466 あの後なにしてた
訓練が終了し、久々に溶けるように寝ていたら朝一で起こされた。
眠たい目を擦る。隣のアンなんて9割寝てるみたいな姿だ。僕が支えていないとそのまま床にうつ伏せてになって寝てしまうだろう。
「じゃあ。次の訓練は明日らしいですので」
「……はい」
「……んんんっ」
ガスッと侍女頭さんに腰を叩かれた。
「……あい」
「……あうあう……」
何をいわれたかと言うと、訓練がない日は給仕服を着せられて館の掃除や支度をしろとのことだった。
確かに、なんでもします、とは言ったけどさあ。
横にいるアンの体勢を直しながら、はあー、とため息を付いた。
もらった竹箒で落ち葉を掃き、雑巾を絞って柱を拭く。
窓は木灰か植物で作られたっぽい石鹸を洗剤に布を浸して拭いて、その後に乾いた布で拭いた。世界が違っても掃除の仕方は共通してるなあ。
「ハートレイさん強かったねー……」
と手慣れた様子で掃除をしているアンに話を振る。
「はい。ですが、次は勝ちます」
「心強いねー。僕もボコボコに負けちゃったよ」
他の部隊の横槍も面倒だったけど、シンプルにハートレイさんが強すぎた。
最後のあれは完全に僕側のミスだから悔しいけど。
そういえば、ハートレイさんしばらく忙しいって言ってたなー。
(魔素ありの訓練もハートレイさんが落ち着いてからって言われたしなー)
また戦いたいんだけど、貴族は忙しいか。
「匿ってくれたのがハートレイさんで良かったよ。二大貴族まで出てくるとは思ってもみなかった」
「二大貴族とはいえ、ただの人間です。そう身構える必要もないですよ」
「アンは二大貴族を制覇してるもんね」
「本意ではないんですがね!」
不満そうなアンは持っていた雑巾をバケツの中にたたきつけていた。
ビシャッと水が飛び散って、なお苛ついているアンに苦笑い。
「あるじはあの後、何かあったんですか?」
「なにかって?」
「表情が暗い気がします」
あー、アンはこういうのに気づくんだった。
ちょっと、そうだな、どうしようか。
「なにもないよ」──はさすがにダメだな。余計に突っ込まれる。
なんて言おうかな。
色々と悩んでることがあるんだけど……。
「あの後は監査庁の人と握手したりー、それこそ、スケアがいたでしょ?」
「スケア? 誰ですか?」
「あの狼人の」
「狼人……?」
あ、記憶から完全に消してる感じですか?
大規模クエストのときに会って話をしてると思うんだけどな。
「まぁ、いるんだよ。その人に絡まれたり。それで、久々にイブに会ったんだ」
「イブ……?」
バキッと箒が折れる音が聞こえた。
恐る恐る振り返ると、髪の毛を逆立てているアンの姿。
「イブというのは……あの……あるじの……ファーストキスを奪った奴ですね」
あ。
まずい。
そうか、あのペルシェトさんとの食事会の時にそんな話になったんだっけ。
「あの、えっと……」
「ソイツと会ったんですね?」
「は、はい……」
「それで? 会って何したんですか?」
「えっ……なにって……家に来たいからって言われて」
「家に上げたんですか!!?」
「ひっ……」
至近距離まで詰め寄られて、思わず涙目になった。
アン、怖い……。普段はそんな声で怒らないのに。
噛みつかれそうな距離まで近づかれて、僕は壁に追い込まれてしまった。
「あるじは!! わたしとあるじの家に! 無断で! 女を上げたんですか!!?」
「あ、あはは……佳奈もいるよ、一応」
「アイツのことはどうでもいいんです!」
「はい……」
「家に上げて何したんですか」
下から睨み上げられ、降参をするように手を真上に上げた。
アンに僕の心臓の音が絶対に聞こえている。それくらい近い。
悪いことをしたとは思ってないけど、なんだか悪いことをした気分になる。
そこまで怒ることなのかな……、うう……。
「ご飯を振る舞っただけだよ。ただ、それだけ……」
「本当ですか?」
「うん、うん! ソレ以外は何もやってない!」
ジッと目を合わされたので、僕も見つめ返す。
真っ黒い瞳に睨まれて唇を畳んだ。
すると、アンはぼそっと一言。
「キスされた顔をしてる……」
「どっ、どんな顔だ! そんな顔なんてしてない」
「慌てるってことは……したんですね?」
うがっ。
「しっ、しっ……て……なー…………しました」
正直に打ち明けた。アンの真っ直ぐな瞳に耐えきれなかったのだ。
すると、アンが沸騰をした薬缶のような音を喉から出して、顔を真赤にさせた。
「あるじ……!」
「はいっ!」
ダンッと僕の後ろの壁に手を付かれた。
いわゆる、壁ドンという奴だ。
「アン……ちょっと……鼻息、あらいよ……?」
「……ッ」
取って食うような顔で見つめられるが、その顔は段々と元気が失われていった。
後ろの壁に疲れていた手は段々と下がってきて僕の肩に落ちてきて。
アンの顔は僕の胸元に埋められた。
「アン……?」
「…………わたしは……醜い女です」
「え?」
「あるじを独り占めしたいと思ってます。けど、嫌われるのが怖いんです」
複雑な心境を端的な言葉に置き換え、彼女はそう呟く。
胸元に押し付けられられた顔は震え、その目からは涙が流れていた。




