291 発芽
痛い。
苦しい。
力が入らない。
──脳が焼けるようだ。
雪に落ちた身体はゆっくりと熱が奪われていき、雪の温度へと移り変わっていく。
身動きが取れずにいると、ザクザクと足音が聞こえて真上で止まった。
「あら、もう終わっちゃった?」
「……本当に転生者なのか? 転生者がこんなに弱い訳がないだろう」
「でも始まりの地の血盟のやつがそう言ってたんだぞ?」
「それに、コイツも転生者じゃないならもっと否定してただろ」
会話が耳に入ってくるそれらの言葉に否定すらできない。
バカみたいに倒れ込んで、指一本も動かせない。
ウッグの時みたいに魔素で補助しようとしても、大技連発したからほとんど魔素も残ってない。
(ますたー!! 起きてください!! ますたー!)
荒い呼吸を繰り返し、心臓が肥大したのか胸が苦しく感じる。
エリルの声も身体の中から聞こえるっていうのに、どこか遠い場所で聞こえるみたいだ。
あぁ、体温が、低く、なっていく。
これ……ぼく、しぬのかな。
もう、だめなのかな……。
「転生者かどうか調べるために監査庁に突き出すか? 運ぶのも面倒だが」
「近くに支部もないし……ロベル王国に帰れば……まぁ、ギルドの職員に預けておけば問題ないんじゃないか?」
「暴れられたら俺らの責任だぞ。いっそのこと殺しておいた方がいいんじゃないか?」
「それが一番手っ取り早いな。どうせ、この右手の魔障で死ぬんだ。殺してやった方がコイツのためになるだろう」
髪の毛を捕まれ、グイと身体を起こされた。
中央にそびえる大木の根本で血液で雪を紅く濡らしながら、ボクの身体はユットロールに持ち上げられている。
「ぅ……っ、あ」
「顔は見ねぇようにしてやるよ。隠してるってことは、なにかしらの訳があるんだろうしな」
抜き身の刀身に映るのは、目の色が曇った彼の顔。
彼らにとっても気持ちの良い戦闘ではなかったのだろう。
ぼくの言葉を聞いて、即座に攻撃を仕掛けたっていうことは、思い当たることでもあったのか。
それを問う勇気も、元気もない。
「ごふっ……ぃ……ぁ」
寒風に煽られて、口から溢れる血の塊が冷えた石のように感じる。
頬が貫かれ、舌も切れてるのか、ずっと口の中に液体が溢れてる。
吐き出さないと……気管に入って、また戻ってくる。溺れて死んでしまいそうだ。
──剣が抜かれる音が聞こえた。
伝って落ちていく血液が、喉から肩に、胸に、手に、腰から足にかけて伝って……落ちて……。
自分の足元に影のように落ちて伸びて、雪に少しの窪みを作りあげていく。
これ、ダメな……やつだ。
(ますたー! ますたー……!! しっかりしてください!)
いままで、たくさん死にそうな経験をしてきた。
でも、これは、ほんとうに……なにもできない。
「あばよ。アイリス。訓練お疲れ様だったな」
(ますたー!!)
ごめん。エリル。何もできないんだ、本当に。
いたくて、いたくて……情けなくて、辛くて、苦しいんだ。
あぁ………………せっかく、佳奈にも……会えたのになぁ……。
刺される前に、意識が、連れて行かれそうに──
「団長。コイツはどうします?」
声が聞こえた。
遠く離れたところで、男の声が。
そして、それに重なる場所で、あの子の声も。
「ピーッ! ピーッ!」
「渡黒鴉のガキか」
あ、あぁ……っ。
待ってくれ。
お願いだ。
ようやく産まれた渡黒鴉の子なんだ。
「殺せ。そのうち親の方もくるだろう。デカくなる前に殺しとけ」
「りょーかいっ」
まって。
ダメだ。
なんで、そんなことするんだ。
「お、ま……ぃ、う」
声が出ない。
届かない。
「イッ──! コイツ、噛みやがったっ!」
「ガキだからって油断すんなよ。一発で殺そうとすんな。弱らせてから確実に行け」
「そういうのは早く言ってくれよ……いってぇな──ッ!!」
次の瞬間、ザクッという音と共に、あの子の甲高い鳴き声が響いた。
「────っ」
泣き叫ぶ声が聞こえてくる。
身体が動かない。
なんで、なんで、ぼくは……こんなにも……弱いんだ。
ぼくは、強くなったんじゃないのか?
強くなるためにここに来たんじゃないのか?
「ははははっ! どうだ、いてぇだろ!! 右目はコレでもう使いもんになんねぇぞ!」
右目を……切ったのか?
子どもの……? 右目、を?
「ピーッ!!! ピーッ!!!」
つらそうに泣く声が頭に響く。
唇を噛み締めた。
血がにじむ。
頭がいたい。頭が……いたい。
耳を塞いでしまいたい。
ごめん。
本当にごめん。
ぼくが、もっと強かったら、こいつらに負けなかったら。
「おい、あんまり叫ばせるな。最初に喉をやるのは基本だろ」
「へへへ。悪い悪い」
男が武器をまた構えたような音が微かに聞こえた。
また、傷つけられる。
なにもしてない子が。
ただ、産まれただけで何も知らない子が────
「……哀れだよなぁ。なんで、産まれてきたんだろうなぁ」
目の前の男が、そう呟いた。
聞き間違いかと思った。そう、信じたかった。
「産まれてすぐに殺されて。……産まれてこなけりゃ、死ななかったのに」
普通に生きてる人がそんなことを言うはずがないって。
準上位血盟にまで上り詰めた人が、そんなことをいう訳がないんだって。
だが、現実は、残酷に──男の手はボクの首を力強く握りしめたのだ。
「オマエもだよ。アイリス。訓練だなんだって言って……弱いんだから、おとなしく引っ込んでたら良かったのに」
──ブチッ、と。
脳みそが弾けた音が頭の中で木霊し、何かが──────切れた。
「モンスターにいいヤツがいるとかなんとかって言ってたけどさぁ。どのみち、そんな考えは相容れないんだよ。結局、オマエもモンスターも死ぬんだしな」
諭すように言われた言葉に。正論を言っているような表情。
あぁ、吐き気がする。
「なぁ? どんな気持ちなんだアイリス。色々言ってきたがこれほどまでに弱い……口だけ達者で、なにがしたかったんだ?」
コイツは……ダメだ。
こいつらは……ダメだ。
「────」
「あ? いま、なんか言ったか?」
コイツラは……同じ形をしてるだけの──バケモノだ。
「……え、ぃ、う…………!」
「あ?」
バケモノ、なら、もう、遠慮なんて要らない。
こっちが人間らしく戦う必要なんて要らない。
「おまえ──っ」
──男は、持ち上げられているボクの身体に、力が入ったのを感じた。
「じゃあ、次は喉を──」
渡黒鴉の子の喉に剣を差し込もうとした男は次の瞬間、瞠目した。
刃先に伝わるハズだった裂く感覚は全く違う違和感と変わる。
そして、背後から聞こえるのは団長の困惑をし、苦しむような声。
「!? おまえっ!?」
男の目の前に現れたのは──白い影。
彼の刃は渡黒鴉の子ではなく、その白い影の背中に突き刺さっているのだ。
──【クラディス・ヘイ・アルジェントの権限を譲渡しました】──
刃が刺さる寸前に身体を入れ込み、筋肉を全身で硬直させ、子に覆いかぶさるようにして。
血液がその小さな体に降り注ぐ……が、刃は届かない。
死んでも、届かせる訳がない。
「大丈夫ですか……!? なんとか、間に合いましたっ……」
体が動かないのは脳味噌が痛みによりストップをかけているからだ。
ならば、痛みを感じることがない第三者に動かしてもらえばいい。
エリルにぼくの体を使ってもらうことで、体を強制的に動かしたのだ。
「目が……っ。……でも、治療は、モンスターには毒ですものね」
あぁ……本当に、産まれたばかりのこの子の目は潰されたのか。
覆いかぶさるような形のまま、ぼくは子どもの頬を撫ぜた。
──目があった気がした。
潰れていない左目がわずかに開き、涙を流して、弱々しく鳴いた。
その小さな声は、感謝のようにも聞こえたし、悲鳴のような、苦しみのような、この世界に産まれたことを嘆いているのような気さえした。
まだ言葉が通じないから全ては汲み取ることはできない。
でも、恐怖という味わったことのない感情を前にして……ぼくに助けを求めてるのは分かった。
「こんのっ──!」
背後の男が抜けなくなった刃を抜くために、地面を蹴るように腰に向かって足を踏みつけた。
近くにいた者たちの頭もようやく事態を飲み込めたのか、武器を手にして子どもとぼく目掛けて振り下ろそうとした。
──風を切る音が聞こえた。
その音を耳が拾った時には、ぼくの体と子どもの体は空に浮いていた。
この温かい感触は……よく覚えてる。
優しい毛並み、一本一本が際立っていて、抵抗感のない黒い毛。
「渡黒鴉……」
「口を開かなくていい。そのまま、じっとしていろ」
ふわ、と一度高く飛び上がっていたその体は淀みのない動きで着地した。魔法の力で浮かしていた彼女の子どもは遠い場所に優しく置いて、ぼくの体は嘴で器用におろしてくれた。
「──……」
そんな立っているのがようやくなぼくの体を渡黒鴉が見た気がして、見上げると、悲しそうな色を帯びて──それがすぐに真っ黒い感情に変わるのが見えた。
「くそっ……成体が……時間をかけすぎたか」
エヴァーチェが陣形を立て直すのが見えて、渡黒鴉は今まで聞いたことのない声で吼えた。
【────────────】
それは咆哮だ。
モンスターが放つ、敵に実力差を叩きつけるスキルの一つ。
耐性を持つ者にはそこまでの効き目はないとされる威圧。
ましてや、エヴァーチェに効き目なんてないかと思われた。
しかし……いや「しかし」という言葉で紡ぐには惜しい。
これは当然の結果だったのだろう。
咆哮が広場全体を揺らすと、エヴァーチェの全員が硬直し、膝から崩れ落ちていった。
「!??」
本人たちも何が起きているのかわからないまま、頭をあげることができず、惨めに……強者に頭を下げるように、その場に膝をついた。
「…………」
ぼくは忘れていたのかもしれない。
今、ぼくの横にいるモンスターの脅威度というものを。
ワタリガラス、渡黒鴉──その魔物は鳥類の最上位種に位置する。
魔物は分類上、FからSSSまである脅威度の中に分けられている。
その中で、Sと評価されるのは下位魔族の中でも極僅か。上位魔族であってもS+、S-と評価される者もいるほど。
だが、この渡黒鴉という魔物については魔族でもなければ、龍種でもないというのに脅威度は──S。
モンスターの中において、これほどまでに脅威度を高く設定される個体は数が少ない。
故に、渡黒鴉は──鳥類の枠を超えて、魔物の中でも最上位に君臨しているのだ。
(だけど……この戦いは彼女だけの戦いじゃない)
ぼくの体を使っているエリルは横に並んで、武器を取り出した。
「……坊や」
「渡黒鴉さん。怒る気持ちは分かります。……ので、わたしも戦います」
心の中でエリルに問われた。そして、応えた。
魔素も残っていなければ、体も限界。
だったら、出し惜しみをしている暇なんてない。
──じわ。
純白な広場を、ぼくの魔素が汚していく。
穢れ、落ちて、広がって、伸びて……どんよりとした影となって。
右腕に宿されていた火傷痕が、命を宿したように紅く、脈を打つ。
「見届けなさい。無法者たちよ──これは、わたしのマスターの『覚悟』です」
武器を構えるぼくの体からは──黒色の魔素が溢れていた。




