キツネと交渉
有田が狐と呼んだ狐狸山郁郎はしたたかに酒をくらっていた。一緒にベッドに入ろうとする女を太い脚で乱暴に蹴り出し、毛布を頭から被った。
「いたあい。どうしたっていうのよう」
毛布の中の狐狸山は返事をしなかった。それどころではないのだ。
そのときチャイムが鳴った。
狐狸山はいちどきに酔いが醒めたようになり、慌てて毛布をはねのけた。窓に灯りがついている以上、居留守をつかうわけにはゆかない。女が応対に出たらしくインタホンで話すぼそぼそという声が聞こえる。
「誰だ」
女がもどってくるや、狐狸山は小さな声でたずねた。
「ありた、っていう人」
「ありた? 誰だ? いると言ったのか」
「言っちゃったわよ」
女はさきほどのあしらいで腹をたてていた。狐狸山は舌打ちをした。
「どんなやつだ。おまえ、知っているやつか」
「はじめて見る顔よ。あんたのお仲間なんじゃない。相撲取りみたいにごつい男よ」
狐狸山は女の耳を思い切りひっぱって悲鳴を上げさせると、急いでズボンをはき、ベッドのマットの下から拳銃を取り出して背中のベルトにさしこんだ。
とにかく会わないわけにはゆかない。狐狸山は足音を忍ばせて、扉に近づいた。ドア越しに銃弾を撃ち込まれては叶わない。
「誰ですかい」
インタホンのスイッチを入れるとゆっくりと話した。こういうときこそ落ち着いた様子はみせなくてはならない。
「警視庁の有田だ。あんたは知らないだろうが、こっちはおまえさんのことはよく知っている」
「なに」
サツか。町田の野郎がはきやがったか。それにしても警視庁といったのは本庁のデカか。新宿署ではないのか?
狐狸山はそっと覗き眼鏡から廊下を覗いてみた。薄暗い廊下の灯りの下にふたりの男がいた。なるほど相撲取りだ。大きな男が右手を上げて身分証をレンズの正面にかざしている。
――あ、伍介一家を丸ごとぱくりやがったあの有田か。まずいぞ。こうなればしらっばくれるしかあるまい。町田には悪いが俺までぱくられては叶わん。
狐狸山は覚悟を決め、拳銃をそばのゴルフバッグのポケットに深くつっこむとチェーンを掛けたままでドアを開けた。
有田はもっとよくみるかね、という調子で隙間から身分証を見せた。
「本庁のダンナがたがこんな夜更けになんですかね」
「話がしたい。こちらは俺のボスだ。内緒で話をしたいんだがちょっと外にでるかね。寒いけどな」
有田は風貌と評判に似合わぬ優しげな声で言った。
――内緒でだと? なにかのワナじゃねえだろうな。
「内緒の話といいましたかね」
「ああそうだ」
狐狸山は少し考えたが、外に連れ出されるのは怖いと思った。
「中でいいですよ」
それから女に奥に入って出てくるなと言った。女は好奇心を抑えかねる様子だったが、狐狸山の強ばった顔を見ると雑誌を掴んで奥の部屋に消えた。
有田と佐野は素早く部屋に入ってくると扉を閉め、女はどこだ、と言った。
「あそこですよ」
「悪いが外に出ててもらえないかね。すぐに話はすむよ、他にはいないか」
狐狸山はふたりを値踏みするように十秒ほど見ていたが、有田はともかく、ボスだという佐野は荒っぽいことをする男ではないとみた。ずかずかと女が入った部屋に近づいてドアを開けると、怒鳴るようになにかを言った。
恨めしそうな顔をした女が外套をひっかけてでてゆくと、佐野はソファに腰をおろし有田がその横に立った。
「他には俺だけですよ」
「まあ。かけろ」
有田が肩を叩くと狐狸山はおとなしく従った。
「困っているようだな」
「町田のことですかい。あいつが勝手なことをするから悪いんだ。仕方がないでしょう」
「だが、仕方がないじゃすまないはずだ。ツル爺さんがお怒りなんじゃないのか」
狐狸山は口をへの字に曲げた。
――お怒りなんてものじゃないよ。
「すばりいおう。やつを出してやる」
これまで黙っていた佐野が言った。
「・・・出す?」
「もっともそっちの返事次第だ。ま、これを聞け」
佐野は携帯電話を取り出すとボタンを押した。
「佐野です。お願いします」
手短にそういうと携帯電話を狐狸山につきだした。狐狸山は黙って受け取ると暫くは黙って耳にあてていたが、
「狐狸山ですが」
と、慎重に言った。
(兄貴、町田です。すんません。ドジふんで)
「なに、町田か? お、おまえどこから電話してるんだ」
(新宿公園ですよ。どういうわけか出してやるというんで。今はまだワッパが手にはまってますが)
「わかったな」
佐野が手を伸ばした。
「旦那、どういうことです」
狐狸山は携帯を佐野に返しながら、狐のように用心深くそう言った。
「聞いたとおりだ。おまえが知っている男の居場所を教えてくれれば町田は放免してやる。嬉しいはずだ」
狐狸山は危ういところで笑み崩れそうになった。嬉しいなんてものじゃない。頭痛どころか頭そのものが危なかったのだ。
狐狸山は思わぬイイ話に小躍りしたい気分だったが、それをこらえて殊更に渋い顔を作ってみせた。
「まあね。でも誰を知りたいんです」
「ヒトマロに会いたい。それも大至急だ。知らないとかいうご託はいい。あとはおまえの返事ひとつだ。きっちり一分だけ待とう」
佐野はそういうと口を閉じ腕時計に目をそそいた。狐狸山はこらえきれないように立ち上がった。
「ちょっと、そんな、待ってくださいよ。俺にだって考えさせてもらわないと」
「十秒」
「ちょっとちょっと」
「二十秒」
「早すぎますって」
「三十秒」
「えええい、わかりましたよ」
「よし」
佐野は腕をひっこめた。
狐狸山は気の弱そうな顔で言った。
「俺から聞いたとは言わないでくれるんでしょうね」
「あたりまえだ。やつの居場所を知っているのは、この世でおまえひとりということはないのだろう? さ、言ってもらおう。こっちはここで手間取ってはいられない」
有田はさりげなく背広の前を開き、拳銃のホルスターが見えるようにしてやった。
「やつはハジキなんか持ってませんぜ」
「なあに、ここで要るかと思ったのさ」
有田はそういいながら首を曲げて玄関の方をじろりと見た。
「へ、そりゃ用心のいいこって」
狐狸山は危うくゴルフバッグに行きそうになった目玉を急いでひきもどした。
「新宿四丁目の扶桑銀行の隣に柿本ビルという下駄履きマンションがあるんですが、やつはその二階に住んでます。一階が柿本会計事務所になってて、やつの昼間の顔はそこの所長です」
「名前、人相、風体は」
「柿本マロジ、年は四十ガラミ。髪は黒々としてるけどカツラかもしんないです。背丈はダンナくらい。肩幅があって・・・」
「よし。そのくらいでいい」
佐野がたちあがった。
「ま、待ってくださいよ。約束は」
「心配するな」
佐野は携帯を取り出すと、
「佐野です。成立です。あしたの今、午前二時までで結構です。はい。わかっております」
といい、スイッチを切った。
「聞いたとおりだ。二十四時間だけ追わないでやる。せいぜい遠くに逃がすんだな」
狐狸山の全身から汗がふきこぼれた。現金なもので、とたんにヒトマロの一件が気になりだした。
「だんな。本当に俺のことは内緒ですよ」
「わかってる。それよりもな、もしもヒトマロがずらかっていたら、またここにもどってくるからそのつもりでいろ」
「そ、そんな」
「心配なら一緒に来てもいいぞ」
「えええー!」




