伊能敬一
その翌日
「室長。遺書がもう一通ありました。少し前に書かれたらしく机の抽出の奥に入っていたそうです」
佐野が気遣わしげな表情で白い封書を遠山の前に置いた。遠山の目が大きく見開かれた。
[伊能敬一様]と墨書されている。
「伊能さんの親父さんでしょうか」
こういうことを確認せずに上司に持ってくる佐野ではない。しかしこと伊能に関しては別である。まずは遠山の指示を仰ぎたいということである。
「うん。敬一という名前までは記憶がないのだが、彼の話からしてまずまちがいないだろうな」
遠山は暫く黙ってそれをみつめていた。
「奥さんは、なにかいってたか」
「いえ、なにも。どこのどなたか分からないのでと言われて」
「ほう」
遠山は目をあげて佐野を見た。佐野は、はい、と短く答えた。
「教えてあげたのか」
「わたしの推理として語りました」
「そうか。それで?」
「住所などはこちらで調べますので、よろしければ、われわれが責任をもってお届けしますと言いましたら預けてくれました」
「あ、そう」
「伊能さんに言うべきでしょうね」
「うん。黙っているわけにはいかんな」
遠山はすぐに電話をとった。
亮一は、遠山さんのよろしいように、ただし自分の関わりは父には言わないで欲しい、それのみだった。
二日後、遠山は仙台に赴いた。
亮一と自分との関わりは明かさない約束だからあからさまに敬一に礼を述べることはできない。しかし自分の絶体絶命ともいうべき窮地を二度も救ってくれた人物の父親である。また事件との遠因もある。一度どうしても会っておきたいと思った。
敬一の書斎には同じ机がふたつあった。片方には山のように書物や資料が積まれてあったが、もうひとつの方には小さな写真立てのみが置かれていた。若い夫婦と小学生らしい息子の三人で撮った写真だった。
小柄な敬一は遠山の見るところ息子とは少しも似ていない。亮一は母親似なのだろう。
敬一は遠山が持参した遺書を黙って読み終わると、なにも言わずに遠山に差し出した。
「あんたも見ますか」
「拝見させていただきます」
兄、矢木沢修へのお心遣いに深く深く感謝します。ゆえあって、兄にも先生にももうお目にかかれない仕儀となりましたが、兄は、先生のお顔、お声、そして御講義を唯一の生き甲斐としております。今後ともなにとぞ、お続けいただきますよう、不肖なる弟の後生を持ちまして、お願い申し上げます。 大山茂
この遺書もまた自殺の理由には一切触れていなかった。もっともこれは遠山たちが予想したとおりである。
遠山は手紙を丁寧に畳むと敬一に返した。敬一はそれを受け取ると無造作に資料の上に積んだ。
「遠山さん。あんたは今でも修が殺人に関わっていたと思ってますか」
遠山ははっとした。
――さりげない顔をしていたが俺のことを知っていたのだ。あの息子にしてこの親ありだな。
「いいえ」
遠山は正直に答えた。そして捜査の終盤ではそれはないな、と思い始めていたこと、そして現在では全くそう思っていないことを述べた。
「そうか」
敬一は肯いた。
「あんたには修が迷惑をかけた。すまなかった。師としてわたしからもお詫びします」
敬一はそういうと膝に手を置き、丁寧に遠山に頭をさげた。遠山は驚き恐縮し、そして胸が熱くなった。
ときに、と涙腺の緩みを隠すために遠山は急ぐように話題を変えた。
「あの写真、拝見させていただきましたが奥様とご子息でしょうか」
「ああ。女は元妻だが、息子は今でも俺の息子だ」
敬一は冗談ともつかぬことを大まじめな顔でそう言った。しかし、遠山の記憶が正しければ妻とは少なくても十五年前には別れたはずである。そして再婚しているとも聞いた。その女性の写真をこういつまでも身近に飾っているというのはどういう神経なのだろう。
――不思議な家族だな。
「息子さんは今はどちらに」
「東京だ」
「時々は、こちらにもお帰りになりますか」
「うん。年に何回かは来るよ。もっともその元女房が俺に内緒でなにかと用事を作っては呼び寄せるらしいのだ。そのついでにここにも来るというとこだ。その女もそうだが倅も変わってる」
――先生も十分に変わってます。
「失礼ですが家事はどなたが?」
「近所に妹がおって来てくれてる。昔は息子がやってくれた」
「息子さんが、ほう? どう」
「まあ、食料を買ってきて食事を作る、掃除も洗濯もやって、家計簿も作ったりしたかなあ」
「は・・・当時、息子さんはおいくつだったのでしょうか」
「小学四年生頃からかな」
「高校までも?」
「ああ、そうなるなあ」
「はあ・・・」
遠山は何が何だか分からくなった。
「ときに、遠山さん」
敬一は少し赤い顔になった。
「はい」
「あんた。エライ人だろう」
「は?」
「そのだな。いいにくいのだが、ここの警察の交通課に顔が利かんかな」
「それは、まあ、利かないでもないですが」
交通課どころか、トップである現県警本部長は遠山の元、部下だった。
「あのな。その妹が駐車違反で罰金を払えと言われてな。困っている、というより怒っている。なんとかならんかな。いつも留めているところで全く邪魔にならないところなのに、なんでなのだと、わしに怒るのだよ。こういう時に、兄さんの社会科学は役に立たないのかなどと無茶をいってな。わしにそう言われてもどうにもならんのだが、ひょいと今、思いついた。その、どうだろうか。俺の顔でそれをナントカしてやったといえば、妹のやつも俺のことを少しは見直すと思うのだがな」
遠山はそっと笑った。
「分かりました。おまかせください。これから県警に立ち寄りますので必ず先生のお顔が立つように致します」
遠山は決心をした。息子が自分と警察にしてくれたことを考えれば、そうせざるをえまい。
伊能家を辞すと、その足で県警本部に向かった。予め、その後の矢木沢の状況を把握しておいてくれるように依頼していたのである。
矢木沢修は失意の日々を過ごすうちに輪禍で脊椎を傷めベッドに横たわる日々にあった。意識はあるものの体も言葉もままならない状態だという。
大山は毎年二度ほど見舞いに立ち寄っており、やはり見舞いにきていた伊能敬一とも二度ほどはすれちがっているということだった。遠山は運命の数奇さに改めて驚くばかりだった。




