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408 冤罪には制裁を



「……!」


 ナクソンがバッと顔を上げると、賢者は恐ろしい顔で睨みつけていた。

 下等生物を見るような目。

 瞳孔が開き、人が生きている間に向けられることなどそうない深い憎しみが込められた瞳。


 それが一瞬にして、ふわ、とした満面の笑みによって打ち消された。


「今回の監査庁を騙し、あろうことか優秀な冒険者を転生者だといって殺害をしようとしたそこの貴方ですよ。──ね、ナクソンさん」


 皆に教えるように、わざわざ言い直した。

 ナクソンは理解した。

 

 この賢者は、最初から分かっていたのだと。


 準備して、準備して、この機会を待っていたのだと。

 

 そうでなければ、こんな事ができるわけがない。 


 ぶちぶち、と頭の中で何かが弾ける音がした。


「オレはやってないッ! なにをっ、言ってる!!」


 立ち上がりながら叫ぶナクソンは、持っていた新聞紙をくしゃくしゃに丸めながら地面に叩きつけた。


「これはでっちあげだ! 嘘だ! 皆さん、信じないでください! コイツは嘘つきだ!! 私はなにも……っ。依頼書も、アレは私の印ではない! 照合をしてくれたら分かる!」


「残念ですが、既に照合はさせていただいております。こちらが組合の貴方の机にあった印、そしてこちらが依頼書に押されていた印です。完全に一致をしているようですが」


「だが、わたしは押していない! その紙は無効だ!」


「……ナクソン様。これ以上は自分の品を落とすだけだ。非を認めたらどうです?」


「そもそもっ、こんな写真一枚で! 私が王都襲撃の内通者だと決めつけることなんてできないハズだ!」


「魔司者《オベラル》の容姿の一致。この国の警備が手厚い場所などの紹介。魔族が転移した場所。これらの条件が偶然に揃ったとでも?」


「そうだ! 私は何もしていない! だからっ──こんなのは無効だ! この醜女が仕組んだ作り話だ!」


 息を切らし、ナクソンは言いたいことを全て言ってやった。

 自分の無実を叫び、涼し気な顔をしている賢者のことが気に食わなかったら悪口も言ってやった。

 普通の奴ならどっちが正しいことを言っているかは分かるはずだ。


「…………」


 だが、声が上がらない。

 おかしい。賢者を糾弾する声がそろそろ上がるはずだ。

 ナクソンは指をさしたまま、辺りを見回す。

 誰も自分の声に応じない。なにが起こっている。これは、なにが──


「おまえが……」


「おまえがっ、おまえが……!!」


 ナクソンは錆びたような動きでその声の方を向くと、剣が目の前にまで伸びていた。

 

「ヒィッ!?」


 腰が引けていた状態で尻もちを付き、後退りをして、頭に何かぶつかった。

 石だ。通路の向こう側に立っていた男が警備員の間を抜けて、石を投げつけたのだ。

 

「このデブ!! てめぇのせいでオレの家が壊されたんだ!!」


 今まで、賢者が上手いこと制御していた大衆の怒りが溢れ出初めていた。

 抑えられていた分、溜まりに溜まった怒りや日々のストレスというのは耳を抑えたくなるような罵詈雑言に姿を変えていく。


「汚ぇ面しやがって! くそったれの女遊びのせいで何人を不幸にしたんだよ! ナァ!!」


 新聞を丸めて投げつけ、その後に瓶がナクソンの太ももに当たった。


「こっちに来い! ぶっ殺してやる!!」


 警備員の間から槍を伸ばす男の形相は鬼のように歪んでいて。


「何が転生者だ!! なにがっ、てめぇの方が悪人じゃねぇか!!」


 ナクソンの頬を投擲具が捉えた。

 先端は尖ってはいないが、砲丸を小さくしたモノだ。体は大きくよろめき、口の中が切れて鉄の味がじわと広がっていく。


「うっ、うぅっ……!」


(何がどうなってる……!!? なんで、コイツらは賢者の味方をする!? どう考えたってオレの方が正しいことを言ってるじゃないか!)


 この罵声は、本来ならばあの少女に向けられるべきものだった。

 それを聞きに、わざわざ重たい体を引っ張り出して見に来たというのに。

 今日は美味い酒を飲んで、宿やに泊まらせている女と朝方まで遊ぶ予定だったのに。


「……私も、あなたのことを信用していたんです。信じたくなかった」


 賢者の声が聞こえてきた。

 正義の面を被った女の声だ。


「でも、もう疑いようがないんです」


「……なにを。なんだ、おまえ」


「あなたが犯した罪は消えない。ごまかすこともできない」


「おまえがなにを知って」


「今日、罰せられるべきは貴方なんですよ。ナクソンさん」


 ──汗が溢れ出して止まらない。

 賢者の表情。言動。全てに腹が立つ。


「急に出てきたお飾り賢者の分際で、知ったような口を利くな──ッ!」


 自分の明るかった未来が、真っ黒に染め上げられていく。

 それに抗うために、叫んだ。


「うっ、うわああああああああっ!!」


 ナクソンは駆け出した。向かう先は賢者のいる台の上。

 錯乱した頭の中で考えられることなど知れている。

 

 ──自分だけがこんな目にあうなんておかしい。


 よろめきながら全速力で腹の贅肉を揺らして、駆けて、台の上にいる賢者に掴みかかろうとした。

 筋肉など厚い脂肪によって隠れ、動く度に二の腕がたゆむ締まりの無い腕を伸ばす。

 

 コイツが全て悪いんだ。

 オレは悪くない。

 計画を全て台無しにしやがったのはコイツだ。

 大衆から酷いことを言われるべきなのはオレじゃなく、コイツで。


「っ──」


 その手は、賢者の首に届き、締め付けた。


「……!」

 

「──ふ、ははははっはっ! おまえだけでも……」


 ぐっ、ぐっ、と力を込めていく。

 肉厚の手のひらに華奢な賢者の首はより細く感じ、力を込めたら折ってしまえそうにも思えた。

 このまま力を込め続けたら呼吸ができなくなり、賢者だけでも殺すことができる。


「はっ……はっっ……!」


 ──ナクソンは気づかない。

 

 なぜ、自分が何もなくこの台上にまで登ることができたのかを。

 その理由を。賢者の目的を。それらに気づくほど、余裕がなかったのはそうだろう。


 ギラ、と賢者の瞳が輝いた。

 

「警備は何をしてる! はやく、賢者様をッ!」


 周りを囲む者たちが焦り、襲われる賢者を助けようとする中、ナクソンの手の力は緩められていっていた。

 瞳に射抜かれたというべきか。

 喉元に手をかけた瞬間、賢者は今まで一番の笑顔を浮かべていた。


 まるで、計画が全て、上手く運ばれたような顔で。


「おまえ、は──」


 キンッ。と目下で金属が壊れる音が聞こえた。 


「────」


 そちらに目をくれることもできず、ナクソンの体はかち上げられて宙に浮かんでいた。

 真下からナクソンを殴り飛ばしたのは、転生者だと疑いをかけられていたアンだった。

 

「……わたしを、助けてくれたんですね……」


 男が手を出すように挑発をして、相手方が先に手を出してきた悪者だと皆に印象づける。

 そして、賢者が窮地に陥ると、命を救った少女が賢者を護るために動く。

 転生者だと思われていた少女は今や、賢者を護る守護者のような存在になっている。


「オオオオオオオオオオオオッ!!」


 そんな誰でも分かるようなストーリーを見せられ、大衆は盛り上がった。

 広場が揺れ、歓声が聞こえてくる。

 賢者が転生者の処刑の代わりに用意したストーリーによって。


 男が大衆の中に無様に落下し、誰にも支えられること無く硬い地面に体を打ちつけた。

 すぐに男の回りを取り囲んで罵詈雑言を浴びせる者たちに揉まれ、空が人肌で覆い尽くされてしまいそうな中、


「ナクソン様」


 賢者の声が聞こえ、その声を通すように人垣が開いた。

 視線を向けるだけで彼女が見える。好きな男に告白をするような跳ねた声で。


「王都襲撃の情報漏洩及び外患誘致、転生者ではない少女を冤罪で殺害しようとした罪。そして、監査庁を私利私欲のために利用しようとした罪で──後で自宅の方に憲兵が向かうと思いますので、ご準備をお願いいたしますね」


「……なん、やだ。おれは、オレはなにも──」


「皆様! 今日は素晴らしい日です! 隣の人と喜びを分かち合いましょう!」


 男の声を上書きするように賢者が大衆に向けてそう言い、彼女の意識は既にナクソンには向けられていない。


「……ッ!!」


 そして男たちの意識も賢者に向けられている。

 今なら逃げれる。今なら、と地面を這うようにして広場から抜け出そうとして──

 ガスッ。


「あ──……」


 ナクソンは気絶をさせられ、静かに広場から退場することになった。

 そんなことなんて知らない者たちは賢者の締めの挨拶を心待ちにしていた。


「国が抱えていた問題の解決。そして、何よりっ! 転生者がいなかったことに!」


 晴れ晴れとした表情の賢者を見て、多くの者達は今日、この広場に足を運んだ理由も忘れていた。

 賢者の話を聞きに来たのだ。賢者の顔を見に来たのだろう。きっとそうだ。だって、彼女の笑顔は今まで見たどんな笑顔よりも明るく、楽しそうなのだから。


「皆さん、大きな拍手をお願いします!」

 

 割れんばかりの拍手が送られ、一人ひとりの思いに応えるように手を振り、ようやく落ち着いた頃を見て。


「それでは、以上、アイリス国定魔導士でした。また、皆様と会える日を心待ちにしています!」


 締めの挨拶を残し、その日の催し事は幕を閉じた。

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