349 溢れ出るは、ドス黒い感情
「あ、あぁ……!」
どくどく、と。
首下から血液がこぼれ、切り開かれていくように先生の白色の服に滲んでいく。
土色の雪に色を足し、そこまで見えて、わたしは涙で前が見えなくなった。
駆け寄って、先生の体を抱き寄せた。
冷たい。とても、冷たい。
温度がなくなっている。
そんな雪よりも冷たい体を小さな手で抱いて、
「しんだ……」
遠慮なくもたれかかってくる先生の体に体勢がちょっと崩れた。
「せんせい…………?」
反応なんて返ってこない。
虚ろな先生の瞳はどこか遠くを見つめたまま、時が止まったかのように動かない。
「っ……うそだ。うそ……っ」
人は死んだら、返ってこない。
──母親と父親がいなくなったときのことを思い出す。
いつもは邪魔だと思ってた父親の大きな靴が無くなって。
キッチンに立つ母親の姿はなくなって。
玄関を開けたら香るシチューの匂いも。
勉強してたら、早く寝なさいよっていう煩い小言も。
いつもなにかしら詰まっていた冷蔵庫も。
綺麗だったコンロも油汚れが目立つようになって。
からっぽだった郵便受けもチラシが詰まるようになって。
「あ、あああぁっ……!」
フラッシュバックで吐きそうになった。
今まで昔の記憶をそこまで鮮明に思い出すことができなかった。
だけど、蕎麦先生が死んじゃったことで、頭に蘇った。
──人がいなくなることの辛さは、もう二度と感じたくない。
「もう……しんだら、声も聞けないし……っ」
そして聞こえなくなった声を思い出そうとしても思い出せなくなる。
「いつもの風景に穴があくんだよ……」
狭く感じてた部屋が広く感じて、その人に取っておいた話したいことも話せなくなる。自慢したいことも自慢できずに……。
「だから、いなくなるっ……のは、つらくて……かなしくて――」
「だからなんだ」男はタバコに火をつけながら言った。「そんなのオレが知らないと思ってるのか? またそんな思いをしたくないから殺したまでだ」
「──っ」
頭が締め付けられる思いがした。
この人は残された側の人の気持ちを知っていて、手にかけたのだ。
(まだ、話し合いだって……できた……はず)
──「馬鹿だね。戦わないで、どうやって相手を納得させるっていうんだい」──
「……」
先生の言葉を思い出した。
話し合いが、できない相手もいる。
いや、違う。
できない相手もいるじゃなく、できる相手もいる、だ。
お兄ちゃんとアンちゃんから、冬山で何があったのかを聞いた。
準上位血盟っていう強い人達から転生者だと疑わたお兄ちゃんは、身の潔白を必死に訴えかけたんだって。
何も悪いことはしてない。
戦う理由なんてない。
でも、それらの言葉は届かず、体をめちゃくちゃにされた。
初めて言葉が届いたのはその人達の戦いに勝った時だった、と。
これが、この世界の常識。
わたしが転生した世界の当たり前。
今回は、戦いに負けたから言葉も届かなかったってこと?
そんなの、間違ってるよ。
だって、わたしたちは悪いことなんてしてない。
ただただ、魔法の勉強をしてただけ。
……それだけなのに。
──どうしたら分かってもらえるの?
いや、その問いの答えを私はもう知っている。
戦うしかないのだ。
戦いに勝つしか、方法はない。
だったら、もう、やるしかない。
「…………」
痛い思いをしたくないからこの体になることを願った。
痛みを感じず、死なない体になっても……心までは前と変わらない。
──痛い。
拳を握った。殴り方も知らないのに。
歯を食いしばった。力を込めても意味がないのに。
──許さない。
先生の首を刎ねた男は布で血を拭っている。
腹が立つ。涼しい顔で、先生の死を当然のような顔でやり過ごして。
──自分をコントロールできない。
兄の声が脳内で響いた。
『その魔法は外で使ったら駄目だよ』
なんで、と聞いた。
魔族だと分かるから……それと、人を殺すことができる力だから。
でも、わたしはそれしか……できない。使うことができないんだよお兄ちゃん。
人を殺す力しか、わたしは持ってないんだ。
だったら、使うしか無いよ。わたし……そこまで、強くないんだから。
──何かが、溢れた。黒い、何かが。
「すぅ……ふぅ〜……じゃあ、お前も苦しまねぇように殺すから」
男の声が聞こえた。
衣類の擦れる音、筋肉の収縮。そして、明確な殺意と、少しの面倒くさいという感情。
それを肌で感じる。
この感覚は────わたしのものだ。
「じゃあな、嬢ちゃん。恨むなよ──」
男が剣を振り下ろし
「──【出ておいで】」
金属音が寂しく響いた。
「!? なんっ、だ、これ!」
わたしの目の前にあるのは大きな盾。それは、ボルル君の持っている黒炎が揺らめく盾だ。
──溢れて、こぼれて。止まらない。
黒い魔素が空間を侵していく。どろ、とした涙が目から出てきた。
自分のお腹が熱くなったのを感じる。
でも、嫌な感じはしない。むしろ、晴れやかな気持ちだ。
が、胸の中で渦巻く感情は、決して、綺麗な色はしていない。
「わたしは……おまえを許さない」
先生を地面に置き、ゆら、と立った。
地面を覆うように広がった黒い魔法陣から、たくさん仲間達が出てきてくれた。
それは死霊。わたしの感情に応じてくれた、皆だ。
スパルトイやオーク、フォレストウルフ、ゴブリンキング。ウッグ。
中には上位個体や進化個体も含まれていた。
「……バケモンばっか呼びやがって」
──わたしは知らない。この感情に呼応して出てきてくれたのが、兄がかつてこの地で倒したモンスター達だってことを。
──わたしは知らない。主人としての格を備えるためには、明確な意志と、上位種である証明をする必要があるってことを。
アルマ・ハイドレンジ。
彼女はモンスターを従わせることができる魔族である。
転生者として、魔族として、彼女は未だ幼い。
「オマエ……ぶっ殺してやる」
しかし、この世界において最強になれる才能を持っているのも事実であった。




