刺客
そして、そのまた一年後、刺客は再びやってきた。前に述べた老婆と編み棒と猫のセットがそうである。
それがこれまでと同じ時期であり、遠山と最初に顔を合わせた時期と符合することから、伊能としてはやはり報復が来たのだと結論づけなければならなかった。
そのまた翌年、四度目の襲撃は敵も本気だった。大学まではふた駅の距離だったので常には歩いて通ったのだが、その日は教授から急な呼び出しがあった。用件は伊能の論文が学会誌に掲載されることになったために至急打ち合わせをしたいという、学生にとっては稀有ともいうべき朗報だった。それにしても、このような滅多にない機会をキャッチする敵のアンテナとはどういうものなのだろう。
魚は水の上を流れる木の葉には驚かないという。それを知る魚取りの名人は、水流に漂う木の葉の自然さを装って獲物に近づく。しかし、刺客たちはその名人の域に遠かったようである。魚のように鋭敏な感覚を持つ伊能とはそこで差がついた。
改札口をくぐった辺りで、伊能は水の流れに反して動く人間の存在を知った。伊能の不自然なものを見抜く能力はこの数年で数倍に増強されていた。
――・・・ひとりじゃないな・・・炙り出してやる・・・。
改札口をくぐってから、ふと思い出したように売店に立ち寄って新聞を買った。おかげで刺客たちは不意の動作を余儀なくされてしまった。
概して人は時にというよりは結構頻繁に不意の行動をとるものなのだが、流れる木の葉も細流に招かれ急に向きを変えることもあり、風に吹かれて流れを変えることもある。しかし魚はそれを認めて受け入れる。しかし人が棒を入れて掻き混ぜればそれは別のものだから魚は易々と識別をする。
その日、伊能の動きに炙り出されたのは五人だった。最初のひとりに気がついた伊能は、意図的にしかしさりげなくフェイクを繰り返した。それにより彼らは一層流れに逆らう動きをせざるを得なくなり、その存在を知らずに伊能に知らしめる結果となった。
伊能の全身が戦闘モードに替わった。人数から考えると敵の目的は尾行や監視ではなく襲撃である。であれば、彼らに襲撃する場所を与えてやる必要があった。電車の中では巻き添えがでる恐れがあったし、過去の経験から、そのような場所では襲撃には出ないということも考えられる。
(受けてやる)
扉の開閉のタイミングを利用して追跡を振り切るのは、伊能にとってはたやすいことだった。しかし伊能にはこのクルーに返り討ちという手痛い打撃を与えてやる必要があった。
命が惜しくないのなら来年またおいでと。
その駅にはホームと改札口のあいだに踏切があり、カンコンという警鐘が通過電車の進入を告げ始めていた。刺客たちが通過電車を利用するとみた伊能はさりげなく歩調を遅らせて、彼らが十分にそれぞれの配置につけるようにしてやった。
踏切ではすでに遮断棒がおりていて、その前では白い息を吐きながら黙然と、あるいは友人とお喋りをしながら待つ三十人ほどの男女がいた。学生はもとより勤め人も主婦も高校生もいた。彼ら彼女らがそれぞれ何を考えていたかはわからない。しかし、ものの十秒もたたないうちに生涯忘れられないような惨劇を見ることになろうとは、誰一人考えていなかっただろう。
伊能はさりげなく最前列に位置してやった。それは背後で人波に押された風を装って伊能を電車の前に突きだそうとしていた者たちにとっては絶妙のそして最悪のタイミングだった。電車が通過する直前に伊能がついと横に移動した。
わっという声がしてふたりほどが前にのめり、胸の悪くなるような奇妙な音が電車の側面で鳴った。
ふたりは即死だった。先に突っ込んだ男などはちぎれた首がホームに転がり、踏切脇にはありったけの血を撒き散らした首無しの死体がほおりだされた。あまりの凄惨さに居合わせた男性ひとりと女性三人が失神して救急車で運ばれた。
遺体の身元は若干の日数を経たのちに判明した。いずれも暴力団関係のものたちで、仲間どうしでふざけあったあげくの事故と警察は判断をした。証言を求められた人々の意見が次のようなものだったからである。
=知り合いどうしだったようです。ちょっとふざけたんだと思います。お互いに少し押し合ったりしてましたから。ああいう場所で危ないなあと思ってました。関係ない人が巻き添えにされる可能性もありますからね。でも弾みというんですかねえ、ああいうのを。前にいた背の高い人がちょっと横に動いたと思ったら、その後ろからすごい勢いで遮断棒ごと電車に突っ込んでいきましたよ。あとは顔をそむけてしまってみてませんが=
=その人が身をかわした? いいえ、まさか。あんなふうにかわせるものじゃないですよ。後ろは見てなかったんですから。たまたまだれか知っている人でもみつけて、そちらに行こうとしたんじゃないですか=
伊能は背後の人間が自分に圧力をかける最初のコンマ何秒かの瞬間を全神経を背中に集中させて待ち、触れたと思ったと同時にバネに引かれたように横に移動した。刺客が全身の重心を移したその瞬間に伊能が消えた。男たちは伊能の類い希な反射神経を知らされていたはずなのだが、先にその意図を覚られていたのに気づかず死に繋がってしまった。
その後の毎年、決まって同じ時期に刺客がやってきたが、なぜかすべて事故やトラブルにみせかけて殺す仕組みだった。交通事故や工事現場での事故、あるいは人為的なトラブル、例えば暴力団どおしの抗争や精神異常者からの襲撃に巻き込まれた不幸な犠牲者を装わせようとしたものばかりだった。
これは伊能にとってはまことにありがたいことだった。伊能とても超人ではない。コミックに出て来るような狙撃の名人に離れたところからライフルで狙われては防ぎようがない。伊能は荒唐無稽な想像とは思いつつも敵のドンはスポーツを、例えばバスケットボールをこよなく愛する人間なのではないかと思うことがあった。




