ひそかなふたつの会話
迎賓館でのプレゼンテーションが首尾良く終わったのち、杉ビルの広い会議室では内輪の慰労会が開かれた。
その後、遠山は別室に青山総研大山と主だったメンバーに集まってもらい、堺公人の身分を明かして陳謝した。一同は驚いたが、すぐに口々に堺のこれまでの労をねぎらって握手を求めてくれた。隠されたミッションはともかく堺が全身全霊を以て仕事を全うしてくれたことを誰もが知っていたからである。
その後・・・
ビル内のふたつの箇所で驚くべき会話がなされていた。
ひとつ。榎本と堺である。
「榎本さん。本当に申し訳ありませんでした。どうか勘弁してください」
「でも堺はSEとして申し分のない仕事をしてくれた。みんなも拍手をしてくれたじゃないか。実はな、俺はおまえにはなんとなく異質なものがあるとは思ってたんだ。SEって人種は、俺もそうなんだが結構勝手なことをするものなんだ。でも堺はそうじゃない。完璧に規則や約束を守るんだ。うちの社員じゃないから遠慮があるのだろうと思っていたのだが。それはともかく俺もお前をいっときは疑った。だからオアイコだ。気にしないでいいよ。それより警察を辞めてうちで働かないか。大山さんにいえば喜んで雇ってくれるよ。堺の技術なら給料もはずんでくれる。柴田がああなっちゃったこともあるしな」
「ありがたいのですが、それはちょっと」
堺は頭を下げた。結果オーライとはいえ、皆を欺いていたという事実は消えない。
「そうか。まあそうだろうな。ところで話ってのはなんだい。それだけか」
「いえ。これを見て欲しいのです」
堺は傍の椅子から分厚いリストを持ち上げてテーブルの上に置いた。それは復元されたオブジェクトと青虫に改竄されたオブジェクトを比較し、異なっている箇所を抜き出したものだった。今後のために、一流ハッカーの手口を解明しておこうという榎本の提案で作成したものだった。追加された分、削除された分、変更が加えられていた分の三種類があった。
「おお、もう出来たのか。どれ・・・これはテミスだな」
「そうです。見てもらいたいのはここのところです。じつは監禁されていたときから気になっていたもんですから、真っ先にこれを見たんです」
堺の表情はなぜか硬かった。それに気がついた榎本は少し緊張して指された箇所を目で追った。
「くはあ、うまく外されているわ。青虫のやつめが」
「はい。残念です」
「柴田が洩らしちまったんだろうな」
「それなんですが、榎本さん」
「なんだい。おかしな顔をして」
「これ、柴田に教えてなかったんです」
「なに? どうしてだ・・・いや・・・本当か」
榎本の声は急に小さくなった。
「はい」
堺の返事も小さかった。
榎本がチームを抜ける前日の深夜だった。
コピー機能つきの白板に榎本はチャートとプログラムを描いて、最後に16桁のパスワードを書いた。聞いているのは堺ひとりだった。
(テミスというのはギリシャ神話の法と掟の女神だ。命名者としてはひどい掟やぶりなんだがね、俺はその女神の中にこっそりこのトラップを仕掛けた。ハッカーならどうやるかという、その身になって考え抜いた末に作ったのがこれ、こういう仕組みだ)
榎本は順を追って解説をした。
(なるほど。DNAの二重螺旋構造みたいですね。うまいなあ。これなら絶対にひっかかりますね。さすがに榎本さんだ)
(これをな、おまえと柴田だけにいっておく。悪いが、小野田さんたちにもいわないで欲しいんだ)
(わかりました。柴田にはこれをコピーして僕から説明しておきます)
「それが・・・忙しさにまぎれてつい」
「伝えてなかったというのか。それじゃ・・・どういうことになるんだ。どうしてこのトラップに気づくんだ。青虫というのは神様か。ゼウスか」
榎本は唇を噛み絶句した。
「・・・それなんですが・・・」
「ん? どうした」
「コピー取ったらきれいに消しておけ。そういって榎本さん、部屋を出ていきましたね。僕はまずコピーを取ってバッグに入れ、そのあと白板に書かれたものを消そうとしたんですがイレイザーが悪くて消えない。濡れ雑巾で消そうといったん外にでて給湯室から雑巾を持ってきたんですが、部屋に入ると人がいたんです」
「誰?」
「大山さんです」
「えっ」
「これは榎本が書いたもののようだ、引き継ぎかねって」
「・・・おまえ、どう言ったんだ」
「言っちゃいました。全部」
「・・・・そうか。大山さんだものな。話しちゃまずいなんて俺だって思わんさ。でも堺。大山さんはあの人らしく自分で柴田にそれを伝えたのじゃないか」
「いいえ、伝えていません」
「どうしてそんなことがいえる?」
「白板のあと出し忘れてあいだに、何回も柴田と会いましたが、”大山さんから聞いたよ”の、ひとこともありませんでした」
「すると? 別々の単独犯か・・・しかし、なんで・・・なんで大山さんがそんな」
榎本はそこまでいうと黙ってしまった。
五分ほどふたりはそのままでいたが、やがて、榎本が絞り出すような声でこう言った。
「堺。お互いに自分の仕事をまっとうしよう。おまえはおまえの仕事をまっとうしろ。それが男ってもんだろう。な?」
そしてもうひとつ。
「なぜだね?」
遠山は小声で聞き返した。場所は一階のロビーの隅だった。
「どうしてそれを聞くのかね」
伊能が大山茂のことを詳しく教えて欲しいと言ったのである。遠山はそう聞き返えさざるを得なかった。
伊能は遠山の口利きがあってさきほどの一幕も後方でひっそりと見ていた。
「似ているんです。成功したあのとき、操作室の中で石井さんと手を握り合ってましたね。それをみた瞬間、遠山さんがよく知っているある人物を思い出したんです。遠山さんは思ったことがありませんか」
遠山は首をかしげた。大山とはこのプロジェクトを通じて何度も会っているのだが、一度もそのようなことを思ったことがなかったからである。しかし大山は、堺から、ひと回りも年のちがう妹と自分を兄妹だと見抜いたという伊能の識別力を聞いていた。冗談ではあろうが、鷹の目は雀の兄妹の見分けもつくのだといった伊能の言葉も聞いていた。
遠山自身もその能力は知っていた。
『顔は分からなくても体の動きをみれば分かります』
十五年前のあの時、伊能はそう言い、そして見事に証明してみせたのである。
「もちろん、ちがう可能性の方が高いのですが気になったものですから」
「だれだろう」
「矢木沢修です」
「なに」
遠山の今度の声は大きかった。
「あの、矢木沢かね」
「ええ、そうです」
「そうかねえ。僕には少しもそうはみえないが」
遠山は落ち着きを取り戻すと、今度は苦笑いをせざるを得なかった。そもそも伊能は矢木沢と会ったことがあるのか。むろん顔写真は新聞に何度か載ったしテレビでも流されたはずなのだが。
「伊能君は、矢木沢に直接会ったことはないんだろう?」
「いえ。あります。何度も」
「な・・・」
どういうことだ。そんなことを伊能はひとこともいわなかったではないか。
「いつだ。いつ会ったんだ。それに何度もとはどういうことだ」
「矢木沢さんは父の教え子でした」
はああ、という空気が漏れるような音が遠山の喉の奥から出た。
そういえば伊能の父親は当時は東北大の教授だった。矢木沢もあそこの出だ。だからそういうこともありうるだろう。しかし、と、まだ信じがたい思いでいる内に、遠山は、伊能が矢木沢をサンづけで呼んでいることに気がついた。
「矢木沢は君のお父上とは親しかったということか」
「はい。父は矢木沢さんをゼミの時代から可愛がっておりました。亀山氏の秘書になってからも、彼はよくうちに来ましたので、わたしも何度か話をしたことがあります」
伊能は悪戯をみつけられた子どものように下を向いて顔を赤くした。
「悪かったですか。黙っていて」
「いや、それは・・・そんなことはない。しかし君は」
伊能は父の愛弟子を追いつめるのに警察に手を貸したことになるではないか。
「遠山さん」
伊能の目は遠い昔を見ていた。
「迷ったんです。しかし、殺人は別としても矢木沢さんが収賄事件に関与していたのは事実なのです。あの少し前でした。八木沢さんが家に来て、父に厳しく叱責されうなだれて帰っていった姿を僕は今でも覚えています。ただ、このことを付け加えさせてください。父は矢木沢さんを今も弟子だと思っており、自分の野心を制御できなかった失敗はあったが、殺人だけには関与してないと信じております」
「そうだったか。知らなかった。少しも知らなかった。今だからいうが、わたしも矢木沢は殺人にだけは関与していないのではないかと思うようになっていたんだ」
「それで大山さんなのですが」
遠山が感傷にひたるまもなく伊能はあっさりと話をもとにもどした。
「その時の帰り際でした。矢木沢さんは玄関口まで見送りに出たわたしの手を握り、もうお目にかかることは叶わんでしょうが、先生をどうかお大事にお願いします、と涙を流しながら言ったのです」
「なるほど。そのときの姿にか」
「それだけではありません。父がこう言ってたことがあるんです」
(修には弟がいてな。請われて子どもの頃に養子にいったらしい。先方は裕福な家だというからそれはそれでいいのだろうが、修は弟をずいぶん可愛がっていたようだ。今でもちょいちょい弟の話が出る。ああみえても情の深いたちなんだなあ、あれは)
「なんだって!」
「養子先の姓をわたしは知りませんが、これが的外れであることを願っています」
伊能が最後に言ったことには大きな意味があった。
柴田は自分の単独犯行であることを強く主張していた。しかし取り調べに当たった佐野はその供述に判然せず、隣室からミラー越しにそれを見ていた堺も同様の印象を持ったというのである。
(柴田はだれかをかばっているのではないでしょうか)
そういうこともあり特捜班は共犯者がいるとみて関係者の内偵を進めていた。大山や石井もその対象者だった。しかし大山の場合は動機がない。自らが被る被害、すなわちプロジェクトの失敗の責任を問われることに見合う動機がないのである。家庭も円満で金銭的なトラブルもない。女性関係もない。なによりも二十年以上にわたって業界に知られた名声と人格があった。
しかし、もしも伊能の指摘どおりだとすれば動機はあったということになる。兄の怨念を晴らすため、セキュリティ責任者遠山史郎との刺し違えである。




