306 ティナ先生の従者
分厚い傘を差していることでその女性の雰囲気は全体的に暗く感じた。
いや、それがなくても……感情が抜け落ちているような表情をしている。黒一色の長髪で顔がほとんど隠れているが、そのカーテンの継ぎ目では真っ赤な目が薄く開かれている。
見覚えのあるこの感覚は──転生前の、観測者。
首元まである黒い服に包まれ、傘がなかったら雪がつもりそうなほどに押し出されている胸元が大人の女性という雰囲気を醸しつつ、憂いのある表情は夫を亡くした喪女のようにも思える。
「クラディス様?」
声とともに、傾いたことで傘に積もっていた雪が小さく落ちていった。
いや、そんなことより……いつの間に目の前にいた?
「どうされましたか?」
全く、反応ができなかった。魔素も見えなかったし、移動した素振りも見えなかった。
「い、いえ……。……あなたは──」
──風を切る音が聞こえ、一秒も経たない内に彼女の首元には様々な武器が向けられていた。
「ご主人さま、ご無事ですかっ!?」
「旦那ぁ、こいつ……何者ですかい」
「あるじ……この女、気配がありません」
「坊やに危害を加えるつもりなら、黙ってないよ」
そんな殺意が向けられている状況で、彼女はそちらに目もくれずにぼくにペコと会釈をした。
「お嬢様がお世話になっております」
「おじょうさま……って、もしかして、先生の?」
「はい。ユラでございます。お嬢様の従者で、こちらの雪山にクラディス様とアン様を転移させていただきました」
──「今回の訓練は簡単じゃ。雪山でサバイバルをする。そして、その雪山の長になって帰ってくる。な? 簡単じゃろう?」
──「何回聞いても簡単な要素が無いと思うんですが……」
──「そうか? そうか……ふむ。まぁ、大丈夫じゃろう。じゃあ、ユラ頼んだぞ」
「……あ。ユラ、さん」
「坊や、知り合いかい?」
「知り合いというか……先生の知り合いというか……」
「わたしはお嬢様の付き人です。いつも、お嬢様に付き合ってくださってありがとうございます」
「あ、いえいえ……そんな。お世話になってます……」
「お嬢様の訓練に付き合える方を一目見たく、出てきました。……私どもの方にも楽しそうに語っていましたよ」
「先生が?」みんなに武器を下げるように目で合図をした。「本当ですか?」
「えぇ、本当ですとも。最近、楽しいガキを見つけた、と。冬にまた会いに行く予定じゃから楽しみなんじゃ、と」
無表情と先生の言葉のミスマッチ具合がすごいけど……本当に先生の付き人さんなのか? それにしてもお嬢様って……先生のことがわからなくなってきたな。何者なんだあの人。
「それで、お嬢様からの訓練は終了したと見てよろしいでしょうか?」
「は、はい。大丈夫だと思う」
「でしたら、王国にお送りしましょう。アン様も──」
ユラさんに横目で見られたアンがビクと体を跳ねさせていた。
「どうしました……? そんなに警戒して」
「……オマエ、本当に味方なのか?」
アンは目を外さないまま戦闘態勢に入った。信用ならないのだろう。
なにかがアンの中の「警鐘」を鳴らしているのは間違いない。生気のない瞳であったり、薄く塗られた口紅であったり、白手袋で傘を握っている左手であったり。
感知系スキルが、煩く鳴り止まないのだろう。アンは頭を抑えて、苦しそうに表情を歪めている。そちらに顔を向けているユラさんは、口をゆっくりと開けて。
「味方かどうかは定かではありませんが」
そういうと、手を出して通信魔導具を召喚していた。だれに連絡を取っているのかと考えていると、声が聞こえてきた。
『なんじゃ! ユラ! 暇か!』
「お嬢様。わたしは、クラディス様とアン様の味方でしょうか?」
『あぁ? 味方ぁ? 敵じゃあ無いじゃろうが』
「ならば味方と」
『味方……じゃないか? 分からん! 悪いことはせんじゃろう!! なら味方じゃ!! で、要件はそれ──』
「ということです。ご安心を」
あ、ぶちって切った。えっ、お嬢様って呼んでるんじゃ……? 関係性がわからなくなったんですが。
「……だったら、なんで……こんなにスキルがオマエに対して警戒をしろって煩いんだ……?」
「それは単純でしょう。アン様よりも私の方が強いからです」
当然のように。
道に迷う子どもに道を教えるように。
ユラさんは首をもたげるようにしてそう言った。
「……敵意を、わたしに向けている訳でもあるまい」
「えぇ。争いにきた訳ではありませんので。ですが、貴方から敵意を向けられるのであれば──」
ユラさんから白い魔素がにじみ出るのが見えた──アンも遅れて拳を握って。
「はいーっ! 終わりっ! 仲良くしよ!」
それよりも早く、ぼくはユラさんの手を握った。
傘の中に入り込み、白の手袋の上に黒い手袋を重ねる。
「あと! こればかりはユラさんの登場の仕方が悪いと思いますよ! もっと、なんか普通に出てきてもらえたらアンも警戒しなかったと思います!」
グイと顔を近づけると、ユラさんは目を大きく開いていた。傘の内側に入ると、よく顔が見える。思ったよりも血色は良かったみたいだ。
──あれ、髪の毛の色も黒だけじゃない。これは内側の色が違う?
ちょっと影がかかってるからわかりにくいけど──明るい色だ。おしゃれさんかな、もしかして。
「申し訳ございません。次に生かさせていただきます」
傘をさしたままアンに頭を下げた。ぼくは、ス、と後ろに身を引いた。
「……こちらこそ」
アンからの返事を受け取ると、ユラさんは頭の上や体についていた雪を払ってくれた。そこまでしてもらわなくてもいいんだけど……。
「では、王国に戻りますか? やり残したことなどはございますか?」
「やり残したこと……まだみんなとお別れの挨拶をできてないのと……」
みんなの顔を見ていると思い出した。右手につけてる黒い手袋を少しだけ捲って……うん。
「……もう少しだけ待ってもらっていいですか?」
この雪山でいろんなことがあった。ほとんどは結果オーライで終わった。でも、色々と思うところがあったのはそうだ。
エヴァーチェとの戦闘なんて酷かったよなぁ。もうちょっとで話し合いで解決できそうだったのにさ。
「やられっぱなしだったので……」
この場にいる皆知らないアレは、さすがのぼくも頭にキテいた。どうにかエヴァーチェのみんなと打ち解けたから良かったものの。アレのせいで、死ぬところだったんだから。
「いいですが、なにをされるので?」
ユラさんの問に、ぺろ、と舌を出した。
「ちょっと、イタズラをしたくて」




