画才
「しかし、秦君は記憶力がいいねえ」
遠山の言葉には実感がこもっていた。
「いえいえ、それだけでしたらとてもとても。実はわたしはその記事に興味を覚えまして学祭の時に行ってみたんです。ひょっとして本人に会えるかもしれないと思いましてね。ああいう連中のアジ演説は学祭には欠かせませんから。しかし、その日はどこかへ出かけたようで誰もいませんでした。ところが、ひょいと美術展を覗いてみましたら、そこで素晴らしい版画にお目にかかったのです。そこにいた学生に作者のことを聞いてみましたら、今日は来てないが、あの手話で新聞に出ていた男だと言うじゃありませんか。びっくりしました。そして面白いことに彼のノートが一冊置いてありまして、表紙に、
=これを一点なりともお買い上げいただければ、わたしは終生あなたに自作の版画の年賀状を送る事を約束します。心豊かなるも懐貧しき学徒、鴨原良一=
そんな事が書いてありました。彼からはその後本当に毎年、年賀状を送ってきます。わたしもお礼の賀状を出していたんですが、ある年、彼が卒業して二、三年経ってからでしょうかね、消息が分からなくなってしまいました。それでも向こうからは毎年来るんです。わたしはその間三度ばかり引っ越しをしたのですが・・・。版画は実にすばらしいものです。ですが鴨原はどうやら・・・」
人には言えない稼業をしていたようですなあ。
秦は最後を呟くようにいい終えると頭を掻いた。
そのときコールフラッシュが点滅した。
「佐野だ。なに、死体が」
佐野の言葉に室内に緊張の色が走った。
「そうか、わかった。鑑識は来てるんだな。そうか、それじゃ、あとは所轄に任せて君は引き揚げてくれ。向こうの署長にはこっちから挨拶をしておく・・・うん、そういっていい」
佐野は電話をおいた。
「鴨原の部屋のベッドの下から、ビニールの袋に入れられた女の扼殺死体が出た。死後数時間というところらしい。となると、伊能さんと鴨原が部屋に入る直前ということになるな」
ひどいことをしやがる。
だれかがつぶやいた。
「害者は壁のデッサンの女と酷似しているということだから、おそらく、伊能さんが言ったユミという女だろう。ユミは騙されるか脅迫されるかして鴨原の部屋に加害者を入れた。しかし、そやつは手に入れたかった物、彼の商売を考えれば恐らくは客のリストだ。それを奪って鴨原を脅かして金を取る。それがどうしてもみつからない。そこで侵入者は、多分ハナからそのつもりだったのかもしれないが、ユミを扼殺し、鴨原の毒殺を計った、ということだろう」
「はい。このことを伊能さんに言わないわけにはゆかんでしょう。しかし・・・怒るでしょうなあ」
秦が頭に手をやりながら、ぼつりとつぶやいた。
「ああいう伊能君を見たのはわたしも初めてだ。鴨原にはどうやら格別の友情を感じていたらしいな」
遠山が腕を組みながらそう言った。




