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暗闘  作者: 伊藤むねお
39/52

抜け道

佐野たちが柿本ビルの下に車を止めると、待っていたように黒い影が七つ八つと近づいてきた。その中に秦と伊能がいた。

「どうだった? 見取り図は」

 佐野がひとりに尋ねた。

「データベースにこのビルはありませんでした。それで、さっきひとまわりして略図を描いておきました」

「そうか。それをみせてくれ」

 秦が内ポケットから一枚の紙をだした。

「室長がこれを。家宅捜索令状です」

「わかった。それから伊能さん。どうします。コロシにまで手を広げているほどの男ですから、踏み込むのはちょっと遠慮してもらった方がいいと思いますが」

 秦が頭に手をやりながらこう言った。

「警視、伊能さんは顔をちょっと見るだけでいいと」

「ほう? でもそうすると伊能さんも顔を見られるかも知れませんよ」

「承知しております」

「そうですか。わかりました。ではドア口で一番後ろにいてください。伊能さんなら、そこからでも見えるでしょう」

 伊能は肯いた。

 佐野はペンライトの下の見取り図に書き込みを入れながら、素早く人員配置を指示した。

「無線機のチェックをする。勝負どころだぞ」


 一階に不動産会社や会計事務所が入っている細長いマンションの一室で柿本は熟睡していた。どこかでチャイムの音がする。何度か鳴らされたようである。目を覚ました柿本は顔をしかめ暫く考えていたが、やがてゆっくりと起きてガウンをまとい、壁際のワードローブの奥を確かめた。それからゆっくりと玄関口にでた。

「だれです。こんな時間に」

 入り口の覗き眼鏡から外をみると、コートをまとった男が数人立っていた。みな見知らぬ顔だが警察官だということは一目でわかった。鴨原同様それが分からないようではこの商売は勤まらない。

「柿本麿次さんですね」

「そうだが」

「警視庁のものです。ここおよび事務所に対する家宅捜査令状があります。開けてください」

「捜査令状?」

「開けてください」

「藪から棒に・・・なんの容疑です」

「脱税容疑です」

 ――クソ、見え見えなことを。

 柿本の広い額の下の脳細胞が一斉に活動を開始した。

 ――どこかで俺の裏稼業のしっぽを掴んだのだか。まさかな。

 しかしそう思うと気がかりなことはいくらでも有った。

 ――拒むわけにはゆくまい。ようし、入れてやる。少なくともアノ件だけはそう簡単にしっぽを掴まれるようにはなってないのだ。

「チエーンは掛けずに開けてもらえますか。でないとカッターで切らないといけないもので。必要なら身分証と令状を郵便受けから中に入れますが」

「そうしてくれ」

 身分証と令状が郵便受けの箱に落ちた。

 警視 佐野義郎。警視庁科学捜査研究所主任。

 ――科捜研? なにが脱税だ!

 柿本は決心をした。

「ここは他の住人もいるんです。静かにお願いできますかね。わたしは一応オーナーなんで」

「もちろんです」

 柿本は扉を開き、どうぞと言った。柿本はなるほど四十ガラミで、髪が不自然なほど黒々としている。遣り手の会計士にみえなくもないが、暗黒の世界に身を置く油断のない目つきだった。

「佐野です」

 先頭で入って来たのはいかにも科捜研の主任らしい理知的な目をしている男だった。出された掌に柿本は身分証と令状を返した。その脇から、プロレスラーかと思うような体躯の男を先頭に精悍な男達が風のように素早く入ってきた。一番うしろにひときわ背の高い刑事がいたが、その男だけは入らずによく光る目で柿本の顔をじっと見ている。

 伊能は誰にも言わなかったが、柿本を見たかったのではなかった。柿本に自分を見せたかったのである。累々と犠牲者を出しながらも毎年やってくる刺客たちの背後に、あるいはこの男が関係しているかと考えたのだが、柿本が伊能を見る表情にはいち刑事を見る目以外のものは現れなかった。

 ――この男は俺を知らない・・・ちがったか。

「他にだれかいますか」

「いや、わたしひとりだよ」

「部屋を見せてもらうよ」

「どうぞ」

 刑事達は慎重に各部屋を見てまわった。間取りは三LDKとつつましいが、部屋の調度はなかなか豪華なものでヒトマロの羽振りの良さが伺えた。リビングルームにキッチンと浴室と寝室、それとワードローブらしい一角があった。

「手を入れてもいいが、服をぐちゃぐちゃにしないで」

 有田は無言で服をかき分けた。奥に堅い底壁があった。

 刑事たちは手早く部屋を見て回った。ベランダを捜索し終えたひとりは、ガラス戸を締めるとカーテンをもどしてその前に腕組みして立った。

 佐野は部下たちがそれぞれの場所を占めたのを確認すると、コートを脱ぎ豪華なソファにゆっくりと腰をおろした。

 柿本は、

「わたしも掛けていいのでしょうな」

 と、言いながらその向かいに腰をおろした。他の刑事たちはコートを着たままでふたりを囲んで立っている。

「ヒトマロさんだね」

 佐野はそう言って柿本の目を見た。

 くそ!

「ほう、そういう古い呼び名をよく知ってますな。だれがそんなことを・・・といっても言わんのでしょうな」

 柿本はしぶとく落ち着き払いタバコに火をつけた。

「脱税容疑なんかじゃないんでしょう。正直なところをいって下さいよ」

 佐野は答えない。

「ま、いいですよ。あとで弁護士をねじ込ませますからね。令状があるなら、とりあえずはなんでも探してください」

「もちろん、そうさせてもらうが、じつは探し物はここにはないようなんだ」

「ほう?」

「堺、柴田というふたりの男を捜している」

 柿本は、え? と自分の耳を疑う動作をしてみせた。

 ――どうしてだ。もうそこまで来たのか。まずいな。

 柿本は心中動揺した。

「誰ですかそいつらは」

「あんたが指示して監禁させた男たちだ」

「警視さん。なんの話ですか。冗談はよしてください。わたしは堅気の公認会計士ですよ」

 苦笑いを浮かべながらこう言ってみせた。

 しかし、

「おとぼけは無駄だ。バードを知っているだろう。やつが吐いた。成増で三人の男が堺を受け取ったそうだが、その三人を雇って監禁させたのがあんただと。さ、場所を教えてもらおうか」

 さすがの柿本も、なに、という言葉を危ういところで飲み込んだ。

 ――あのバードが俺のことをサツにばらすとは信じられん。憎い商売敵だがそんなヤワな男ではない。こいつは嘘だ、ワナだ。

 そのような柿本を佐野は注意深く見守った。鴨原の謀殺を図ったのが柿本なら今の自分の言葉に必ず反応が現れるはずだった。しかし、柿本は狐狸山などとは格ちがいのデキタ男らしく期待した反応は見られなかった。

「なにをおっしゃってるのか。わたしはさっぱりわかりませんな」

「柿本さん、あんたは大物のようだ。それらしい振る舞いというものがあるのじゃないか」

「そんなことをいわれても困りますな」

「おい。口で聞くだけじゃだめだってのか」

 有田が凄まじい形相で顔を近づけてきた。

「脅迫ですか。警察がそんなことをいっていいのですか」

 柿本は余裕ありげに腕を組んで見せた。しかし心の内はちがっていた。怖いと思ったのである。

 ――警察がいま置かれている立場を考えればこいつらは注射を打っても吐かせようとするかもしれない。あ、それで科捜研の男が出張ったのか・・・こいつはヤバイ。逃げよう。一週間でいいんだ。そうすれば残りの金は入る。

 柿本は決心をした。用意して置いた抜け道があるし成功する自信もあった。

「弁護士を呼んでいいのでしょうな」

「呼んでもいいが、聞いたことに答えて欲しいな」

「弁護士を先に呼んでくださいよ」

「それじゃちょっと一緒に来てもらえるかね。弁護士はそこでも呼べるから」

「だったらゆきましょう。着替えくらいはしてもいいのでしょうな」

 ――本庁までといわなかったな。薬臭いところなどに連れ込まれてたまるもんか。

 柿本は心中の思いはおくびにも出さず、大儀そうに壁際のワードローブのカーテンを開いた。有田がそばに立ち、さりげなく拳銃のホルスターをみせてやった。おかしなことをするなよと。

 柿本はそれをみると欧米人のようなはでなゼスチャーで肩をすくめてみせた。これからやることのために自分の動きに馴染ませる必要があった。

「どこでどうなってるのか、すっかり誤解されてしまってるようですな。わたしはそういうのとは全く縁がないのだ。そうだ。歯ブラシなどはあっちで貸してもらえるんでしょうか。わたしはどうも歯が」

 柿本はシーっと歯をわざとらしく鳴らすと、袖を通さずにコートを羽織り、さあ行きましょうか、というように佐野の方を見た。その意外な素直さに有田がちらりと佐野に目を移した。

「あ」

 誰かが声をあげた。柿本がいきなりワードローブの中に身を投げ入れたのである。奥行きがわずか一メートルほどの箱の中に逃げ込むという意外さに、室内にいたすべての刑事が意表をつかれ一瞬棒立ちになってしまった。しかし飛び込んだ奥で、鈍い金属音が響いた。有田が手に残ったコートを投げ捨て、まだ揺れている衣類を乱暴に左右に払いのけた。

「くそ、隠し扉だ。灯り!」

 照明の中で鈍い光を放つその扉にはノブがなかった。有田がどんどんと叩いたがびくともするものではない。

「続き部屋で借りていたんだ。佐伯、ベランダだ。淵上は隣の部屋の扉を張れ。会田、管理人室からマスターキーを借りてこい」

 佐野は矢継ぎ早にそれだけの指示を出すと、マイクを取り出し、

「ヒトマロが仕掛け扉から北隣の部屋に逃げ込んだ。脱出を警戒。窓とベランダから目を離すな。みつけしだい確保。手強いぞ。拳銃を持つ恐れもある。遠慮無くぶちのめせ」

 と、怒鳴るように言った。

「ベランダからは回れません。境目で切れてます」

「隣の部屋はロックされています」

「シリンダーを焼き切れ!」

 用意していたバーナーがバッシュウという音を立てた時、柿本はすでにその部屋を脱出しかかっていた。その動作にはまったくよどみがない。日頃の用心がものをいった。柿本は隣の部屋に入ると、隠し棚から命同様に大切なリスト、カードを入れた小物入れを内ポケットにねじ込み、床のカーペットを素早くはぎ取った。

 自ら設計したこの逃亡路は暗闇であってもヒトマロにはなんの問題もなかった。床に現れた六十センチ平方の金属板の縁を指先でなぞって縁のレバーを探し当てると、力をこめて引き上げた。刑事達が踏み込んで来るにはまだ数分はかかるにちがいない。

 マンション全室に非常ベルが響き渡った。火災警報である。八階建ての全室にたちまち照明がつき始め、あちこちから不安そうな表情の住居人が顔を見せ始めた。

 佐野は舌打ちをした。ヒトマロの仕業だ。指令器に口をつけると地上で待機している刑事に指示をだした。

「ベルはヒトマロの仕業で誤報だ。変装して逃亡する恐れがある。住人は一人も出すな。たとえ女でも老人でもだ。一、二階の窓、テラス、非常口に注意!」

 パジャマやネグリジェの上からガウンやコートをひっかけた住人達が数を増し、特捜班の数少ない刑事たちは、それを制止するのに手を取られてしまった。


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