292 その力は
自分の人格が蝕まれていくのを感じる。
怒り、悲しみ、笑い、喜び。
それらの感情が薄れ、顔に仮面を被せられるように人間らしい感情が欠けていく。
この戦いが終わり、体の権限がぼくに戻れば、きっと痛みに耐えきれずに倒れてしまうのだろう。
だからこそ、ぼくはエリルに許可をした。
『ぼくの体を自由に使っていいよ』って。
何をするかを任せるし、この力を正しく使えるのはエリルだけだからって。
ぼくよりも魔素に秀でて、ぼくをここに来るまでサポートしてくれたエリルなら、最良の結果をもたらしてくれるだろうと信じて。
だから、ぼくは疲れきった精神を放棄し、エリル越しに伝わってくるこの万能感に酔うことにした────
◇◇◇
「やはり……貴様は転生者だったのかっ……!!」
咆哮の威圧から立ち直った彼らは再び武器を構えて、陣形を保つ。
ユットロールが声を荒げて、後方に今すぐ魔法を放つように伝え、その声は風によってかき消された。
バサッと。爆風が幾度と耳の後ろで聞こえた。
たった、一つの羽を動かしただけ。それだけで、彼らの耳は機能をしなくなったのだ。
──声が、聞こえない。
後ろに『黒』が降り立ったのを最後に聞こえた音で感じた。
渡黒鴉だ。凶暴状態の──バケモノ。
今すぐに振り向かなければならない。そう感じても、足が竦んだ。
(なぜっ……! オレたちがこの迷宮にやってきた時は、これほどまでに実力差は無かったはずだ!!)
エヴァーチェの団長であるユットロールは以前の記憶を思い出していた。
彼らの血盟がこの迷宮にやってきた時、渡黒鴉は産卵期に入ったばかりだったのを覚えてる。
迷宮に入る邪魔をされたため、全力で応じて、彼女の体に傷をつけた。
そして、怯んでいる内に迷宮内に潜り込み、攻略を開始した。
そう、彼らが渡黒鴉の体に傷をつけたのだ。
だからこそ、今、目の前で起きていることに納得ができなかった。
「ぐああぁぁぁぁっつ!!」
仲間が飛ばされ、空中に現れた魔法陣によって、無音の攻撃が空間を駆け抜けた。
エヴァーチェの部隊が魔法を放てば、それよりも多く、そして威力の高い魔法を打ち返してくる。
攻撃をしかければ、人の命を易易と刈り取ることのできる鉤爪が襲いかかってくる。
音がない空間で、エヴァーチェの部隊は徐々に崩れていっていた。
血が飛ぶ。腕が飛ぶ。構えていた盾が拉げ、転がった。
「くっそおおおおおおっ!!!!」
ユットロールは武器を構え、大地を蹴り上げて、己の体を弾丸へと至らせた。
下位魔族の体を貫き、龍の硬質な鱗をも穿った技。
それが──ふわ、と闇に包まれた。
「そればっかりですね、あなたは」
その声は聞こえず。
その姿も見ることすらできず。
気づけば彼の体の速度は減速し、地面に足を付けるようにまで遅くなり、そのまま叩きつけるように地面に押さえつけられた。
渡黒鴉に向かって放った己の体は、先程まで叩きのめしていたアイリスという人間に抑え込まれたのだ。
「キサマッ、なにをしたああああぁぁぁぁぁ──っっつ!!?」
叫ぶ口にまで及ぶ黒い魔素越しに見えるアイリスは、人差し指を口元に立てていた。
静かにしろ、と。
言葉が分からなくても聞こえるように、と。
そして、空中に文字が綴られた。
『主を「口だけだ」と罵った者よ。認識しろ。貴様の立つ位置を』
黒い文字で宙に浮かぶそれを見て、ユットロールは力を込めて跳ね除けようとして何かに肩を貫かれた。
「グヌッ!?」
アイリスの武器は壊したハズ。
だから、なにが──その視線の先にあったのは、黒い槍。魔素で作り上げられた槍がそこにはあった。
「──!?」
一瞬、拘束が緩んだかと思うと、仲間たちからの援護魔法が飛んできた。
今が抜け出せる好機。グンッと力を込めて飛び退こうとして、足に纏わりつくナニカの感覚に眉を潜めた。
真下を見ると、それは黒色の鎖だった。
そして、その鎖は魔素で作られている。
飛び上がっていた男の体を地上に引き戻す役割を終えた鎖は──魔素としての役目を果たすために姿を変える。
抑え込まれていたものが溢れ出てくるように──空中に魔法陣が広がっていく。
「今度も一振りで消せるといいですね」
地上に立って笑みを浮かべるアイリスは言葉を言い終えると詠唱へと移っていく。
ユットロールはその詠唱が聞こえずとも、その魔法陣から何が出てくるのかが分かった。見たことがあるのだ。この魔法は、アイリスと戦っていた時に己が消し飛ばした魔法だから。
「また、それか……! 既に破った技ぞ!」
空中で体勢が整わないまま、溜めを作った。
再び、その魔法を打ち消すために──
「──はっ……?」
だが、そうもいかない。
空間が広がった、とユットロールは感じた。
一つの魔法陣から現れたのは七つの【嵐龍ノ鉤爪】。
それらが中央にいる男目掛けて、広がった空間が収縮するように──降り注いだ。
「っ!! なめるなァァアアアァァッ!!!」
豪腕から生み出される破壊的なぶん回しは、九つの嵐龍ノ鉤爪を消滅へと追い込んだ。だが、悲しきかな。五十を超える嵐龍ノ鉤爪は未だ健在。
振り抜いた後の死に体となった体へと、鉤爪が振り下ろされた。
「──────〜っ!」
全方位からの魔法攻撃に悲鳴を上げることすら叶わず。
ユットロールの体は一瞬たりとも同じ形を保つことができずに蹂躙されていき……。
「【無属性爆発】……っ!!!」
この窮地から逃れるために放った自身の爆発魔法によって、仲間の元へと体が高速で落ちていく。
背中から落ちて行けども、幸いにして雪の上はその人の体を拒まず包み込んでくれた。
「これで──」
と、希望をもって顔をあげた先にいたのは……見知らぬモンスター達。
「!?」
雪狼。小鬼。そして、この森に縄張りを持つモンスター達の死骸。
それらに取り囲まれていて、振り返ると仲間たちは武器を手放し、震える瞳でユットロールを見つめていた。
その時、ごろ、とついていた膝に転がってきたのは──渡黒鴉の子を傷つけていた仲間の首。
「──〜ッ!!!!」
酸味のある異物が喉の奥にちらつき、不快感となり、それらを大口を開けて吐き出した。
なんどもこみ上げてくるそれらを全て吐き出す。口や鼻から粘っこい液体が落ち続けて……そこでようやく、目の前にいる彼女を見上げた。
抵抗をする。という選択肢が頭に浮かばぬまま、出された手を拒むことはせず受け入れると……音だ。音が聞こえてきた。
「……っ」
風の音がまっさきに入ってきた。
その後に続いたのは仲間たちの拒む声。
そして、目の前のモンスターたちの唸る音。
施された魔法が治癒魔法だと気づくと、その人物を見上げた。
「おまえは……おれたちを……ころすのか……っ?」
その問に、アイリスは首を横に二度振った。
「そんな価値なんて貴方方にはないでしょう。だが、感謝をしなさい……何も知らずに敵対をした貴方を殺す許可は……マスターからはでていません」
言葉にはされない殺意がユットロールの喉の奥に湧き上がっていた希望を押し込んだ。
そして、黒い魔素が体にまとわりつき、下を向けないように男の顔を固定させた。
「恐怖での統治を望んではいません。ですが、知らないのならば、知る機会を与えよと」
アイリスは治癒が終わりかけていた肩の傷口に触れ、手に滴らせると、男の口元まで伸ばした。
「飲め」
「……っ?」
拒む権利なんてない。
仲間が人質に獲られている中、これを拒めば……。
「団長…………っ」
振り返ることはできないが、生き残っている団員たちの前にも同じように血液が浮かんでいた。
「これを受け入れたら……仲間もっ、これ以上は殺さないんだな……?」
アイリスはこくりと頷いた。ならば、選択肢は一つだけだ。
伸ばされたアイリスの人指し指から滴る血液を口の中へ入れると、その顔を固定していた黒い魔素が解除された。
「げほっ……ごほっ……っ!!…………?」
一瞬だけ、ものすごく体が熱を持ったのを感じた。
咄嗟に喉に触れるが特に異常はない。
「ほら、あとは貴方の団員たちにも同じようにさせなさい?」
団員たちはまだ耳が聞こえていないようだ。
恐れが浮かぶ瞳にユットロールは力強く瞳を合わせてうなずく。意図が伝わったのか、目の前に浮かぶ血液を見つめ、両手を差し出した。
一番最初に受け入れたのは、副団長の『エマ』だ。
「ごくっ」
彼女が血液を飲んで喉を鳴らすと、他の生き残っている者たちも血液を取り込んだ。
全員が飲んだのを確認すると、ユットロールはアイリスを見上げ──表情を強張らせた。
「──……」
アイリスが仮面を外して、微笑んでいたからだ。
片目が紫で、片目が黒色。こちらを見下ろしているというのに、威圧的なものは一切感じられず。
白銀の世界に双脚で立つ姿は、まるで、現界した天使のように思えた。
そして、その天使は両手を合わせて心の底から嬉しそうに、
「おめでとうございます。これで貴方もクソッタレの転生者の仲間ですよ! 今日は宴にしましょう!」
と言って、同様の言葉を文字で綴っていた。




