342 頑張れる『環境』
「痛いよ、蕎麦先生ッ!」
「いいかい? 出遅れてるってのは、それだけ成長できるってことなんだよ」
「……?」
急にでこピンしてきて……なんでそんな顔ができるのさ。
まぁ、痛みなんて感じないけど。もう……なんだなんだ。人がちょっとどんよーりとした気持ちだったってのに。
「……なにさ、格言でも言うつもり?」
「あんたはとことん捻くれてるねぇ。いいから、黙って聞きな!」
ぴしゃりと言われて、不満そうに座り直した。
変なこと言ったら揚げ足取ってやるんだから。
「出遅れてるからこそ、成長に貪欲になれる。頑張ろうという気持ちになれる。人間っつー生き物はねぇ、アルマ。大半のヤツが頑張ろうと思っても頑張れないんだ」
ま、まぁ、揚げ足取れないな。
でもここからなら……。
「なにかにかまけてサボる。人は今あるなにかを削るのを嫌がる。暇な時間ができても、なにもしない。優先度があるんだ」
……驚いた。
「…………今の私だよ、それ」
心の内を知られたんじゃないかって思えるほど的確に言ってきた。エスパーですか、蕎麦先生は。
「そうだろうねぇ。よくサボる、暇な時間があるのに寝てばっかり。本を読むくらいすればいいのにそれすらもしない。ほんと、大変な子だよ」
うう、ぐさぐさと。
「……へーん、手のかかる子ですみませんねっ」
「でも、頑張ろうとする瞬間がある。それはクラディスという弟と真面目な話をした時や、将来の不安とか色々なことについて考えた時に出てくるもんさ」
蕎麦先生は力強い笑みを浮かべて、
「だから、あんたは幸せもんだよ」
と言った。
「自分が「頑張ろう」と思えて「頑張れる」環境に居られることは、感謝をしないといけない」
なんだなんだ。なんかそれっぽく聞こえるけど……。
「それって普通なんじゃ」
「なに言ってんだい。たとえば、あんたが私がいなかったら死霊術も学べないだろう?」
「……うん」
「親がいない家庭はどうだい?」
「どうだい……って。わたしは親がいないから」
「あー、そうだった。でも、普通はお金がないから働かないといけないだろう。今のあんたは弟のカネで暮らしてるけど。本来ならあんたがソレをしないといけない」
「……」
そういうこと、か。
ようやく、わたしは蕎麦先生が何をいいたいのかがなんとなく分かった気がした。
「あんたが独り身で一人で家にいるとする。孤独で、何をしても評価されるわけでもない。友人と呼べる人もいない。組織に属している訳でもない。ただ日銭を稼げば死にはしない」
蕎麦先生は、おそらく冒険者のことを言っている気がした。でもわたしは……前の世界の私と重ねた。
「そしたら、なにかを頑張ろうと思うこともなくなる。頑張ろうと思ってもそれに行き着くまでの過程も分からないからやらない。たとえ、分かったとしても時間が無いと言い訳をして後回しをする」
「……それは……」
「そういうヤツが大勢いる。良い歳して冒険者の下で燻ってるのはそういう奴らさ。カネを稼げば死なないことに気付いた。冒険なんてしない。ただただ適当な依頼を受けてカネを稼ぐ。こどものころに夢に見てた『なりたい姿』の影に時折、怯えながらね」
これは他人事ではない。
おそらく、前の世界で兄も何処かへ行ってしまった状態だったら、わたしはこうなっていたのだろう。
「……」
20歳。大学に入った。けど、大学に入っただけで将来も何も考えていない私。
自分は頑張ってるはずだと言い聞かせて、楽に逃げて。「人生一度きりなんだから楽しんだ者が勝ち」っていう成功者の発言に自分の布を被せる。
で、たぶん、そのうち訪れる30歳の私。
性格的に会社に馴染めず、途中でリタイア。
それくらいか、もう少し若い頃に気づくんだ。
残りの人生がまだまだ長いことと、若い頃に何もしてなかったヤツが若い頃になにかしてたヤツに勝てるわけがないことを。
それを知って絶望。
適当な娯楽でその日の気分を紛らわし、明日は明日で誤魔化す。2日に1回、それかもう少し感覚を開けて夜に来る将来の不安に怯えて。また娯楽で紛らわせる。
そうならないという謎の自信はあれど、明確に否定はできない自分がいる。きっと、なにかしら良い縁に恵まれて、わたしだけは助かる、なんて思ってもいる。
「…………」
なんだか、こういう話になる度にわたしって駄目なヤツなんだなぁ、って思う。
でも、そうだ。この話はそれで終わりじゃない。そう感じて終わらせていいものではない。
わたしって駄目なヤツだと思っても、ダメなやつから立ち直る術がまだわたしにはあるからだ。
「誰かの背中を追える。誰かと共に成長ができる。誰かに背中を追いかけられる。最高だよ、これは」
蕎麦先生は皺の寄った笑みを浮かべた。
「今、あんたは最高の環境にいるんだ」
なんだか一瞬にして──世界旅行した程度で価値観が180度変わりました──って言う人になった気分だ。
この手の啓発を受けるとやる気になる。
他のことよりも今頑張らないといけないことの優先度が上がるのが分かる。
(揚げ足とるつもりが乗せられてる。……でも、悪い気はしない)
わたしは恵まれているのだ。
お金を稼がなくても家に住める。
兄妹がいて。その従者さんと一緒に住んで。
お話もできて、愚痴も話せる。
それに、
「ぐずっ……最高の師のもとで成長ができているし……?」
こんな駄目なわたしでも向き合ってくれる人がいる。
「そうさねぇ。その通りさ。……でも、驚いたね。そんなことを言ってくれるとは」
この環境に感謝をしなければならない。
「えへへ」
机の上にうつ伏せたまま顔を上げて笑った。すると、なんでかわかんないけど先生は笑ったまま怒ってきた。
「最高の師だと思ってんだったら、早く教本を開くんだよ!!」
「ひぃぃぃぃ……」
通常運転に戻ると、今日のお勉強が始まる。
これが私。
何回も繰り返すけど、さっきまで話したこれらは私が頑張ろうと火がつく理由にはならない。サボり魔で、面倒くさがり屋な私は異世界でも変わらない。
性根は変わらないのである。
そして、おそらく、今日だけやる気になっても、明日の私はまた前の私に戻ってるのだろう。
動きやすい価値観が180度変わっても、今まで積上げてきた日常や環境はそれを180度戻すのに十分な力を持っているんだから。
自分のことなら、よくわかってる。
だから私は私が嫌い。
でも、頑張ると、少しだけ自分のことを好きになれるのも知ってる。こんなダメなやつでも許せる気がする。
だから、明日は明日の私に任せるとしして、今日くらいは良い奴になろうと思う。
「昼過ぎになったら訓練をしに行くからね」
「うえ」
先生の言葉に適当な返事を返すと、頭を本で殴られた。
へっへーん。この体、痛み感じないのである。




