300 アン凹みモード
アンが負けた。
その事実は、モンスターの皆の中でもじわじわと広がっていた。
いままでの組織の中の序列的なもの──皆が勝手に作った──は、こんな感じだった。
・クラディス(主人)
・アン(従者)
・モンド・ダンカン
・各モンスターの上位個体・進化個体
・各モンスターの通常個体
先日までは、これに新しいエヴァーチェがどこに組み込まれるかという様子見の段階だった。
そんなところに舞い込んできた『アンが負けた』という事実はエヴァーチェの皆がその序列の上位に彼らが組み込まれることを意味していた。
(まぁ、勝手な序列なんだけどさ)
さすが弱肉強食。なにかとかこつけて序列を付けたがるのは自然界を生きる術か。人数差のことは考慮はしないのかな? とぼくは思うけど、それほどまでに「アンが負けた」というのが驚きだったらしい。
まぁ、モンドとダンカンの二人を相手にしてもアンは勝利を収めた。だからこそ、アンは「姉御」と呼ばれていたり、他のモンスター達からも慕われてたのだ。
「……むかち……ざこ……ぼんくら、ぽんこつ……ほねつきにくのほね」
「あらら……凹んでるね、珍しく」
戦いに負けた後のアンは、こうやって穴蔵の真っ黒い場所で地面に指で線をなぞったり、丸を書いたりしていた。
本当にへこんでるじゃん。いつもの大きな背中が小さく見える。
「…………雪山の長になる……というのを、わたしは達成できない……っ」
ぼくが後ろに居ることも気付かないほどの凹みっぷり。後ろから「え~い! アン凹みモード!」とか茶々を入れてもいいけど、本当にぶっ刺さりそうだから止めておこう。あれは普通に腹が立つのだ。
(今はそっとしておこう。向き合うのも必要だろうし)
そうして穴蔵から外に出ると外にはエヴァーチェの皆さんが聞き耳を立てていた。顔を向けるとピシッと姿勢を正した。雰囲気が、学校の隣のクラスの人たちみたいだ。
「……アイリス様」
(様????)
「あの……アン、さん、でしたか。はどうでしたか?」
あ、心配してくれてるのか。
「そっとしておいてあげて。アンは強いから、すぐに立ち直ると思うよ」
「……確かに強かったのはそうなんですが……」
みんなは顔を見合わせて、なにやら話をしていて。
「途中からガクンッと勢いが落ちたのが少し気になっていて」
「……ふむ」
これはあれかな。ティナ先生が言っていた「体が着いてきていない」というもの。短期間集中で敵を倒そうとして、すぐにガス欠になるというやつか。
「それがアンの課題らしい。ぼくらはその課題を解決するためにこの雪山に放り込まれたんだ」
「それは誰に?」
「先生だよ。厳しいの。あ、皆が思ってる数倍は厳しいから。多分、いまのぼくらじゃあモンスター達に苦戦すると思って放り込まれたんだと思うけど……なんかうまい具合に仲間になってくれたりして、アンだけは課題と向き合う時間がなかったんだ。ぼくは色々とできたんだけど……」
格上と戦い抜く力。パフォーマンスを落とさずに戦い続ける能力がアンには必要とされている。
そんなの僕も持ってないし、本来戦いってのは一瞬で終わる勝負ことが多いはず。……そもそも格上に勝つという前提で話を進められているのは誰も異を唱えないんですかね。
ぼくが立ち入れる領域ではないのはそう。なので、生の声が欲しい。
「みんなからは何か意見とかある? ここをこうしたらいいとか……そもそも、武闘家の戦い方をぼくは知らないからさ」
「武闘家の戦い方は短期決戦を仕掛け、大技を繰り出す。相手が向き合わず回避に徹したら、その分のエネルギーが空打ちになる。武闘家は攻撃も防御も魔素を常時発動する職業ですのであの戦い方はまさにそれなんですが。……エマ、なにか分かる?」
ユットロールさんの隣で唸っていた金髪の魔法使いの副団長。魔素周りはやっぱり魔法使いに聞いたほうが早いか。
「魔素の効率が悪いように思えるわ。あと、これは体感なんだけど……技の種類がかなり少ない」
「技はたしかに大技が多いとは思う。……あとは、魔素の効率か」
「常時、なにか使っている状態のように思えた」
「それは武闘家の戦い方の他に、ということ?」
「んー……そこまでは分からないけど」
常時何か使っている。
「ということは……うーん」
思いつくことがないって言えば嘘になるなぁ……。
でも、なぁ〜……そんな訳はないとは思うし。
「なにかご存知なんですか……?」
「ちょっと、まぁ、思い当たるのがあるっちゃあある……でも、だいぶ初歩的なことだから」
穴蔵にまた顔を覗かせて、さっきと一ミリも変わっていないアンに声をかけた。
「アンー?」
うん、聞こえてない。ずっと、わたしは無価値だーとか、虫以下だーとか、なんかぶつぶつ言ってる。
ええい、ちょっとくらいならいいか。
「やい! アン凹みモードッ!!」
「ぴっ!? ぬぁっ、あるじっ!? いつの間に……」
あれぇ? 耳を触ってちゃけてみたんだけど。怒る以前に、驚きが勝ってるのか。
にしてもすっごい顔してる。幾夜も枕を涙で濡らしたって顔をこの数時間で作り出すとは。よほど悔しかったのだろう。
これが、その解決に繋がるといいけど……。
「あのー……アンさ、もしかしてなんだけど……スキルを常時発動してたりしてない?」
「スキルを……ですか? ズビッ……そんあ、ズビッ、ぐぇ……ことは」
収納袋から略奪品であるちり紙を渡して、チーンッ。
出きらない様子の鼻水を再度、かんで、ようやく落ちつかせた。
「ちょっと失礼するね──」
「っあいっ」
うん。魔素は出ていない。
安静時はスキルは使っていないみたいだ。
「なら、ごめんね。ちょっと痛いかもだけど……お手を拝借」
「?」
手を出すように伝えて、出された左手の指をジィと見る。褐色肌でぼろぼろなお手て。それを口の近くまで持っていく。
「あるじ? あのぅ……」
「えい」
出された指をガジッと噛んでやった。




