421 感情の吐露
「…………はは」
イブの言葉を待っていると、少し表情を落としながら疲れ切ったような声で笑った。
「……クラディスは優しいなぁ。だから、ボクみたいな奴が……擦り寄るんだろうなぁ」
「イブ……」
「うん。ボク、ちょっと……最近、不安定になることが多くて。自分が、自分じゃないみたいにさ」
やっぱり、そうだったのか。
「……聞いてもひかない?」
「ひかないよ。なんでも相談して。誰にも言わないし」
おずおずと言われて、胸を張って答えた。
すると顎がちょっとだけ上に向いて、少し明るくなった表情で。
「ボク……元々……記憶が無いんだ。記憶喪失っていうのかな」
イブは心の中の蟠りを話し始めてくれた。
◇◇◇
記憶喪失。または解離性健忘。
記憶の中に一部空白期間が見られる症状のことを指す言葉。
前の世界では「記憶喪失」って言うと、二次元のキャラクターとかによく居た気がする。少なくとも、周りの人でこの症状にかかった人はいなかった。
「記憶喪失って……いつからの記憶が」
「ここ最近だよ。クラディスと会う少し前は本当に空っぽだった」
この世界において、記憶喪失という症状がどの程度、認知されていることなのかは分からない。
が、向こうの世界であったような精神性の疾患のようなモノの存在は確認されている。
戦争神経症はあるらしい。その他にも強迫神経症、気分変調症など。
日本のように神経質な人が多くないからこそ、そこまで大きく取り上げられたりはしていないが、国家間の戦争や、領土戦争、転生者問題などによってここ何十年かの間に認められてきている。
「完全に自分が誰かも分かってない……って感じ?」
「うん。食事の仕方とか、言葉とかは覚えてるんだけど。人のこと、モンスターとか、自分が何者なのか、とかも」
イブの場合は戦争体験はない年齢だ。そのため、考えられるのは冒険者として活動中の事故。
冒険者には強いストレスが与えられる機会が多い。仲間の死を目の前にした人で立ち直れなくなって冒険者を辞める人などはかなりいる。
特にイブに関しては、この年齢で『白金等級』に上り詰めている実力者だ。その過程で仲間を失った、とかそういうのがあってもおかしくはない。
「それで悩むことが多かったんだ。でも、最近はちょっとずつ記憶が戻ってきたんだけど……」
「記憶が戻ってきて、返って混乱してるってこと?」
「そうみたい……ごめんね」
「いやいや、謝る必要はない! 何も悪くないことなんてない。……どんな記憶が戻ってきたの?」
あまりこの手の話で記憶に関与することを聞くのも良くないのかもしれない。
ストレスによって引き起こされた障害なのに、更にストレスを与えるなんて症状が悪化する可能性もある。
ぼくは医者じゃないからそこら辺の線引が上手くできない。が、何か力になれるかもしれないから情報が欲しい。
「完璧に戻ってきた訳じゃないんだけどさ。楽しい記憶だよ。二人暮らしで……たぶん、男の人と暮らしてる記憶」
「たぶん……?」
「本当にはっきりしてなくてさ。でも、ハッキリしてることが一つだけあって。……ボクはその人のことが大好きだった」
ふわ、とイブの周りの空気が和らいだ気がした。
無くした記憶の中にいるその人のことが本当に好きなのだと分かる。
「……じゃあ、早く記憶を戻さないとだ。その人のためにも」
「……」
「その人は今は? ロベル王国にいるの?」
ぼくが聞くと、首を横に振った。
「イブの出身の国じゃないとなると……どこだろう。この王国にいたり? それとも協会?」
それでも首を横に振った。
じゃあどこにいるんだろう。
「海の外……?」
「ううん。……どこにもいない……と思う。というか、いないんだ。もう……」
「亡くなったの?」
「……分からない」
ここらへんは曖昧なのか。
「そっか」
イブが好きな人の場所が分からない。
その上、生きているか死んでいるかも分からない。
これは……辛いな。
「あのっ……クラディス、さ。変なこと、いうかもしれないけど……」
「どうしたの? いいよ」
「それに、嫌われるかもしれないし……ばかな奴だなって思われるかもしれない、けど」
「大丈夫だって。どうしたのさ」
イブは上目遣いで僕を見た。
さっきまで楽しそうに話していた彼女は、心苦しそうに唇を噛み締める。
「その……人は、この世界には……いないらしくて」と口を開いて、少し後悔をしたような顔になった。動揺が顔に浮かぶ。けれど、ここまで話したのだから、と。「で、ボクがその記憶が……あるってことは」
口元をキュッと結び、毒を飲み込んだような表情になって。
「ボク、この世界の人じゃなくて、別の世界から来た……みたい」




