456 ハートレイ公爵領にて
一方その頃。
デュアラル王国西方の公爵領地にて。
アンは給仕服を着て、田園と面している廊下の掃き掃除をしていた。
真面目な様子で掃き掃除をしているが、その頭にはたんこぶが二つほど視える。
「くっそ……」
力が強いことから加減を間違えて箒の持ち柄を壊してしまったり、普通にサボっていたりして、その度にたんこぶをつけられるのだ。
中には脱走を試みたこともあるがそれは叶わなかった。
結果として、何週間とこの館の掃き掃除と拭き掃除を任せられている。
最初はきれいだったら給仕服も若干汚れが目立つ。もちろん自分で洗わないとダメなので、寒い中で冷水に手を突っ込んでゴシゴシとしている。魔法で楽をするのは侍女としての階級が上がってからなのだと。陰湿も陰湿だ。
「やあ、仕事はしているかね。不堕姫」
「見て分かんねぇのか、ぶっ殺すぞ」
箒の上に顎を乗っけて、ここの館の主人に悪態を着く。
その後ろに侍女頭が見えたのでアンはちょっと身構え、言葉を訂正する。
「……見てわからないのですが、死んでください」
「優しく暴言を言われたのは初めてだな」
ハッハッハと笑いながら廊下を通り過ぎようとする主人と侍女頭を目で追う。
アンが今いる場所はハートレイ家。
ここデュアラル王国の二大貴族の一つであり、文官派のロバートの真反対なゴリゴリの武官派だ。
元はハートレイ王国という王族の血筋であったのだが、かつてデュアラル王国に戦争を仕掛けて敗北。その際に属国扱いとなり、公爵という地位を与えられたという経歴を持つ。
という噂だが、魔王軍にハートレイ王国が単独で突撃し、全滅する前にデュアラル王国が救ってそのままズルズルと傘下に入ったという話も聞く。
事実がどうでも良いが、あのロバートと並んだ大貴族であるのには間違いない。
「お前は暇なのか?」
「新人の様子を見に来ただけだとも」
毎日アンの様子を見に来るハートレイにアンも呆れ顔を浮かべる。
前髪を上げて額が視える髪型はこだわりがあるようで、いつ見ても同じ髪型をしている。館の中だというのに髪の毛をセットしているのかと思うと貴族とは大変な生き物だなと感じる。
年齢は60~70歳そこら。重なった年齢はたしかに彼の体を蝕んでいるのだが、背筋は剣のようにまっすぐ伸び、見上げる程大きい。
顔つきは勇ましさを残しつつも好々爺然とした一面も感じさせてくる。細い目はほとんど閉じられているようなものだが、そのせいで考えていることが読みにくい。
「ずっと館にいて、何してるんだ。貴族は暇なのか?」
「暇さ」ハートレイは顎を引いて笑う。「優秀な部下がたくさんいるからね」
「貴族は嫌いだからあんまり顔を見せるな」
「その話は何度も聞いた。理由も知っているとも」
「じゃあ来るな」
ハートレイは辺りを見渡す。
この少女は館に来た時とは比べ物にならないほど、綺麗に掃除をするようになった。
元々、掃除をする習慣はあったようだったが。
「そもそも、貴様がわたしやあるじを支援する理由が分からん。急になんだ。すり寄って来るな」
「支援なんてしないとも。そもそも、君たちの名前を聞いたのはここ最近だ。私ほどの人間が、君たち小童の名前を兼ねてから聞いていた……とでも?」
ニヤッと笑うハートレイにアンは向けた箒を気持ち傾けた。
二大貴族の耳に入るほどのネームバリューはない。
所詮、下位ダンジョンのレコードホルダー。闘技場の最長連勝記録保持者とそれの引受人なだけだ。
「君たちに世話を焼いているのは、私の師匠の弟子だと聞いたのでな」
「師匠……?」
「ティナ嬢の弟子なのだろう? 我々もそうなのだよ」
はっ? とアンは思わず声が出た。
ここでその名前が出てくるとは思っていなかった。
ティナの弟子。ということは……。
「私は君らの兄弟子だ。よろしくな。そもそもキミの性格だったら師匠だと思ってはいないだろうが」
口元をひん曲げる。何もかもお見通しなのが腹が立つのだ。
「……まて、我々と言ったか。貴様以外もいるのか」
「文官派ですら私兵を持ってるのだ。私が持ってない訳がないだろう」
「まさか……ソレが全部、アイツの弟子とか言うんじゃないだろうな……」
「そうだとも。師と仰いでいる」
アンは信じられないと眉にシワを寄せた。
思ったよりもあのレッドワインの髪色をしたクソガキの影響力は大きいらしい。
王国の軍務やらなにやらをしてるという話も聞いた。王国軍だけでなく、ハートレイの軍隊にも指導をしているのか。
「それで匿ったのか……もの好きだな。バレたらロバートと敵対関係になるんだぞ」
「あっちはあっちで軍備を整えていっている。鉄と血に塗れた鋭利な獲物を平和という耳障り良い言葉で包みながらね。だから、君らには期待しているよ」
馬鹿でも分かる。
お前らはこっちの派閥に入るだろう? というモノだ。
元より、ロバートとは敵対関係だったから今更ロバート側になびくこともない。
だからアンやクラディスとしては願ってもないことだ。ハートレイという大きな傘に護られたら前よりも状況は改善する。
だが、ハートレイはどうだろうか。彼は貴族だ。それも大貴族だ。ロバートにとって都合の悪い存在を匿うことによるデメリットは大きいはず。
なぜなら、現状のアンを匿うのは明確に──ロバート、フーシェン、監査庁を相手にする、ということだからだ。言い過ぎではない。アンを悪者に仕立て上げようとした人物らはアンを殺すまでは止まらないだろう。
(コイツはそこまでしてなぜ、わたしを匿おうとするのだ……?)
ティナの弟弟子だからという理由だけで? 本当に?
とんでもない馬鹿なのかもしれないな、とアンは思った。
すると、その長い耳が足音と声をキャッチした。
「ちょっ! ちょっ! 色々と説明をしてください! ここって」
「いいから来るんだ少年! さぁ、コッチ──って、いたっ! ハートレイ!」
どうやら曲がり角の向こうから声が聞こえてきているようだ。
会話と足音が大きくなると、褐色肌の人物と白銀色の髪をした女性が見えた。
正装に身を包んだままのリリー・フィン・イレネロとアイリスだ。
躓きながらリリーに手を引かれる人物を見ると、アンの瞳孔が開かれていく。
「あるじ──」
彼女が誰なのか分かった時には既に箒を捨てて、走り出した。
全速力で駆けるとリリーから奪い去り、米俵を持ち上げるように抱きかかえた。
「あるじ……!!」
「わ、アン……!」
「ハートレイ! 部屋に戻る! 今日の掃除は終わりだ!」
「って──」
そしてそのまま裏の方に走っていったアンとアイリスを大人二人は見送る。
きょとんとした表情のリリーの近くによってきたハートレイは手を出した。
その手にリリーはぱちんと合わせる。
「あれじゃあしばらくは出てこんなな」
「森人の血が入ってるならば欲は薄いと思っていたのだが想像以上だな」
「まあなぁ……何回、命を救われたんだって話だし……久々だろうからなあ」
2人で控えめに笑っていたが、本当にその日はアンとアイリスは部屋から出てこなかった。




