしめた。
アンだって不安に決まってる。
転生者だと疑われて、投獄され、ひどい言葉を投げかけられたのだ。
そして、この屋敷につれてこられて……離れ離れになって。
そんな状況の彼女を置いて、僕は…………。
「アンがいてくれるだけで頑張れるんだ。僕は弱いから。アンみたいに折れずに何にでも立ち向かっていける強い人がいたら僕も強くなった気持ちになれるんだ」
一生懸命頑張ってるつもり。
でも、それは結局「つもり」でしかないのだ。
事実、アンを不安にさせて、イブという友達はいなくなって。
僕が情けないから、全員を不幸にさせてしまっている。
「僕は弱いから色々と決めるのが怖いんだ。人の手を引っ張るのが怖い。責任を持てない」
昔からそうだったから、これは治らない悪い癖なのだろう。
決まったレールに乗って人生を歩いて、親が消えて踏み外して。
転落していく人生に身を任せて、それを受け止めて。
転生してもそれは変わらない。弱い僕は弱いままなのだ。
「僕一人じゃあなにも出来ない。アンがいてくれるから頑張れるんだ。そうでなきゃ、広場であんな大勢を前にして嘘をつけないよ」
謝るように言葉を並べると、アンは僕の体をゆっくりと押してきた。
体と体が離れ、顔を見合わせると……彼女は涙を目に溢れるほど貯めていた。
「あるじ……ヘタレは嫌われますよ」
「そうだね……ハッキリしないやつは嫌われるね」
「でも、わたしは。わたしだけはそんなあるじが大好きです」
「……ありがとう」
「この世界で全員が敵になっても、わたしだけはあるじを愛して護り抜きます」
「……言われる側になるとは思わなかったよ、ソレ」
そうつぶやくと、アンは僕の両頬を手を当てて唇を重ねてきた。
舌を絡めて、お互いの瞳から溢れてくるたくさんの感情を誤魔化すように。
離れ離れだった時間を取り戻すように。
ぷは、と久々のまともな呼吸を取ったが、その蕩けたアンの顔を見て、僕はまた彼女を貪るようにして口内を犯した。
人の目を気にせず、発情をした獣のように。
誰にも見られていないことを祈って。
「はぁっ……はっ……」
いつの間にかアンの背中が壁にあたるようになって、覆いかぶさるように僕はアンの耳に手を触れていた。
荒い息遣いと溶けてしまいそうなほど熱くなったアンの体温を手のひらから感じながら、股の間に足を入れ込んで。
──コツコツ。
「!!」
バッと体を離すと、向こうの曲がり角から侍女頭さんが歩いてきていた。
「掃除をしていますか」
「あ、は、はい」
と誤魔化すように笑いながら乱れていた服を整える。アンなんて服がすごいことになってるから時間がかかってる。
その様子を不思議そうに見る侍女頭さんの視線は放り投げられている箒と転がっているバケツに向けられた。
さっき足にあたったのバケツか。足が濡れてると思ったら……。
「改めて聞きます。掃除をしていますか」
「いえ……サボってました」
「掃除をしてください」
そう忠告すると、奥の方に歩いていって消えていった。
「はあ~…………あの人怖いね……」
「はい……でも、殴られないだけマシです。すぐ手を出すんです」
「だから、ここに来た時にたんこぶあったんだ」
おっかない人だ。アンもびっくりしてるし。
というか……掃除しないと。
はあ、自分を見失ってた。くそ、発情期め……。
「バケツに水を入れてくるよ。魔法使っちゃダメなんだもんね」
「いや、それはわたしが」
「いいよ。ちょっと乱暴にしちゃったから休んでて」
頭がまだ熱い。クソガキめ。興奮しすぎなんだ。頭を冷やさないと。
転がっていたバケツを拾い上げ、そういえば、と思い出した。
「アンはさ、お母さんと連絡取ってるんだっけ?」
いつか聞こうと思っていた内容だ。
あのロバートの屋敷の一件があってからはとくに。
麻央さんがアンのお母さんというのは確定をしている。
そんな人が、娘の安否がどうとか生存報告を聞いているとか言ってたから、いつそんな連絡を取ってるんだろうと思ってた。
だが、振り向いたときのアンの顔は想像をしていた顔ではなかった。
「いいえ? 顔も覚えてません。まだ生きてるかどうかもしらないです」
「…………知らない?」
持っていたバケツを思わず落としてしまった。
(じゃあ、麻央さんは……どうやって……)
そうだ。
そもそも、ロバートはアンを殺そうとしていたじゃないか。
そのロバートとハインストは懇意にしていて、そのハインストに麻央さんはいる。
なのに、麻央さんは娘と自分のために武器を振るうって言ってた。
これはどういうことなんだ……?
「…………騙されてる」
その可能性がある。
でも、確実にそうとは言い切れない。
だけど、そうじゃなきゃ……おかしい。
彼女の立場はアンを狙っている立場だというのに護りたい……っていうのは。
「あるじ……? なぜ、わたしの母のことを……?」
アンの顔を見上げようとして、途中で下げた。
「………………いいや、なんでもないよ」
──皆様にとって都合の良い存在となりましょう──
だが、それはアンと己の安全が確保されている状態で成り立つ話だ。
だというのに、アンは狙われている。
それを麻央さんは……おそらく知らない。
もし、騙されているというならば。
もし、転生者だからといって侮られているならば。
もし、この推測が合っているのならば。
麻央さんは、幸せになることなんてなく、最後は切って捨てられる。
──転生者を殺す転生者なんぞ、ろくな死に方をせんよ。
リリーさんの言葉の通り、あれだけ強い彼女が使い捨ての駒にされてしまう。
「アン」
僕はこの寒空のようになった胸が温まるまで彼女を抱きしめた。
「ふぇ、ど、どう……また怒られちゃいますよお……」
ばたばたと手を動かす彼女に理由を説明せず。
一息ついて、アンと顔を見合わせた。
「アン。こんな掃除、早く終わらせて、訓練に参加しよう」
「え。あ。はいっ! 頑張りましょう!」
あの人の勇気を。
決意を。
踏み躙ろうとするアイツらを許せる訳がない。




