293 子育ては大変なんだからサ!
………………
…………
──ピコンッ──
……
いつから眠っていたのだろうか。
体は動いているというのに、感覚のほとんどが切れて、精神だけの状態で漂っている気分。
エリルっていつもこんな感じなのかな。よく寝ちゃうのがなんだか分かった気がした。
で、さっき聞こえてきた音は……えーと、ボードが出てくる音だったよな? ピコンッって。んー……、周りには……。
【クラディス・ヘイ・アルジェントの権限が返還されました】
お、あったあった。
エリル。権限を戻したんだなってことは、無事に終わったってことか。
精神の状態でほっと胸をなでおろした。
あのまま死んじゃったらどうしようかと思ったよ。ほんと、バカスカ技を決めてきてさぁ。
聞く耳持ってくれなかったし……嫌になっちゃうよ、もう。
で、渡黒鴉が戻ってきてから、どうなったんだろう。
エリルに一任したからなにが起きたかはまだわからないけど、そろそろ……戻ってみるか。
「………………」
なにか聞こえてくる。
「〜!!……〜」
なんだこれ。声か?まだ体に戻ってないの?
なにこの不思議体験。幽体離脱ですか、こわいなぁ。
昔に幽体離脱ができる人が、自分の体に戻り方がわからなくなって……って話を聞いたことがある。
でも、結果、精神状態で体に入るとバチンッと意識が戻るって聞いたけど。
まぁ、幽体離脱とは違うからなんとも言えないか。
「じっ……あるじっ!!」
あ、聞こえてきた。
アンの声だ。ってことは無事に皆も戻ってきたのか。
ってことは、間に合ったのかな。渡黒鴉の子どもも無事だったらいいんだけど。
「…………ん”」
うっわ、濁った声。
「あるじ! 目を覚ましましたか!!」
「……う、うぅ……あ、あー……ぁ」
口が回ることを確認。うん、平気みたい。喋れるならいいや。
って……あれ、じわじわとなにか感覚が────
「──ッッ〜!!?」
バチンッと体に電撃が走ったかと思うと、体中の至るところが痛い!?
なんだこれ!! えっ!? なに!?
全身が筋肉痛のひどいバージョンというか、刺されたというか、殴られたというかっ!?
もしかして無事じゃないのぼくの体!?
「っあっはあああっ──!! ふっ、ふぅーっ……?」
呼吸を整えても体は痛いまま。そりゃあそうか。でも、そんなこともわからないくらい痛いっ。うぅ……ぼくが一体なにしたっていうんだよぉ……。
「あるじ……大丈夫です……」
アンが手を握ってきたのを感じた。あ、あったかい……。
たったこれだけでも気持ちが和らぐ……ありがとう。
「あ、ぁ、あん……。ぼく、体ある……? ちゃんと五体満足……?」
「手も足も頭もありますよ大丈夫です。ただ……」
「え」
なに、その言い淀む感じ。そのタイミングで言うってことは絶対にダメなことじゃん。
手も足もある……うん、ありますね。大丈夫ですね。頭もあるってことは首もある。
…………まさかっ、胴体か!? いや、胴体はあるか。
「どこ……がケガしてる?」
「肩……」
肩かぁ〜……そっかぁ、五体満足の内の五体には含まれないもんなぁ。
「それと……」
それと……?? えっ、まだあるんですか。
うそっ、どこだろう。脇とか?
「右手の魔障……の跡が酷くなってます」
「あ」
ぱちっと目が覚めた。
右手を動かそうとして、動かなかった。アンに支えられてその手を見ると……どうやら目覚めたらしい。
「力の種……」
種が発芽した……としたらちょっとグロテスクなものを想像しそうだが、右手の状態は至って健康。
ただ、火傷痕が延びて、歪な模様を描いているという感じだ。
ミミズ腫れとかな見た目じゃなくてよかった……と安心をしている自分に驚いた。
(なんでだろう。不思議と嫌じゃない)
これはモンスターに埋め込まれた魔石のようなものだ。
それが目を覚ましたということは、体内に黒い魔素が流れているということ。
だが、やはり、そこまで嫌な気持ちは湧いてこない。
「目を覚ましたかい、坊や」
「あ、渡黒鴉……おはよ」
「なにがおはようか、阿呆め」
嘴でおでこをついてきた。というかサイズ感が違うから、ほとんど顔を潰されたみたいなもんだ。
「只人と敵対をすれば、不利になるのは貴様であろう」
そう言いながら離れようとした渡黒鴉の嘴を手で触れないから、魔素で触れた。
「なぜ、我ら側に立つのだ。人の世で生きづらくなるだけぞ」
「なんでって──」微笑みを崩せないまま、目を細くした。「こうやって、話ができて、仲良く出来てるじゃないか」
渡黒鴉の目が見開かれて、口が動いた気がした。
「居心地がよくて、守りたいって思ったほうをまもるのは……悪いことじゃないはずだよ。きっと、そうだと思うし、そうだと信じたい」
上手く、ぼくは笑えているだろうか。
言葉は正しく届いているだろうか。
変な方に取られてはいないだろうか。
「あとは、産まれた時くらいは苦労をしてほしくないんだ。祝福してあげたいんだ。大人になったら大変なことばかりだから……今日くらいは、ね」
「……」
渡黒鴉は瞑目して、今度は顔の下の方に嘴を押し付けてきた。ぐむ、顎が潰れちゃうって。
「子どもは……どこにいるのかな」
「連れてこよう」
「いいよ、見に行く……アン」
アンに起こしてもらおうとすると、思ったより体に力が入らない事に気づいた。
「ははは……思ったより、動かないなぁ〜……」
体中がいたい。肩も……なんか傷口がほとんど塞がってるけど、エリルの仕業かな。
「払っておきましたが……許可を出してもよろしいでしょうか?」
「許可……? うん……、え、なんの? 払う?」
こくりと頷いたアンは、息を吸い込んで名前を読んだ。
「ダンカン。モンド。あるじがお目覚めだ。支えにこい」
一秒足らずで目の前に飛んできた二人の顔は、真っ赤になっていた。
「ご主人……申し訳、ありません……わたしが、離れていなければ」
「いいや、モンドのせいじゃない。ただ、ほんとうに、タイミングが悪かっただけだよ。だから、ダンカンもね。涙、拭いて?」
「うぅっ……でも、よぉ……! おれぁ、旦那の従者で」
「じゃあ、その従者さん達は縄張りの方のお仕事はどうだったのかな? ちゃんと制圧してきたんだろうねぇ〜?」
モンドとダンカンは何回も擦った跡がある目尻をもう一度、グイと拭いて力強く。
「「はい!」」
「ならよし。優秀な従者さんだ」
アンにケガをしてもらっている方を、ダンカンにもう片方を。モンドは降ってる雪が当たらないように影になってくれてる。
「こっちだ」
渡黒鴉が案内してくれた先は、大木の裏。
ダンジョンの入口の横の少し、木陰になっているところだ。
「なにもこんな場所に赤ちゃんを置かなくても」
「寒さの耐性を付けるためだ」
「へいへい……あぁ、よかった」
近くに来ると力強い鳴き声が聞こえてきた。
なんか前に見たときよりも成長してる気がするけど……。
「…………目、やっぱり治らなかったんだね」
右目が刃物で傷つけられた跡。おそらく、右目は潰れてしまったのだろう。産まれて間もなく、刃物で傷物にされて。
拳を握ることすらも今のぼくはできない。
だから、魔素をつかって頬を撫でた。
「ごめんね……その傷を直せれたら良かったのに」
「治癒魔法は聖属性魔法です……毒かと」
「うん。だから、悔しいんだ」
ぼくたち人間を治す魔法は、モンスターにとって毒になる。
モンスターを治す魔法というのは、人間にとって毒になる。
そういうようにできているんだから仕方ない……でも、そうやって割り切れるほど諦めが良い訳でもない。
「それでも、坊やはその子を護ってくれていた」
ふ、とぼくにかかっていた影が揺らめいた気がした。上のモンドではないことはすぐに分かった。
そちらに目を向けると、渡黒鴉が頭を垂れていた。
「申し訳ない。わたしが本来、護らなければならないのに」
いつものような声色だと思った。けど、すぐにその声に滲む感情を理解した。彼女も悔しかったのだろう。
「……なーに言ってんのさ。渡黒鴉」
「……?」
「子育てっていうのは母親だけでするのは本当に大変なんだよ?」
口端に感情を浮かべ、渡黒鴉を見上げて。
「だから、周りが協力をするんだ。それはぼくの世界でも、この世界でも変わらない」
「そういうことでは」
「いいや、そういうことなんだよ。だから、今回のは、母親が留守の間の子育てに協力をしただけ」
「……」
「渡黒鴉は、今まで一人で子どもを護って、戦ってたんだ。そんな立派な母親がぼくに謝る必要なんてないよ」
言い終わると、子どもがピッと短く鳴いた。そちらの方を全員で向いて、クスッと笑う。
そうだぞって感じかな? まさか言葉が通じてる?
「……渡黒鴉。聞こえなかったのか? わたしのあるじは謝る必要はないと言った。が、まだ言ってない言葉があるだろ」
ん? アン? どうした?
「そうだな。……感謝する、坊や。子育てに協力してくれて」
再び、渡黒鴉は頭を垂れた。
「ほら、あるじも」
えー、せっかくいい雰囲気だったのに。
渡黒鴉に近寄っていき、アンに言って腕を動かしてもらった。ぺち、と力のこもっていないぼくの腕が渡黒鴉の嘴に触れて。
「困ったときはお互い様だから。またなにかあったら言ってよ」
「あぁ……ほんとうに、ありがとう」
よしよし。これでこどもの件は一件落着。
あとは……えーと、なにがあったっけ? 縄張りの件も終わったしー……この魔障の件もまぁ、ちょっと詳しい人に見てもらわないと分からないし。
これくらいかな? う〜ん。
「それでは、次に行きましょうか」とモンドが言った。
「うん。……うん? 次ってなに?」
「なぁ、ダンカン」
「おうよ。新しい食料調達班が増えたんだ。旦那にも紹介しようと思ってよ」
「新しい調達班……? アン知ってる?」
「…………見れば分かりますよ」
「新しいモンスターとか? シュルペーとかだったらどうしよ、怖い見た目だし……仲良くできるかな」
「見た目は心配する必要はないと思います」
「おっ、そう? なら安心だ。いや、見た目で差別してる訳じゃないんだけどねー」
シュルペー怖いんだもん。ウッグも怖いしさあ。
モンドの言葉を信じよう。さて、新しい調達班は……えーと……
「………………え?」
森の奥から解体済みの肉を持ってきている彼らは……。
抜けていく力がなくてよかったと安心した。芸人だったらひっくり返ってるところだ。
「紹介しましょう」
モンドがにやりと笑ったのが見えた。ダンカンも笑い、アンだけは睨みを効かせている。
「新しい食料調達班の、エヴァーチェです」
「お。目が覚めたかアイリス」
「ユットロールさん……なにしてんすか」
「なにって……飯を取ってこいって言われたから、取ってきたんだが」
あーーーー……これは、ちょっと……困惑だ。
まさか、エヴァーチェが仲間に加わっているとは。




