堺と柴田
「そうか、それじゃ、俺と全く同じ目に合っていたというわけだ。しかし、どうして一緒にしなかったんだろう」
「わからん。・・・それにしても堺、おまえ意外とタフなんだな。俺でさえ参っているというのに」
「心の持ち方だろうよ。怖がらないようにしていたんだ。恐怖や焦りは極度に体力を奪うというからな」
「なるほどと言いたいが、その内にコンクリート詰めにされて東京湾に沈められるかもしれんとは考えなかったのか? 俺は正直のところ怖いぜ」
「見張りは人相を隠していたろう? 弁当も割箸も場所が判るような物は一切取り去っていた。あとで命を取るのならそうまではしないだろう。ま、最後は又眠らされて目が覚めたら絵画館前の芝生の上、という事になるんじゃないか」
「馬鹿な。これは小説じゃない。油断させるためだとか事情が変わるという事だって有る」
「かもな。その時は戦うまでさ。柴田の空手の腕前を頼りにしているぜ。俺もせいぜい噛みついたり引っ掻いたりするさ。時に柴田。俺たちが何故こんな目に会わなきゃならないのか考えてみたか」
「ふたりに共通のことならTARO以外にはない。でもそれがどうだと言うのだ。あれはもう既に完成しているんだ。俺たちがいなくても今更たいして困りはしまい。そのノウハウか? だとしてもおかしいじゃないか」
「どうしてだ」
「確かに秘密に運ばれて来たプロジェクトだ。だがその時期はもう過ぎた。パテントは抑えた、第一報も終えている。ビルのことだってもうプレスには内々に情報を流しているんだから今や極秘というほどのものではないんだ。それにだ、俺たちを監禁することにどんな意味が有る?」
「意味が有るから斯くの如しだろう。俺と柴田がいない方がいい、という事が有るじゃないか」
「・・・テミスか。あれがやられたというのか。まさか、あれは別格だ。誰がどうやってそんなことができるんだ」
柴田が呻くように言った。
「まあ、聞けよ。そしてフラッグスだ。あれだけは最後の最後まで秘密のはずだ。テミスがやられていればフラッグスは動かせない。榎本さんはいない。あるいは洋上から呼ばれているかもしれないがな。どこのワルか知らないがうまいところに目をつけたもんだ。俺ひとりの時はまだそうとは言いきれなかった。だが、おまえも一緒だということになると話は違う。それを悟らせないためにこれまで別々に監禁していたのかもしれん。柴田。ワルどもは単にテミスを壊して面白がるだけが目的じゃないぞ」
「・・・・」
堺というのはこういう男だったか?
柴田は圧倒されていた。これまで見知っていた堺とはあきらかにどこかがちがっている。究極の状況が堺を変えたのだろうか。
「俺の結論をいおうか。狙いは例のやつだ」
「例のって」
「フラッグスの最後の放射に決まっているだろう」
「・・・あれか」
「なんだい暢気なことを。柴田らしくもないじゃないか。だとすればどうなる? とんでもない事になるぞ」
「待て堺。お前が言ったのはすべて推測だろう? そんなことを誰ができる。まさかお前、俺を疑っているのじゃないだろうな」
柴田は身を退いて堺を睨んだ。ふたりはしばらく相手の心の内を覗こうとするように睨みあった。が、堺がふわりとその重苦しさを解いた。
「そんなことはないさ。その気ならほかの人間にもチャンスはあったんだ」
「ほかに? 誰がだ」
「それは俺の口からは言えない。しかし、なしとは言えん」
確かに論理的にはある。
「だから、柴田。それは今は止そうじゃないか。推測とは言ったが、常に最悪を考えて備える。それが大山さんの教えだろう」
「・・・そうだった・・・」
「ならば脱出だ。それも大急ぎでだ。ふたりを今日から一緒にしたのはなぜだと思う? 答、その一。一味は逃亡の準備に取り掛かった。そのために見張りなどの手が足りなくなった。答、その二。俺達が力を合わせてなんとか脱出に成功したとしても、もう大丈夫というところまで来た」
「なるほどな。しかし脱出といっても手段が有るのか。おまえはもうこの部屋の事はすっかり調査済みなんだろう? 俺は少しでも武器や道具になりそうなものは皆取り上げられているんだ」
「おいおい柴田、意気地のない事を言うじゃないか。なせばなるだよ。新手のツールを作り出すか頭を使うかだ。俺達はそれが商売だろう? まずはあれを見ろ。電話器用のアウトレットだ。あそこからパルス信号を送ってみようじゃないか」
「・・・そんなことが出来るのか」
「出来るさ。結果は受け合えないがね。途中で切れているかもしれないしビル内の交換機を経由しているのかもしれない。だがこの際だ。実行してみる値打は有る。最後の手段にと思っていたのだが、今こそがその時だ」
「パルス信号と言ったって電源はどうするんだ。ケーブルだって要るだろう」
堺は不精髭が伸びた顔でにやりと笑い、腕から時計を外した。そして腰からベルトを引き抜くと、どこかの止め金を時計の裏蓋に当てた。そしてそういうことに慣れているらしくパチンと音をさせると、あっさりと中の水銀電池を取り出してしまった。柴田は目を丸くしてその様子を見ていた。
「・・・ケーブルはどうする?」
「これだよ」
堺は銀色の線をベッドのマットの下から取り出してみせた。
「弁当箱の底に貼ってあった錫箔だ。あれを剥して細く折り畳んで作っておいたんだ。送話器からの信号は百ミリアンペア程度だったと思う。この電池は一・三ボルトのものだから、この錫箔線の抵抗で、ひょっとするとばっちりかもな。電話は受話器を上げれば信号が出て、それを切ると番号のシグナルになるんだ。だからこれを端子につないで素早く断続させればいい。狙いは一一〇番だ。一はともかくゼロが難しい。十回、リズミカルに短く切らねばならん。パパパパパパパパパパとだ。だが一一〇番の場合には、いったん先方につながりさえすればこちらの電話番号は記憶される。やるよ。手がしびれてきたら代わってくれ」
「堺、おまえ、よくそんなことを知っているなあ」
堺は黙って端子を引出し、やはりベルトの金具を使って二本の線を器用に接続した。そして線の一方の端を電池にしっかりと当てて、もう片方をパパっと素早く断続的に電池に当てた。
「どうだい」
そう言った堺の首筋めがけて柴田の手刀が打ち下ろされた。
さらに意外な事が起きた。
堺がそれを待っていたように手首を掴み立ち上がりざまに捻った。堺の反応を全く考えていなかった柴田は、鈍い音を立てて肩から床に叩きつけられ肺の機能が一時的に停止した。
顔を蒼白にして喘ぎやっと呼吸が戻って来て立ち上がろうとしたが、悲鳴と共に再び床に倒れ伏した。右肩の激痛によって気を失ったのである。
「柴田・・・なんということだ。どんなにおまえでないことを願っていたか」
柴田は長く辛かった開発の期間、互いに励まし合ってきた同僚だった。ふたりで何度も徹夜作業を共にした。実際、堺は密のミッションをうしろめたく思えたほどだった。
堺は悲しそうにそう言うと床に伸びた柴田の額に手をあて心臓に耳を当てた。それから素早く柴田のジャケットを脱がせると、ポケットから襟元、ボタンに至るまで指を這わせ、更にはジンーズとパンツを脱がせ、隅々まで点検を始めた。ジーンズの裾の内側から小さなスプレーが出てきた。ラベルが剥がされていたが、いつぞや堺が不覚をとったものと同じ成分のものだろう。しかしその他には堺が期待するようなものはなにひとつなかった。
「用心がいいのだな。おまえの仲間は」
もっとも仲間といっては気の毒で恐らく利用されただけなのではないか。堺はせめてそう思いたかった。同時に堺は一切の希望が失われたことを知った。一一〇番への接続などはむろん無理な話で柴田の正体を探るためにやった芝居だった。堺は唇を噛み、その場に座り込んだ。
(部長、申し訳ありません。堺は役目を果たせませんでした。甘かったです。剛、すまん。静子、バスケは伊能さんに教えてもらってくれ。きっと親切に教えてくれるだろう)
その時だった。




